故事成語とは

「故事」(こじ)とは、昔の出来事のことである。 「故事成語」(こじせいご)とは、ある故事が元になって出来た熟語である。たいてい、中国の古典に書かれた故事が、故事成語の元になっている。 ここでいう「中国」は、チャイナのほうの中国である。なお、中学校のこの単元においては以下の漢文についてを習うこと及びその次に述べる故事成語を覚えることを目的とする。

漢文の訓読の仕方

注意点

wikibooksの仕組みではどうしても横書きになってしまう。一文字ずつ改行してならできなくもないものの、ページが大変なこと(長さ)になってしまうので、やむをえず横書きにした。横書きで上つきの記号は、縦書きでは右側に、同じく下つきの記号は左側に、と読み替えてほしい。

以下に例を述べる。その前に、簡易的ではあるが、説明をしておく。右側(ここでは横書きなので倒して上側)にあるカタカナが送り仮名で、左側(ここでは同じく横書きなので倒して下側)にあるのが訓読記号である。

白文
月有陰
訓読文
書き下し文
月に影有り

まず、上(実際には縦書きなので右側)のカタカナは前述の通り「送り仮名」である。無論古文の読み方によって読まなくてはならない。次に、下(これまた実際には縦書きなので左側)の前述の通り訓読記号の『』はレ点と称し、これがある文字の一つ前の文字を読むのは後であり、先にこれの後の文字を先に読んだ後(一文字)先ほどのレ点の前の文字を読む。

白文
有備無患
訓読文
レバ
書き下し文
備え有れば患い無し

まず、最初の有にレ点がついているので、また同様に無しにもレ点がついているので、読む順番は1、備え(古文の読み方で)2、有れば3、患い(古文の読み方で)4、無し、となる。ここでは古文の読み方を適用することが重要である。間違っても、『備え患い有れば無し』(先に「レ点のないもの」を全て読んでしまった例)のようにしてはならない。レ点がついている文字は、レ点の次の文字を読んだ後、すぐに読む。

白文
欲東渡鳥江
訓読文
ノカタラント鳥江
書き下し文
東のかた鳥江を渡らんと欲す

まず、『一』・『二』・『三』は『一・二・三点』という。二文字以上戻る場合、レ点では対処できないから出てくる。番号順に読む。

では、これを踏まえて、見てみよう。先に訓読記号のついていないものを読むので、1、東のかた2、鳥江を3、渡らんと4、欲す、となる。1、を読んだ後、他に訓読記号のついていない文字がないので、一(訓読記号)から順番に読む。こうすると、読むことができる。なお、漢文を書く場合においてもレ点と一・二・三点の使い分けをしよう。

ここのまとめ

  • レ点はついている文字の下の文字を読んだ後、ついている文字を読む。
  • 一・二・三点は二文字以上戻るときに使い、番号順に読む。
  • 訓読記号のついていないものを先に読む。

では、これらを生かして、下の故事成語を読んでみよう。

矛盾(むじゅん)

意味

ある主張の辻褄(つじつま)が合わないこと。

由来

  • 書き下し文(かきくだしぶん)

矛盾
楚人(そひと)に盾(たて)と矛(ほこ)とを鬻ぐ(ひさぐ)者あり。之(これ)を誉(ほ)めて曰(いは)く「わが盾(たて)の堅き(かたき)こと、能く(よく)陥す(とおす)ものなきなり。」と。また、その矛(ほこ)を誉めて曰く「わが矛の利なること、物において陥さざるなきなり。」と。

ある人いはく(いわく)「子(し)の矛を以て、子の盾を陥さば(とおさば)いかん。」と。その人応ふる(こたうる)こと能はざる(あたわざる)なり。

  • 口語訳

楚の国の人で、盾と矛とを売る者がいた。その人が、盾をほめて、「私の盾の堅いことといったら、突き通せる物が無い。」と。また、その人は、矛をほめて、「私の矛の鋭いことといったら、どんな物でも突き通す。」

ある人が尋ねて、「あなたの矛で、あなたの盾を突きさすと、どうなるのか。」と言った。その商人は、答えることができなかった。

  • 訓読(くんどく)

 

中学校国語 漢文/矛盾も参照のこと。


蛇足(だそく)

意味

よけいなもの。

由来

中国の楚(そ)の国で、数名の者が地面に蛇の絵を早く描く競争をしていて、いちばん早く描き終えた者は酒を飲めるという競争をした。このときに、ある者が、いったん先に描き終えたが、「足まで描ける」と言ったら、別の者が「蛇には足がない。」と言われ、足を描いた男が負けてしまい、酒をうばわれたという。

四面楚歌(しめんそか)

意味

周囲を敵に囲まれること。または、周囲が敵ばかりで味方のいないこと。

由来

紀元前202年ごろの、古代の中国で、楚(そ)の国と、漢(かん)の国が、天下をめぐって争っていた。秦(しん)の王朝が滅んだあとの時代であり、いくつかの国が天下を争っていた。最終的に、楚と漢に、集約されていった。 そして、ついに楚と漢との決戦が起きた。

楚(そ)の指導者の項羽(こうう)は、楚軍が垓下(がいか)の戦いで劣勢になり、敵側の漢の大軍に包囲された。その日の夜、項羽は四方の漢軍の陣のほうから、故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか。」と驚き(おどろき)嘆いた(なげいた)。この故事から"周囲を敵に囲まれること"を四面楚歌(しめんそか)と言うようになった。

※最終的に項羽は戦に負け自殺し、漢が天下をにぎる。漢の指導者の劉邦(りゅうほう)が、あたらしい王朝の「漢」を作る。これが、漢王朝の始まりである。

漁夫の利(ぎょふのり)

意味

ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者が利益を得てしまうこと。

由来

ハマグリが殻(から)を開けてひなたぼっこをしていると、鳥のシギがやってきて、ハマグリの身をついばもうとした。ハマグリは殻をとじて、シギのくちばしをはさみました。シギは『このまま今日も明日も雨が降らなければ、ハマグリは死ぬだろう』と言い、ハマグリは『今日も明日もこのままならば、シギの方が死ぬだろう』と言う。そうして、争っている間に、両者(りゃうしゃ)とも、漁師に捕まってしまった。

中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。

杞憂(きゆう)

意味

必要のない心配、取り越し苦労(とりこしぐろう)のこと。

由来

杞(き)の国に、ひどく心配性の人がいた。もしも天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどうしようと心配し、夜も眠れず食事ものどを通らぬほどに心配した人がいた。このことから、無駄な心配、取り越し苦労のことを指して杞憂(きゆう)という。

塞翁が馬(さいおうがうま)

意味

人の幸不幸は変わりやすいということ。

用例の一例として不幸な人をはげます場合に、「人間万事、塞翁が馬」などと使うことが多い。幸福で浮かれている人をいましめる場合にも、用いられる場合がある。

由来

国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた老人は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。(「塞翁」とは、塞(とりで)の老人(=翁)という意味。)
その、かわいがられていた馬が、ある日、飛び出して逃げてしまう。(←不幸) 
しばらくして、逃げた馬が、別の白い名馬を連れ帰ってきた。(←幸) 
しかし、塞翁の息子がその白馬から落ちて、足を折る。(←不幸) 
しばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我(けが)をしていたため、兵にならずに命拾いした。(←幸) 

このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、「人間万事塞翁が馬」などと使われる。

推敲(すいこう)

意味

文章の言い回しを、よりよく考え直すこと。

単に、出版物などの誤字・脱字を訂正することは「校正」(こうせい)という熟語であり、推敲とは意味が異なる。

由来

唐の詩人の賈島(かとう)は、乗っているロバの上で詩を作っていた。その途中、「僧(そう)は推す(おす) 月下の門(げっかのもん)」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」(たたく)という語を思いついて迷った。あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の韓愈(かんゆ)のひきいる行列がやってきたのにも気づかず、その中にぶつかってしまった。賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれた。そこで賈島は経緯をつぶさに申し立てた。事情を知った韓愈は、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言った。そして、二人は、馬を並べていきながら詩を論じ合った。

このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」という。

五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)

意味

あまりちがいのないこと。

由来

世は中国の戦国時代、魏(ぎ)という一つの国の王の恵王(けいおう)は、孟子(もうし)に たずねた。 「わたしは、ひごろから人々を大切にしているつもりだ。だが、他の国の人が、魏(ぎ)をしたって流入してきた様子がない。これはどういうことなのか。」
孟子は言った。 「まず、王にたずねます。戦場で2人が、怖くなって、逃げました。ある者は百歩だけ、にげました。、ある者は、五十歩で、とどまったとします。そこで五十歩、にげた者が、百歩、にげた者を臆病者(おくびょうもの)と言って、笑った(わらった)とします。王は、どう思われますか。」
王は言った。 「それはおかしい。どちらとも、逃げたことには、ちがいないではないか。」
「そのとおり」、と孟子は言う。そして魏(ぎ)の政治(せいじ)も、他国と比べて五十歩百歩なのだと指摘し、孟子の勧める王道を唱えていく。

(書き下し文)

孟子対へて曰く「王、戦を好む。請ふ戦を以て喩へむ。填然として之を鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百歩にして後に止まり、或いは五十歩にして後に止まる。五十歩を以て百歩を笑はば、則ち何如」と。曰く「不可なり。直だ(ただ)百歩ならざるのみ。是(これ)も亦走るなり」と。曰く「王如し此を知らば、則ち民の隣国より多きこと望むこと無からむ。」

中学校国語 漢文/五十歩百歩も参照のこと。