心態詞

心態詞は、話し手の態度を表すものです。何に対しての態度かと言うと、心態詞の直前に来るものに対してです。

直前にあるのが終端子ならば、終端子が終わらせるその句に対しての態度です。

直前にあるのが lo 等の冠詞なら、その冠詞が付く sumti に対しての態度です。

直前にあるのが接続詞なら、その接続詞と、それに続く語句や文に対しての態度です。

(心態詞が文頭の場合は、その前に .i が隠れている、と見なし、その文全体に対する態度です。)

文法的に言えば、心態詞は selma'o UI に属します。これは、文のどこにでも置ける、ということです。 (ですから、心態詞そのものに終端子はありません。)


心態詞に付けて使う selma'o UI というものもあります。

nai は心態詞に付いて、意味を逆にします。 a'u は[関心」や「惹きつけられる気持ち」を表しますが、 a'unaiはその逆の「反感」です。

文の否定には、 to'e (その逆だ、という否定)から no'e (逆まで行かないが、中立的にそれではない、という否定)までの段階がありましたが、心態詞にも同じように段階があり、ここで「逆までは行かないが、それではない」という中立的な段階を示すのは cu'i です。「無関心」は、a'ucu'i になります。


更に細かく設定することもできます。

気持ちが弱い時には、 ru'e を後に付けます。その感情が強い時には、 sai を付けます。めっちゃくちゃに強い時には、 cai を付けて、表すことができます。


その程度を一覧にすると、こうです。

cai > sai > (何も無し)> ru'e > cu'i > nairu'e > nai > naisai > naicai

例えば、「ふうん。あ、そう。」と言いたい時には、 .a'ucu'i と言えます。「げえっ。しょうもない。」と言いたい時には、 .a'unaisai と言えます。「こりゃあ面白い!この魅力は、ロジバンの発明に匹敵する。」と言いたい時には、 .a'ucaiが適当でしょう。


(これら心態詞の意味を変えるものは、 selma'o CAI と言います。しかし nai は違います。他にもよく使われる nai は、 selma'o, NAI という独自の範疇に属します。)


母音二つで作られる心態詞は 39 個あります。(母音の間に無声声門摩擦音( ' )が入るものも含みます。)(文法的にはこれらは selma'o UI の UI1 といいます。)これに上に見た七段階の程度を組み合わせれば、 273 通りの態度が表現できます。


(それに selma'o UI4 や selma'o UI5 を足せば、さらに細かい表現が可能です。

selma'o UI4 は、自分のどの部分がそう感じているのかを特定します。自分の肉体的な部分か、社会的な部分なのか、精神的な部分での反応なのかを表現します。

selma'o UI5 は、「その他」です。例えば ga'i があります。上から目線の態度です。

また、 zo'o はよく使われます。これは「おかしさ」を表し、顔文字で表現されるようなものです。冗談で言っていることを表すために使います。自然言語なら声の調子やその他で分かることも、ロジバンでは言葉にするのです。)