ゲームプログラミング/バランス調整

現在の版の著者達は、ゲーム戦闘の調整の経験はないので、現状では本ページの内容は調べ物としては役立ちません。経験があり、かつ人間性も良好な人の協力をお待ちしています。

本ページの目的編集

本科目『ゲームプログラミング』は、科目名に「プログラミング」とあるとおり、ゲームクリエイターのための教材ではなくプログラマーのための教材です。

従って、話題がプログラミング的な技術的な話題に片寄っています。一般のゲームクリエイターを目指す人には、本書のバランス調整の記述は到底、役立ちません。

プログラマーが、とりあえず何か趣味でゲームを作る際、バランス調整についての調べ物の手間を少なくするためだけの目的の教科書です。

……と、前編集者Suj. は書いたんだけど、その割にはこの人物の私欲を満たすためだけの駄文が結構くどくど書かれてる気がするんだけど…

気のせいか?まあまだちゃんと読んでないしね、熱でもあるのカナ? コロナか^^?

バランス調整編集

ゲームには難易度というものがあるが、そのゲームの面白さのため、あるいは商品としての購買力アップのため、調整し、最適値を見出す必要があるだろう。敵の強さや主人公の強さ、それらを調整し、最適値を見出すための調査、テストプレイなどが必要だ。

より普遍的に、バグ修正、操作性の改善、仕様実装の更新、そして今書いたバランス調整、ゲームを面白く、評価を高めるための様々な改善を、一般にチューニングと呼んでいる。

英語では、難易度の調整のことを「レベルデザイン」と言う。このレベルとは、高低差の意味で、欧米での昔の3Dゲームにおける、マップの高低差を意図しているらしい。このレベルを調整するツールをレベルエディタというが、このマップの高低差の調整で難易度が変わるので、しだいにレベルデザインが難易度の調整の意味になっていったという[1]

難易度デザイン、という言葉も使われている[2]

そして、難易度の調整にはマップの処理もあるので、3Dゲームのレベルデザイン担当者は、MAYAなどの3Dグラフィックツールの技能を持っているスタッフが多いという[3]

詰み、を避けたい編集

製品として販売するゲーム、そしてそうでなくとも、プレイヤーがセーブした時点でクリア不能な状況、仕様になっている、つまり、プログラムの流れとして事実上そうなっている、これを「詰み」、と呼んでいますが、それは避ける必要がある。

これはプログラムの構造の問題ですが、ゲームは進行の仕様自体かなりの複雑さを持っていますから、制作者が気付かないうちにプレイヤーがそこに追い込まれる可能性があり、これは娯楽であるゲームとしては避けたい事態です[4]

まず、ゲーム全体のバランスとして、平均的なプレイヤーなら、妥当な労力でクリアできる調整も必要でしょう。

ゲームプレイで詰みに追い込まれるのは、プログラムの構造の悪さでもありますが、それを見つけ出すためには、具体的にテストプレイにおいて、少なくとも誰か一人のテストプレイヤーが、そのゲーム内で想定できるクリア困難な状況から、実際に挽回してクリアしたという、事実、実績が必要です。

つまりコンピュータープログラムで常にセキュリティの問題が発生するのと同様に、ゲームプログラムでは構造が複雑になりすぎて、詰みがプログラマーの想定を超えて発生する可能性があるので、実際のプレイで、実際のプレイヤーの現実の巻き返しで確認して調整したい、という事ですね[4]

そして一方難易度調整として、平均的プレイヤーが平均的な労力でクリアできるようにしておきたい。

ちなみに現編集者の昔のゲームプレイ経験ですが、初代ファミコン版のファイナルファンタジーですね、番号は幾つだったか……市販の攻略本を読みながらプレイしていたのですが、あるところまでいった時点で、攻略本を読んでも、どう考えても先に進めない状況に陥り、まあ私のプレイヤーとしての技量にも問題あったのかもしれませんが、結局にっちもさっちもいかなくなって、プレイを放棄してクリアしないまま積みゲーになってしまったことがあります。もちろんそれでそのゲームの仕様が悪かったと主張するつもりはありませんが、プレイヤーの私としてはその時点で完全に詰んでしまったわけです。

実はゲームプレイヤーだけではなく、あらゆる人間が面倒くさい、俺も、あんたもね^^編集

……しかしあんまり面倒くさがると、結局最後には偉い人に怒られてしまうのがこの社会の常です^^;;;。

一般にゲームプレイヤーがプレイ中に面倒くさがることは、覚えること、計算すること、配ること、だと言われています[5]

ゲーム中に、Wolfram|Alpha が使えるような仕様にすると、案外よかったりしてね^^

ゲーム制作者はいろいろ考えて作っているだろうけど、プレイヤーだってそれに負けずに考えてプレイしている編集

プレーヤーも制作者も、時代の流れとともに、色々な変遷はありますよね。

時々指摘されるようですが、昔よりの最近の方が、ゲームの難しさに関する感受性が大きくて、割と簡単にこのゲームは難しいと指摘されることが多い、と、言われている。

たとえば携帯ゲームにおいて、平均的なゲームプレイヤーがクリアまでに5回ゲームオーバーになるように調整されたゲームは、今では「難しい」ゲームと判断される[6]。つまり昔のプレイヤーの方が我慢強かったってこと??

一方平均的なプレイヤーならゲームオーバーにならない難易度のゲームは、やさしいゲームと呼ばれることが多い。

だからもはやゲームの難しい易しいという言葉さえ、相対的で、結構人によって判断が違う。

2011~2013年頃のテレビ番組で、ゲーム業界を取材した番組、夜中の番組で、こういうものがあったという。

「昔の子供は、難しいゲームをプレイしたとき、「このゲームは難しい」と答えていたが、今の子供は「このゲームはつまらない」 と答える」

しかし実はテレビというのはこの社会で一番いい加減なメディアで、常に制作者に都合のいい印象操作、不当なイメージ操作が行われている。

つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。

商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?編集

『ナナのリテラシー』という漫画、作者はゲーム好きで、ゲーム雑誌でも描いていたことがあるようです。ビジネス系しかもノウハウ系かな?2巻がゲーム会社回。

ゲーム会社の隅の老人経営者曰く(この漫画内の話ですよ)、「誰もが飛び越せる絶妙な難易度の壁をクリアさせる」、これがゲーム作りのコツじゃ^^!!!

この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。

「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界。どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない。会話も音楽も全部ね。」なんて描写があるらしい。

この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。

しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。

全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。

だから、インチキにガッポがっぽ儲けるためには(←しつこい^^;;;)、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要がある[7]

「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」との記述がある書籍もある[8]。ただこれはテストプレイヤーの意見を重視しすぎて振り回されないように、という意図がある記述だという。

ターゲット層を絞りこむには、実在の人物をイメージするのが良いと言う。「20代社会人男性が」、ではなく、自分の知人・友人・家族、あの人を面白がらせたい!!、と、いうのがいいようだ[9]

カラケオは気持ちよく歌いたい^^

80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^

カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。

小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。

エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼは、監督やスポンサーのレコード会社プロデューサーが、子供でも歌いやすいように作曲してくれと作曲家に依頼している。

確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^


作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。

商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる、なんて前編集者は書いてるけど、インチキ書くなよ、あくまでも金は商売としての是非、作品としての価値、意義は別の話だよ。

しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。

ゲームの話題としては、味の善し悪しはプレイヤーが決める、という言葉があるようですね[10]。ターゲット層が、美味い^^!!、と、いう作品を作りたい。

ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。

ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。

すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの?

ほんとにあんたってなにも見えてないのね。「うちの子は、よく宮崎先生のアニメを見ています。面白いアニメを作ってくださり有難うございます」なんて感想は全く問題ないだろ。宮崎氏だってありがたく受け取ってるよ。それに対してアニメばかり観ずに外で遊べ!!なんて言うのはお前とお前の同類のキチガイだけだ。

あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ?


チュートリアル編集

ゲームをプレイするための、操作方法をプレイヤーが知って覚えるための入門的なイベントをチュートリアルというようですね。実は現編集者はあまり、特に最近はほとんどコンピューターゲームはしないので、ここの執筆をしつつもゲームについてはあまり知らない。

ただここの主要執筆者で、ゲーム大好き、プログラム大好き、アニメ大好き、自分自身も一応絵描き、そしてハイルオタキングの E.Suj. かなりひどい内容の文章を大量に書き散らすので、このサイトの参加者として嫌々多少書き直しをせざるを得ない。

そこでチュートリアル、これはふつうゲーム自体に組み込まれ、初盤がそれになりますが、これは別モードにすると良いという指摘がある[11]

『不思議のダンジョン2 風来のシレン』が、このスタイルを採用している。

とはいえプレイヤーが必ずチュートリアルをプレイしなければ、ゲームを楽しめない構成なら、あまり大きな意味があるとも思えないが、しかしそうでない場合も多いだろう。

ゲーム構成の選択手として考えてもいいだろう。

技能の習得としてのゲーム編集

ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?編集

まあゲームをしていることで、プレイヤーは何らかの行為、練習を繰り返して、技能様の物を身につけていく、と、考えても、いい? まあいいか、とりあえずはそう見なしましょう。

ですからそこでプレイヤーが身に着ける技能を想定しておくと、上手にバランス調整が出来るという。

すじにく大先生が愛読している文献では、「教育的難易度」という用語を使っています[12]。まあゲーム関係者で教育について分かってる奴なんて、ほとんどいないだろうけど…

ここでの教育難易度とは、むしろ大先生の意図とは逆で、ある敵を攻略するのにプレイヤーがなんらかの操作が必要な時、まず1個だけのその敵の撃破用の操作技能だけをプレイヤーが修得できれば攻略できるようにしろと、つまり、プレイヤーが技能を覚えやすいように、難易度を下げろという事でしょう。

前編集者は本質的キチガイなので、とにかく世の中で自分が偉いことが何より大事なので「教育」という言葉を使いたい。一方で割と似たようなことを語る時に、学習という言葉を使っている文献もある[13]。要するにこの本の筆者の方が、E.Suj. よりまともな人間だという事でしょう。

ただ、プレイヤーの技能の習得という視点は、バランス調整の時に一番重要になるという。確かにゲームは技能や知恵、解決のための何らかの手段、鍛錬も必要だが、一方では間違いなく娯楽で、面白いものであるはずだ。

そしてゲームをすることで、自分の思考力が磨かれて、成長したという感慨を持つプレイヤーも多いようで[14]、全くその気持ちを否定する意図はないが、でもねー、ゲームっていうのは結局遊びなんだよ?

ゲーミフィケーションなんて言葉を使っていい気になっている連中もいるようだけど、まあその概念や運動がまったく意味を持たないとは言わないが、でもやっぱりゲームは娯楽であり遊びであり、ある程度堕落した、ある程度常識的な硬い世界からは非難される要素があるもので、あまり理屈を並べて自分たちの世界が高級なものだと主張しない方がいいんじゃあない?

ゲーミフィケーション

どうもゲーム業界の連中が、自分たちの仕事を美化して、正当化したいため、ゲーミフィケーションがどうの、なんて言いだしたようだよ[15]

2019年にゲーミフィケーション学会設立。もっともこの運動や概念がまったく意味がないものだとは、現編集者も言わない。確かにゲーム的な行為を、もう少し遊びから離れて、現実の有用な出来事に結び付けようというのは、それほど間違っていないし、意義はある。

2013年ごろからすでに、企業の新人研修で、ゲームの要素を取り入れた研修などがされていたようだ。

岸本好弘(ファミスタの父、と呼ばれているらしい)の言では、「ゲームの本質っていうのは、人間が頭で想像することの素晴らしさ」[16]ってことらしいけど、なんか軽い言葉だね。想像には意義があるが、それってほんとに頭でするもの?

40年前(※1980頃?)、

「そのころアーケードゲームのデザインで言われていたのは、初めてそのゲームに挑戦したプレイヤーでも3分間程度は遊べるようにすること。「もう一度チャレンジしたら、先に進めそうだ!」と、プレイヤーの気持ちが動くように制作すること」

ってことだけど、そうすれば子供が100円玉いっぱい入れて、お前らが儲かるってだけだろ?

「これって、現在IT業界で言われるUX、ユーザーエクスペリエンスですよね。ゲーム業界では理論化、言語化していなかったけれど、40年前から現代に通じることをやっていたんだなと思いました。」

何かそれらしい言葉だけ踊ってかっこつけてるようにしか聞こえん^^;;;。

「ゲームって全部「そそのかし」なんです。ゲームをプレイしていて、Aの洞窟に行きなさいとか、Bの洞窟には行くなとは言われないですよね。プレイヤーが2つの洞窟をぱっと見たときに「こっちの洞窟に宝があるかも!」って見えるように作っているんです。これを「そそのかし」って言うんです。」

まあそれはそれでいいけど、それってそんなに大したことかね?

(抜粋)「先生は答えを教えるのではなく、生徒が自分で「わかった!」、「僕が一人で気が付いた!」と思わせることが大切。」

思わせるっていうのがすごいし、傲慢だよな。お前は神か?

「ゲームをデザインするのも授業をデザインするのも同じです。楽しいと思うことやワクワクすることは脳の働きを最大限にする。だから、つらいことを我慢するのはよくない。脳が楽しいと感じることがとても大切なんです。」

お前みたいな奴って、すぐ脳がどうのって言うよな。まあ楽しいことやワクワクするのが大事なのは認めるが、人生つらいことを我慢しなければいけない時なんてしょっちゅうだよ。後ゲームと授業は別物にしろ、一緒にするな。

しかし思うんだけど、ゲーム業界の奴らって、自分たちの仕事に少しやましさがあるから、教育と結び付けて、高級なものに仕立て上げたいんじゃあないの?

まあゲーム的な教育っていうのはありだが、やはりゲームの本質は遊びで娯楽で、しかも堕落だよ。


すじ肉しちゅ~は今日も右手を上げて、「ハイル、オタキング!!!」と言った。

1990年代後半に、オタキング岡田斗司夫は、著書『世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し 』(おそらく)で、マリオカートを例に、市販のゲームソフトの多くは達成感を味合わせるものだと指摘した。

岡田に言わせれば、ゲーム文化以前の人生の趣味の多くは、必ずしも努力の量と、上達とが比例しない。スポーツ、絵画、しかしこれほんと?もちろん厳密に量を考えて、グダグダ気色悪い比較をすれば、そう見えることはあるけど、少なくとも人間、何かをすれば必ず、それなりに得るものがあるはずなんだけどね。

しかしファミコン以降のコンピュータ式のゲームでは努力は無駄にならず、ほぼ必ずといっていいくらい、少なくとも初心者レベルの範囲でなら、プレイして練習すれば上達するように設計されていると、岡田の著書では述べられている。

ふーん、要するにゲームプレイヤーって、ゲーム制作者が作った達成感が欲しいから、金払うってわけね。

岡田が言うには、人生はゲームみたいに甘くないし、もしかしたらゲームは現実逃避で不健全かもしれないけど、でも大人だって親だって達成感をもっと感じたいんだぜ・・・だから今日も娘といっしょにマリオカートをプレイしている、と書いてたって言うけど、そもそも現実逃避や不健全から達成感って手に入る?

なんか頭のおかしい奴はやたら達成感って言うんだけど、それってほんとに欲しい?

いや、もちろんある程度は欲しいけど、でもそんな重要な事かね? もっと人生で必要なもの、いっぱいないかね?


ガイナックスとはオタキング岡田斗司夫が創業した、アニメーションとコンピューターゲームの制作会社である。

ガイナックスは、コンピューターゲームも作っていたね。確か、美少女18禁ソフトもあったよね。

1991年、『プリンセスメーカー』、育成シミュレーションゲーム。確かに赤井孝美さんのグラフィックは魅力的だった。

少女を光源氏的に育成するゲームだったか、キャラクター育成ゲームのはしりだね[17]

98年にはコナミ社『ときめきメモリアル』というのが出た。ただこれは育成というよりは、美少女との恋愛疑似体験ゲームみたいな、まあ俺はやったことないから詳細は知らないけど、まあ美少女と上手に付き合えるように、男性キャラクターを育成する要素はあったのかね。

「プリンセスメーカー」→「同級生」→「ときメモ」の流れがあるって、ある評論家は言う。

良くわからないけど、岡田斗司夫はゲーム制作会社の社長でもあるんだから、前のコラムの達成感がどうののたわごとに意義を認めろって、すじ肉は書くんだけど、なんなのこいつ。

岡田斗司夫の肩書に関する議論って意味ある?

別にアニメ評論家でも、会社社長でも、なんでも勝手に名乗って威張っていればいいけど、でもやっぱり岡田斗司夫の肩書は、オタキングだよね。


プリンセスメーカーdeathpenalty

少女育成ゲーム・プリンセスメーカーは全滅時の損失が軽いのが、割と画期的だったようです。戦闘で全滅すると、拠点に戻されたうえ、1か月経過する。

全滅時の損失のことを和製英語でデス ペナルティといいます。英語では dead damage と云うらしい(DDと略すようです)。英語の death penalty は「死刑」の意味だって。

つまりどうやら、デスペナルティが軽くても、面白いはRPG は作れるらしい。

デスルーラ

全滅しても拠点に戻るだけのシステムだと、拠点に戻りたい場合にわざと全滅する方法を使える。これを和製英語で「デスルーラ」と言う。ルーラとはドラクエの移動魔法ルーラのこと。

全滅したときに拠点に戻るゲームでは、拠点に戻れなくするイベントは不可能。

全滅したら拠点に戻れるからね。ただ、戦いが起こらなければどうかな?

どちらにしろこの議論、意味ある?

ただ例外的に全滅したとき拠点以外に戻る、っていう事は仕様で作れるよね。


Roblox,Among_Us

現編集者は現在は基本的に、コンピューターゲームはしない生活、でもほんのちょっと前、思うところあって、MicrosoftStore,Xbox 経由で、すこしゲームをしていた時期があった。

そしてMicrosoftStore はなんだかんだでゲームを売り込んでくるよね。

その時思ったんだけど、Roblox って面白そうだよねー。プレイはしていないんだけど、広告や表示を見ると、これ絶対面白いなって直感的に思う。

だからこのゲームのユーザーやプレイヤー、あるいは関係者にこのページの執筆してほしいな^^

後、Among_Us っていうのも面白そう。何か皮肉がすごく効いてそうだね。


デスペナルティ関連

このコラム、前編集者が、(この話題は、後述の商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』の話題と関連するので、残す必要がある。)ってメモを張っていたんだけど、読んでみたんだけど、現編集者Hにはちょっと話が見えなくてね。おそらくRPG をやりこんでいる人は内容が良くわかるんだろうけど、現編集者にとってはかなりの部分が???????だね。だからできるだけまとめる一方で、詳細不明の部分は前編集者の記述をそのまま残しました。

帰り道を通せんぼするイベントは、詰みのリスクが高くなる。

サガシリーズはどこでもセーブできるが、この場合、帰り道を通せんぼするイベントは、上手に設計しないとクリア不能になる恐れがある。

ファミコン~スーファミ時代のドラクエとファイナルファンタジー、GB版サガとロマサガには帰り道を通せんぼするイベントは無いように見える。

ロマサガ1の氷結城の帰り道で通せんぼするボス敵がいる。しかし会話選択肢で戦闘を回避すると、詰みを避けられる。

古い時代のサガ系とロマサガでは、ダンジョン奥まで探検すると、最深部に一方通行のダンジョン出口がある。これは帰り道短縮の意味と、テンポ感向上(プレイヤーが既に理解していることを再度要求しないから)の効果がある。

しかしこの場合、もしダンジョンに一方通行出口がない場合、プレイヤーは帰り道にボス戦があると予測する。これはネタバレになってよくない。ドラクエは、最後の一方通行出口をあまり用意しないが、この狙いがあるのだろう。

このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。

さて、ゲームのシリーズ物は、ルールが一様になる傾向がある。

だから、シリーズ作品によって搭載されるイベントの傾向も決まってくる。

イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。

『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍でも、 シリーズ化とマンネリ化との相互関係が語られていて、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、と書かれている。

しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。

グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。

そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。

1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。

昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。

漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。

オタキングアノマリー論

オタキングによるアノマリー(片寄り)論(『東大オタク学講座』に記述あり)によると、ゲームのバランス調整は結局普遍性は持たず、作家の世界観が反映されるものになる、という。

都市運営シミュレーション『シムシティ』、アメリカ製のゲームですが、ここでは火力発電所よりも原子力発電所の方が効果的な投資になっている。これは現実の経済情勢を正しく反映しているか?

これは現実の経済分析の話だが、現編集者はYESだと思っている。巨大なお金が動いているからこそ、いまだにこの国は原発をやめられない。

そして岡田はこの設定をアメリカ的な都市政策観の反映だとしている。しかし岡田はこのゲームの感覚を片寄りだと思っているのか?

そのほか、岡田は、ドラクエシリーズに対して、「なぜ作者の堀井さんは、作中で父親と子の関係に、どの作品でも、こだわりたがるんだろう? なにかあったんじゃねえの?」的なゲスい勘繰りもしています。

↑ちなみに上の段落は前編集者、E.Suj.の記述をそのまま残したものだが、まあね、オタキングがゲスい人間なのは、オタク全員が知っているからね^^;;;。

ここで書いたシムシティに関する議論と堀井氏に関する議論はどうも別の話のように見える。

つまり前編集者の議論は当初から混乱しているのだが、結局E.Suj. は作家の個性とは異常性の裏返しだと言いたいらしい。つまり個性とは長所ではなく、欠点の別形態だと。

では現編集者はこのE.Suj. に質問したいが、結局人間、個性持っていたほうがいいの?持っていない方がいいの?

大人は欠点すらうまく自分で活用しなければいけない、なんて書いてるけど、そんなこと上手く出来ている大人なんて、この地球上に一人もいないよ。


本文編集

さて、上述までの再編集により、前編集者E.Suj, の邪念から生まれた、ゲーム-教育-成長のインチキ理論は完全に否定できたと思う。

結局前編集者もゲームにおける教育論は疑似的なものだと記述してるが、そんなら最初っからそんなこと書くな。

地獄のような長時間の再編集を終え、やっと話を本題のバランス調整にもどせることになった。

まずアクションゲームの調整。

敵が飛び道具で来るならどうする?

もちろん事実上はほぼ無限の対応策があるが、例えば、物陰に隠れながら移動して近づく、あるいはこちらも飛び道具で応戦とか、幾つか具体策は見えるでしょう。

(しかしよく考えたら、この行動って、E.Suj.のこのサイトでの行動とそっくりだよね^^;;;。)

基本的にゲームバランス調整では、例えば、物陰に隠れて攻撃を避けるなどの具体的技法、そして事実上それはそのゲームでの有効策なのですが、プレイヤーがこの対応策を覚えるように導く、そしてそれを可能なものにするため難易度を下げる、これが必要だと言います[18]

一つの方針としては、必要だと思われる技能をプレイヤーが行っていると判断したら、しかも一度には基本的に一つ、その敵を簡単に倒せるようなプログラムにする。

とにかく特定の方向にプレーヤーを導く意図を持つ、つまり導きたい方向にプレイヤーが行為すれば、難易度が下がる。だから、飛び道具を避ける物陰には、罠も無ければ敵もいない[19]

あれっ、今気づいたんだけど、新約聖書には、狭き門から入れ、って言葉があったよね…。

基本的には前編集をわかり易く書き直してるだけなんだけど…

とにかくこの場合、推奨されるパラメーター設定は、目的の敵を妥当な経過で主人公が攻撃したら、敵はすぐ倒せるようにしておけって書いてるんだけど、これって広き門じゃあない?

とにかくこの前編集は、あらゆるプログラムを駆使して、プレイヤーが特定の行動をするよう導けって書いてある…。

まあしかしまとめ編集を続けるかね…

大抵のゲームは先に進むと難易度が上がっていくようだが、いや、これ自体事実かどうか怪しいが、仮にそうするとした場合、その難易度の上がった敵のギミックや行動は、制作者が導く行動を複数、と言ってもごく少数の複合だろうが、プレイヤーがなしたら、敵を倒せるようにしたら良いという。複合技をプレイヤーが繰り出すことで、成長した感や、興奮を、ユーザーは感じるだろう[20]

前編集者は、ゲームの後半難易度を上げるのは、プレイヤーに創意工夫を呼び起こすためと書いている。

確かに難易度が上がれば、創意工夫して解決を目指すのはゲームだけではない。しかし現編集者が問題を感じるのは、常にプログラムの手妻を駆使して、特定行動にユーザを導けと主張している点だ。

これは実はアメリカの過去の宇宙開発で宇宙に送る実験動物を調教、教育した方法と全く同じだ。

とにかくゲーム制作者の中に、このような馬鹿げた教育論を持っている愚か者はそこそこいそうだが。

このインチキな前編集者の愛読書には、ボス戦などの難しいイベントの目的は、プレイヤーが自分自身の技量を試す、自分がこのゲームにおける熟練プレイヤーか試す、そこにあるという。歯ごたえのある敵と戦って、自分がこのゲームにはまっているかどうか知る事が出来る、そういうことだろう[21]

やはり何事も制限はあるか?

例えば主人公が不死身なら、まあゲームになりませんよね。何らかの弱いところは必ずあるでしょう。

所持金が無限とか、無いですよね。お前はドラえもんのポケットか?^^;;;

敵もそこそこ強いよね、あんまり弱いのはちょっと。

(たとえばアクションゲームで一時停止ボタン(ポーズボタン)を押さずにトイレに行ってウンコを数分してきても、ウンコから戻ってきてもキャラが負けてないのは明らかに駄目)。

↑ちなみにこれは前編集者の記述だけど、ん~、まあ、残しておくか^^;;;。

だから前編集者としては、プレイヤーに創意工夫を求める。まあもっともプレイヤーが創意工夫しないゲームなんて、この世にないけど。

だからゲームオーバーはやっぱり必要だということか[22]

だから前編集者はゲームには敗北とそれを回避するための努力が必要だと主張する。

まあでもこのサイトの別の場所でも書いたけど、E.Suj.は努力なんて全くしてないけどね。ただ毎日欲望のまま手を動かしてるだけ。

真実は一つ^^!!!本当?とりあえず解法は複数^^!!!!

スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。

ゲームと漫画、アニメーション編集

非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。

ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。

そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、 というのは明らかにある、そしてその話なんですが…

1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。

しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。

まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。

具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。

漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良い。

しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはりそれ以前に、あまり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどすぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ。

「廃人」編集

基本的にコンピューターゲーム界隈は、いちびった下品な人間が多いので、そこで飛び交う言葉も汚い言葉が多い。

例えば、廃人、なんてよく言うらしいよ。つまりいろいろな理由で暇な人間、まあ、E,Suj. もそうだけど、普通に忙しい人間より、ネットゲームとかでは有利だよね。そういう人間を貶めたくて言うんだね。

後色々な理由でゲームに過度にお金を費やせる人に悪口言いたい時とかね。

まあはっきり言って、E.Suj. も間違いなくこの廃人の一人だけど、彼の愛読書では、「廃課金ユーザー」という記述にしているらしい[23]。「廃Wikiユーザー」とか?

だけど世の中色々でね。人にはそれぞれ事情がある。望まなくても廃人になってしまう人はいっぱいいるよ。

ゲーム作者が自作をプレイしたら、やはり他者プレイヤーよりそのゲームは簡単だと見なすだろう。編集

あらゆる分野で作者は自作は面白いし、難易度やネガティブな要素は低いと見るだろう。作り手は妥当なバランスをどう見出したら良いだろうか?

作者が客観的に自作を見る事さえ難しい、しかしいいバランスは見つけ出したい編集

やはり常識的な判断としても、経験則としても、作者がやや簡単だと思うくらいがちょうどいい、という事だろう[24]

プレイヤーにとっては易しいほうの案Aと難しいほうの案Bとがあったら、ゲーム本編には、やさしいほうの案Aを採用するのが良い[25]

難しい方の案Bは、付加的なサブステージ(クリアには不要な)に流用するといいですかね[26]

RPGにおいてはクリアに絶対に必要なイベントと、エクストラのクリア条件ではないイベントがありますね。それぞれ「強制イベント」、「任意イベント」と、呼ぶこともあります[27]

サブステージや任意イベントの難易度は、割と自由に扱う事が出来そう。むしろ様々な難易度があった方が、多様なユーザーの要求に対応しているとも言えるし、しかしそもそもサブステージなどなくてもいいとも言えますが、あるとしたら、遊びは多くなりますよね[28]

そして基本的に作り手は「簡単」だと思っていても、初めてプレイするプレイヤーには難しい、それはよくあることですよね[29]

レベル上げを楽しむ?編集

一般的なゲームは、例えばRPGでは、ストーリーや戦術性の面白さが普遍的な主流の興味ですよね。作り手も、RPGというジャンルが今現在、どういう一般的な魅力があるか、それを考えて、それを重視して作る。

一方プレイヤーとしては、正道を外れたややマニアックな楽しみ方もある。RPGのレベル上げ(だけ)を楽しむ、なんて遊び方もできますよね。

つまりプレイヤーはプレイヤーで、本来の制作者が意図した別のところで楽しみを見出すこともある。ある意味コンピュータープログラムのインタラクティブな性質が、そういう遊び方を見出す余地を持っていると言える。

しかし制作者はやはり、RPGの持つ本道の面白さを目指してゲームを作るでしょう。

前編集者はこのことを、少年漫画を例に語っていますね。

漫画家スポコン漫画(そう?^^;;)「バクマン」では、こんなエピソードがあったようです。

「たとえ少女の読者がいても、その少女は、「男の子が読んでいるマンガを自分も読んでみたい」、と思うような女の子。少年ジャンプの取るべき編集姿勢としては、あくまで、男の子向けを貫かないといけない」

少年漫画誌は、ターゲットは、少年、割と年少の男の子ですからね。それ以外のファンがいても、その読者層におもねる漫画は載せないでしょう。それはカテゴリ崩壊だよね。

しかし実は少年にもいろいろな個性を持つ子がいる。少女にも、大人にも、老人にもいろいろな個性がある。ターゲットがどうのと言ったところで、実は結構あいまいでいい加減な物なんだよね。

少年ジャンプは自らの分析として、売れる漫画の方向性として、「友情・努力・勝利」の3原則を提唱した。この3原則を外すことは今現在は許されてはいないのでしょう。

No title.編集

ある意味当然のことだが、ゲームの作者は、ほかのプレイヤーより、自身のゲームの難易度を低いと見るだろう。「作者バイアス」という言葉が使われることもある。

雑誌「ゲーム批評」による指摘

1990年代に「ゲーム批評」という雑誌が、ゲームの内容を考えるときは、ゲーム制作に熟練していない人は、既存ゲームを難しくアレンジした提案をしがちだと指摘しています。

例えば、スーパーファミコン版のマリオ、こういうゲームを自分たちが作る時、どういうゲームにしようか?

マリオが空を飛んだ時、簡単にクリアできるけど、ここで空中に敵キャラクターを多く配置したらどうだろうか? そして『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、、云々の記述が前編集にあったが、これはいつものこの前編集者の一般的な他者に対する愚弄目的の文章なので、再掲載する必要はないだろう。

そしてこのアイディアに対する、一般的な批判としては、マリオの地上ステージの空中に敵が少ないのは、ゲームが苦手なプレイヤーのための救済措置だったり、あるいは体験済みステージ前半を無視するための工夫、であるので、その部分を難しく、複雑にするのは不適切だと思われる、と、いうことになる。

ところでやや話題が脱線するが、過去少年マガジンに掲載されていた、漫画作品、w:1・2の三四郎にも、似たような話があった。

高校生の主人公、東 三四郎と、本当はレスリング部にしたい西上 馬之助と三四郎の友人南小路 虎吉の三人で柔道部の活動をしていたのだが、ある日三四郎が馬之助にこう言う。

「スタンハンセンのウエスタンラリアット(プロレスの技)の改良技を考えたのだが」

「ほう」

「ハンセンは、ラリアットを打撃技にしているが、ここで打撃しないで、首に引っかけるようにして倒して後頭部をマットに打ち付けるのはどうだろう?」

「あほ!!それはジャイアント馬場の、ランニング・ネックブリーカー・ドロップや。ハンセンはそれをもとにウエスタンラリアットを考えたの。なんでお前がわざわざそれをもとに戻してんのや」


ただ、今ではこのジャイアント馬場云々は俗説と言われているようですね。

少しマリオの話とは違うかもしれませんが、脱線の雑談として書いてみました^^


さて、今仮に、「ゲーム作者はネットの批評はあまり参考にしない。基本的にゲームを作ったことのない人の意見はあまり意味がないと考えている。」と、いう主張があったところで、あなたはこの意見をどう思いますか?

まず全くの素の状態でこの言及を聴いたところで、その通りだと思います?あるいはいや、違うと思います?。

そしてもし素の状態ではなく、仮に出典とやらがあった場合、出典と言ってもいろいろありますよね。ネットの言及の場合もあるし、あるいは何らかの偉そうな市販の書籍にそう書いてあるかもしれない。

この辺の出典とかの情報、事実で意見変わります?

だからあなたが素の状態でどう思おうと、偉そうな人の言及があったら、じゃあそれは正しいんだと思いますか?。

しかしまあこの言及の場合は、ゲーム作家とやらが、ああ、俺はそう思っていると言えば、一つの証言となりますよね。

しかしゲーム作家だって複数いる。しかもゲーム作家と呼んでいい人とは具体的にだれか?

ですから現編集者はこの議論は全く無意味だと考える。しかし実は前編集者もやりたいことは、ただただ商業の創作者を持ち上げて、ネット上や同人の創作者を貶めたいだけなんですよね。

とにかく前編集者は私欲を見たすために、この言及の出典とやらを探しましたが、辛うじて、「一次情報以外、個性には役立たない:インターネットやSNS:そうした情報は知識として役に立つことはありますが、ゲームデザイナーが個性を発揮するうえではあまり役に立ちません[30]」という記述を見つけただけだったという。

マリオメーカー、他

マリオメーカーは任天堂が2015に発売した、Wii U用の(3DS用も有)ゲームソフトウェアですね。マリオのゲームの素材を使って、自分でもアクションマリオゲームが作れる。

このソフトウェアでは、自作のマリオゲームを任天堂のWebサイトに投稿、公開する事が出来ます。しかし条件があって、一度そのゲームをクリアしないと、公開はできません。

そして一方、実は、マリオメーカーが発売される前、インターネット上には「改造マリオ」といって、マリオのROMを違法改造して、自作ステージをつくって無料公開する行為が行われていました。

実際には改造マリオのデータを、ゲームとして利用するのはなかなか手間がかかり、むしろそのプレイ映像を動画化し、それが動画サイトで人気になったようです。しかし改造マリオを作るという行為自体が、著作権の問題を持っていました。

そして多くの場合、そのステージの難易度は異常に高くなり、そしてその難易度の高いマリオを実際にクリアする動画が非常に人気を持ったようです。

さて、そこでこのことに関して、前編集者は例え話を始めたのですが、まず一つ目が、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」、だそうです。

つまり…改造マリオの方が人が犬を噛んでいる? すると任天堂本家のマリオメーカーが、犬が人を噛んでいるか?

辛うじてこの例え話の意味は分かるけど、もう一つの例え話がこれ↓なんだけど…

また、アンケート調査などの心理学的ノウハウとして、「あなたは○○を買いますか?」と「あなたは○○を好きですか?」と聞いたときでは、アンケート結果の傾向がかなり異なり、多くの人が、「○○を好きですか?」と質問されても決して実際に好きなものを答えるのではなく、世間から賞賛されそうな趣味趣向の場合にだけ回答で「はい、好きです」と答えるようであるという、分析結果があります。

これはさらによくわからん(?_?)?????

マリオメーカーは買うで、改造マリオは好き?

要するにいつものこの編集者の議論で、商業のマリオメーカーを褒め称えて、Web文化の改造マリオは貶めたいんだろうね。

まあ改造マリオは違法性があるから、別にそれはそれでいいけど…


とにかく E.Suj. はWeb文化を貶めて、商業文化を誉めそやしたい

確かにWeb上には無料コンテンツも多々あるが、商売人たちが仕掛けているのは、有料コンテンツのための撒き餌のようなものだ。一方で同人、アマチュア活動として、無料で作品を公開している人もたくさんいるし、これらのコンテンツまで貶めようと試みる E.Suj. は本当に性根の腐った嫌な人間だね。勿論違法性のある無料コンテンツもあるから、これらは当然非難されてしかるものだろう。

まずゲームに関しては、前編集者の報告では、実際にプレイすることなく、無料動画を見ただけとか、あるいはさらに悪い例はWeb上の言論だけをもとに、特定のゲームを批判する人物がいるようで、これは確かに良くないことだ。

漫画界でも、似たような問題があるようだ。マンガ『ラーメン発見伝』(小学館ビッグコミックスペリオール )では、作中のライバル役のラーメン屋経営者(いわゆる「ラーメンハゲ」)が、ネットの情報をもとにラーメンの実際の食べたときの味を無視してラーメン評論をするラーメンマニアに陰口で悪態をついています。確かに漫画だろうが、ラーメンだろうが、映画だろうが、小説だろうが、実物に触れないのにあれこれ言うのは、基本的には悪いことだろう。

とはいえ現編集者は、v:Topic:読まないのに書評なんてやっちゃったけどね。まあ気にすんなよ^^;;;。

そこで前編集者は、Webを徹底的に否定して、市販本だけに価値を置いているけど、それも極論じゃあない?

ゲームを実際にプレイしないで、各種情報で知った気になるのは確かに良くないこと[31]だけど、我々だってすべてのゲームはプレイできないよ。

それに各種情報から、何となくいけ好かない存在って誰にでもあるものだし、まあ基本悪口はよくないけど、Webは新しい混沌メディアだからね。市販の書籍やゲームが圧倒的に価値高いわけではないね。

新聞の第一面によく載っている、有り得なく馬鹿馬鹿しい書籍の広告、あんなの絶対に買わないし、読まなくたって無条件で悪口言いたくなるよ。

とにかく E.Suj.はゲームに関して、メジャー作品、人気作をプレイせよ[32]、なんて書くけど大きなお世話。自分のプレイするゲームは自分で選ぶね。

YouTube動画に、「アニメ私塾」というチャンネルがあるらしくて、そこで勧める絵の練習法は、プロのアニメ作品の模写らしいけど、これだって単に一つの意見。絵の勉強法なんて無数にあるよ。

まあ確かに漫画に関する違法サイト読書は問題だろうし、検挙もされているけど、同人誌やエロ関係の無断掲載は検挙もしていないように見える。

ただそこで漫画を読むことは倫理的に非難はされるけど、読んだ以上は、作品を読んでいないという評価は違うだろう。勿論不正な方法で読んだという非難は正当だけどね。

結局、E.Suj.の目的は、いい加減な言論を駆使して、既成の商業コンテンツの権威と金を守りたいんだろう。

アナログゲーム(カードゲームやボードゲーム)の設計者は、ネット上の意見はもとより、実際のテストプレイヤーの意見さえあまりあてにならないという考えがあるらしい。テストプレーヤーも様々な理由で本音を語らなかったり、何らかのバイアスであまり有用な意見が出てこないという見方もある。一番重視するのは、実際のプレイの様子を観察することだいう[33]

世のメディアでは、人気投票企画は多いが、基本的には遊びでお祭りでファンサービスで、本格的な統計調査とは別物だろう。

イナズマイレブン、2008発売のサッカーRPG。アニメ化や映画化もされている。中学校サッカー部が舞台だから、中学生がメインターゲットだろう。

この公式サイトが、登場キャラクターの人気投票を行ったという。

作品中に、五条というマイナーキャラクターがいた。中学生で、おじさんぽい顔、眼鏡で目が隠れ、何を考えているかわからない不気味な悪役的キャラクター。

ある匿名掲示板で、おそらくw:2ちゃんねるだと思いますが、このキャラクターへの組織票投票の呼びかけが行われました。

はたして2(5)ちゃんねるに中学生のユーザーがいるのか? 少しはいるかもしれないが、やはりこの組織票祭りの参加者の多くはもっと年長、しかしそれほど年寄りのメンバーもいないように思われる。

まあ結局オタクどもの遊び、祭りということだろうが、しかしその影響か、その公式サイトでの人気投票結果は、五条が一位になった。

まあ不合理な結果と言えば結果だが、ネット上ではその手の馬鹿げたことはしょっちゅう起こる。少しこだわりのある変わり者たちが、自然な状態をかき乱したくて、色々なことを仕掛けてくる。

公式サイトの運営者としては、面白くない展開だが、そもそもイナズマイレブンのゲームユーザーの何割が中学生か?

購買層の中に明らかにこの手のオタク、大きなお友達が、かなりの数占めているだろう。

しかしこういう人たちが、企画内容に大きな影響を及ぼすなら、やはり運営としては面白くない話だ。

AKB48の人気投票は、CDに投票券をつけている形式だが、やはりここでも不規則状況を狙って、投票券目当てでおなじCDを何枚も購入するファンがいるらしい。

勿論この手の、奇矯な手妻は、人気投票の企画者にとっては、面白くないことだが、しかし世の中こういう変わり者は必ずある程度いるものでね、それはそれぞれの企画者が上手に運営方法考えればいいのであって、こんな話をこのページにわざわざコラムとか言って書く意味ある?

美人投票

経済学者ケインズは、投資家の行動を美人投票にたとえた。「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える」、投資家は、この手の美人投票に参加しているようなものだと。普通の美人投票では、自分自身が美人だと思う女性に投票する。しかしこの投資家の美人投票では、賞品目当てなので、自分自身がどう思うかより、票が集まる写真はどれかを予想して投票するだろう。

前述のイナズマイレブンの投票祭りも、自分が好きな登場人物に投票しているわけではない。地味で目立たないキャラクターが一位になれば面白かろうと、示し合わせて、不美人投票をしているのだ。

ノイジー・マイノリティ

ノイジー・マイノリティとは、少数派であるのにその声は大きい、目立つ、目立つにかかわらず、そのような考え方、主張をする人は少数である、だから基本的にはその人たちの大きい声は聞き入れない方が良い、多数派の意見を反映していない、ということでしょう。

基本的にはネガティブな意味を持つ言葉であり、大騒ぎするクレーマーに近いイメージだろう。

なるほどね、確かに現編集者の主張はいつでも希少な少数派の意見に近いだろう。

そしてすじ肉しちゅ~なる人物はいつも多数派の味方で、多数派の安易で愚かな意見が絶対的に正しいと振りかざし、他者を愚弄し常に暴力をふるっている。

そういう多数派の暴力に対抗するために、マイノリティとして常に俺は大騒ぎしているのだが、物は言いよう、言い方を少し変えれば、集団、多数派の暴力が正しいと、言い張る事が出来るんだね。

衆愚の暴力とは、どこまでも防ぐのが困難なのね。

さて、我々は学業でも、スポーツでも、趣味でも、そしてもちろん仕事でも、必ず技能というのがあって、それを日々身に着けている、身に着けようと試みていると考えていいと思いますが、果たして今の自分はどんな技能を持っているのか?そもそも何らかの技能持っているのか?そういうことで悩んだり考え込んでしまうことはありますよね。

E.Suj.のように集団におもねる以外の生き方を一切知らず、大した技能なんかないのに、スキルスキルと威張り倒して他人を貶めること以外何もしない人間がいる一方で、かなりの技能を持っているのに自信が持てず、鬱々と生活している人間もいます。

勿論技能自体はかなり客観的な物でしょうが、他者の技能評価は結構いいかげんで、技能が大したない人間が威張り散らして、ある程度技能がある人間をこき下ろして貶めている事なんて、世の中でしょっちゅう起こっていますよ。

そこで大した話ではないんですが、ある技能からある技能に転向する場合がありますよね。つまり生活自体が変わるのでしょう。特定の技能をふるう生活から別の技能中心の生活に変わること。

具体的にゲーム業務に関する話題では、デザイナーからプランナーに役務が変わるとか…

その時にはやはり、デザイナーとしての自分は封印したほうがいい[34]

やはりプランナーとしての仕事を優先し、デザインに関してあまり大上段に口を出さない方がいいでしょう。

一人で何でも出来るわけではない。しかし偏向した愚か者の集団より、一人の総合的な人間の方が、相対的にいいものを作り出すだろう。

基本的に商業漫画、商業アニメーション、そしてほとんど多くの商業メディアはその根源的な創作部分でさえ、多人数の協業で作られています。一応全体を統括する指揮者はいますが、個々の秀逸な表現はその監督だけの手柄ではない。

これはこの手の物事についてある程度知っている人間にとっては、もちろんたまには例外もありますが、ほぼ当たり前のことで、得意げに語ることでも何でもない。

「と学会」の人が2010年ごろにニコニコ生放送の番組に出演したときに、この人物は、ある漫画原作者にネタ提供したと語ったという。しかしネタ提供といっても様々な形態があり、ピンからキリまであり、実際にその作品に貢献していない場合もあるし、単にこいつ、自慢話したかっただけだろ?

漫画家にしろ脚本家にしろ、色々な事柄にアイディアの元を頼っているだろう。有償無償に関わらず、アドバイザーも多いと思う。

ゴルゴ13なんかは明らかに協業で作られていたし、各種映画やテレビドラマも、様々な人間がその作品の質の向上に寄与している。

歴史ものや軍事物、その分野の専門家が強力に考証を加えているし、当然設定の信頼度も高くなる。

だから創作作品は協業関係が上手に機能して、それを統一した理念でまとめ上げれば、当然質はかなり高いものを作る事が出来る。


可処分時間

経理には「可処分所得」という用語があります。労働者の給料のうち、税金や社会保険料など支払いが義務付けられているものを差し引いた、残りの自由に使えるぶんの金額です。勿論その中から自分の生活費は支出しなければいけませんがね。

そこから類推して「可処分時間」。

前編集者の言葉では、「1日のうちの自分の起きている時間のうち、労働時間などを差し引いた、残りの自由に使える時間」。

だから、もし無職で何らかの理由で生活できるなら、100%が可処分時間でしょう。

で、E.Suj. はこのサイトで、こういう人間をひたすら愚弄するような文章を書き続けて来たのですが、 E.Suj. 自身の可処分時間は何%?

仮にこのサイトでインチキ書いてお金が入っても、それは可処分時間に入れろよ?

そして…「商売の競争とは、消費者の可処分所得の奪い合い」ということらしいけど…希少な可処分時間を奪われたうえ、そいつらに金払うの? 可処分時間って必ず金払って埋めなければいけないの?


クリア保証と戦術性のジレンマ編集

クリア保証編集

ドラクエのレベル成長のシステムは画期的であり、どう画期的かを一言でいうと「クリア保証」である[35]。どういう事かというと、参考文献のリンク先の記事にも書いてあるが、ファミコン以前の1980年代のアーケードゲームではプレイヤーが上手い操作を学習しないとクリアできなかったが、しかしファミコン以降の家庭用RPGでは、プレイヤーの興味ないことは学習しないでも、代わりにレベル上げなどに多少の時間を掛ければゲームクリアできるようになったのである。

たとえば、プレイヤーが攻略法のわからないダンジョンでも、最悪の場合でも経験値かせぎに多少の時間を掛ければ、そのダンジョンのボスを倒せるなどして、かならず最後にはゲームクリアが出来る、というような事でもある。

その他の例では、たとえばゲーム終盤になってから未探検だった序盤の一部ダンジョンを冒険する際、プレイヤーには既にもっと難しいダンジョンを冒険してるのでその未探検ダンジョンから学習できることは少ないが、プレイヤーキャラのレベルが高いために未探検の序盤ダンジョンの敵はプレイヤーにはすでに弱くなっているので、その残っていた未探検ダンジョンにあまり苦労せずに時間を掛けなくてもダンジョンクリアできるように、難易度が上手い感じに自動調節[36]されるなど、RPGのレベルシステムおよび類似システムにはそういった側面もある。


要するに、

  • クリア保証、
  • 難易度の自動調整機能、

の2つが、ドラクエ的なレベルシステムの面白さの本質的・醍醐味であるとのことである。


リンク先の人の意見ではないが、このクリア保証のないデザインのRPGは(RPGでも古いゲームやフリーゲームなどで時々みかける)、表面的にはドラクエ的なインターフェースやステータス画面であっても、中身は似て非なるものであろう。

ファミコン時代の古いゲームなどのバランス調整の失敗(作者にとっては意図的かもしれないが)でよくある失敗として、レベルの上昇の上限を低いところに設定しすぎて、クリア困難になる事例があった(ドラクエ2がそれに近い)。なので、現代への教訓としては、そもそもレベル制限は十分にとるのが安全であろう。


RPGに限らず一般に、ゲームの後半に行くに従って、次ステージ攻略などのための事前準備の増加や、試行錯誤の時間の増加に時間のかかるようになっていく事が多い。そして、ステージクリアに必要な時間の増加が、ゲームを苦手とするプレイヤーに、そのゲームのクリアを諦めさせて挫折感を味あわせてしまう原因になる場合が、少なからずある[37]

自由度編集

文献『ゲームクリエイターの仕事』(翔泳社)によると、一本道のゲームではなく攻略ルートが複数あって自由度があるゲームの場合、それら複数のルートも考慮する必要があります。ゲームの自由度が多くなれば、その「場合の数」に応じて、調整の際に考慮する事項も増えます[38]


勉強の方法論編集

※ バランス調整に限った話題ではないが、他に適した単元が見つからないし、メインページに書くほどでもないので、間借り(まがり)的にバランス調整のページで書くことにする。

共通言語編集

ゲーム業界人たちは商売人なので、いろんなゲームをプレイするように推奨します。しかし現実には、それは費用的にも時間的にも不可能です。

商業ゲーム会社でゲームデザイナーになりたいのなら、人気作のゲーム知識は必要です。手本とするためという理由の他にも、スタッフなどに開発コンセプトなどを説明するためにも過去作のゲーム知識が必要になります」(いわゆる「共通言語」)[39]

とりあえずゲーム業界志望なら、まずは人気作や、過去の人気作、自分が作っているゲームのジャンルに近いものを選ぶのが良いといわれています[40]

前後比較編集

ゲーム制作において、人気作や人気シリーズを、手本の中心にすえる必要があるが、しかし、けっして人気ゲームだけをマネしようとしてはいけない。名作が名作である意義を確認するためには、同時代の他社の作品や、それ以前の過去の作家の作品に、どういう欠点があったを把握する必要がある。そうした前後関係の比較により、理解が深まる[41]

なお、同様のノウハウはアニメ研究の業界でも1990年代から語られており、たとえばアニメ評論家の岡田斗司夫や氷川竜介などが、絶版になってしまったが岡田らの共著『国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』などの書籍の中で例を述べており、たとえばアニメのガンダム初代がリアリティゆえに名作であることを評論したいならば、それ以前の時代のロボットアニメが如何にリアリティが欠けていたかを実際にビデオなどで視聴するなりして確認しなければならないと岡田・氷川らは述べていた。

ともかく、ゲームでも、名作ばかりプレイしていてもダメであり、つまり知名度だけでプレイするゲームを選んでいては、他のクリエイターに利用されて養分になるだけであろう。


岡田斗司夫と「と学会」の著作した『 岡田の国際おたく大学―1998年 最前線からの研究報告』では、書籍中で、ゲーム作家を経験した演劇作家の鴻上尚史(こうがみ しょうじ)の失敗例を東大生が取材したレポートを紹介しているのですが、岡田がそのレポートを評して言うには、おおむね「成功例から学ぶたがる人は多いが、しかし成功例だけから学ぶのは素人。プロは失敗例にこそ学ぶ。」というような感じのことを言っています。

工学の世界では、『失敗学』という概念が畑村洋太郎によって提唱されており、2002年の畑村の論文[42]や、2000年には畑村の著作『失敗学のすすめ』が出版されています。 (wikipedia日本語版には「2005年」に出版とあるが、間違いである。2002年の論文で、2000年の畑村の著作が参考文献とされている[43]。)

実は、2000年よりも前に、ゲーム産業限定ですが岡田が「失敗にこそ学ぶべき」といった内容のことを提唱しています。なお、畑村の論文の末尾の参考文献欄には、『 1) 畑村 洋太郎 編 著:続・続 実際の設計― 失敗に学ぶ .日刊工業新聞社,1996.』とあります。

失敗とスポーツの例え話

ビジネス書で昔からよく言われるのですが、新しいことへのチャレンジには失敗はつきものです。

でも、新しいことにチャレンジして経験を蓄えることが、今後の成功につながるのです。もし失敗をおそれて新しいことにチャレンジしなくなったら、もはや次の成功にはつながりません。

失敗しないけれど成功もしないで市場から淘汰されることになるよりも、失敗してもいいのでそれ以上の大成功をおさめて市場で行き続けることができればいいのです。

よくビジネス評論ではスポーツに喩えられるのですが、スポーツのサッカーや野球などの試合にたとえれば、3点を奪われても、こちらが5点を得て結果的に勝てればいいのです。

逆に、1点しか奪われなくても、こちらの得点が0点なら、試合には負けます。

だから、「試合での負け」に相当するような致命的な失敗さえ、回避できればいいのです

「たとえ失敗しても、試合に負けなければいい」のです。「失点しても、試合に負けなければいい」のです。

塩川氏も、失点しても試合に勝てれば良いという内容のことを書籍で発言しています[44]

さて塩川氏の著作では、失点でない単なる「ミス」を「不具合の発生」、「失点」をユーザーの不利益、「負け」を「売り上げの低下やユーザーの離脱」(長いので抜粋)などと定義しています。


塩川氏の意図は分かりませんが、少なくとも新しいことにチャレンジすれば、未知の失敗は起きますので、ITソフト業界なら、それによる不具合の発生が起きます。

その不具合の結果、ユーザーに不利益が一時的に生じることはあります。しかし、そういう一時的な不利益は、新分野の開拓では避けられません。

ユーザーで実験する前の、最低限の手元や仲間内での実験は必要でしょうが、しかし未然の実験で今後のすべてのミスを防止することは不可能です。


異業種の立場を想像しよう編集

ゲームにかぎらず、文芸でもイラスト趣味でも、、狭いコミュニティ内の内輪ウケばかりに特化していって衰退していっている文化は多い。そうならないように気をつけよう。

内輪受けのマニア化による初心者忌避による衰退をうまく表現できている言い回しとして、プロレス業界の格言ですが「マニアが業界を潰す」という格言があります。なお、この発言は2012年に新日本プロレスリングを買収したゲーム会社のブシロードが買収時に述べた発言「すべてのジャンルはマニアが潰す」が元になっているので、まさにゲーム業界の反省にもとづく考察でもあります[45]。(ブシロードの文脈とは違うかもしれませんが(出展の外部リンク先が有料なので読んでいないので)、本wikiでもおそらく後述していますが、ゲーム業界では1990~2000年の一時期、ジャンルによってはゲームが高難易度化した作品が多くなって、そのため新規参入者が苦手と感じてプレイヤーが減って衰退縮小していったジャンルが幾つかありました。)

なので、ゲーム製作のこういった予備知識のないファンコミュニティの意見ばかりを鵜呑みにして聞いていると、初心者を遠ざけた高難易度ゲームと化してしまうおそれもあります。

特にゲームセンターにある対戦格闘ゲームでは、「初心者狩り」といって、初心者が筐体で練習したくても、熟練プレイヤーが参入して初心者を負かして初心者がゲームプレイヤーになるので、初心者は練習できない。・・・その結果、気がついたらそのゲームの新規参入層が減っていった・・・という事例がありました。

ゲームにかぎらず、スポーツなどの競技の人気でも、似たような現象が見られます。競技というジャンル自体が技巧などを競うものなので仕方ない面もありますが、なんとかして初心者を遠ざけない工夫はゲーム屋には必要でしょう。

ともかく、上述のような色々な理由で、作家側は、体感の難易度が、本当は難しめのゲームなのに「やさしめ」に感じがちである。

実際、日本のゲーム史でも、1990年代の前半ごろは、ゲームの難易度が「むずかしめ」に調整されがちであった。しかし、その結果、世間では「最近のゲームは難しい」と感じる人が増え、日本のゲーム人気は一時期、衰退し、アニメ産業などに人気を取られる事態になった。

作者は答えを知ってしまっている

バランス調整とは少し違いますが、作者はネタバレを知ってるので、シナリオに感動できないわけです。

これは、ハドソン(ゲーム会社名)の『新桃太郎伝説』(スーファミ版)の攻略本『新桃太郎伝説 究極本』(KKベストセラーズ 刊)で、作者の さくま あきら が、読者インタビューに答える形でそう言っています。

ゲーム雑誌での読者からの「ゲーム中、もっとも印象に残ったシーンはどこですか?」という旨の質問に対し、さくま氏は「作者はシナリオの答えを知ってるので、もっとも印象に残るとかそういうのはありません」的な内容の返答をしています。


ティッシュテスター

さて、作者バイアスでバランスが分からなくなるのは作者だけではなく、テストプレイヤーやデバッガーも、そのゲームに慣れてゆくと、次第に感覚が一般プレイヤーとズレていき、テストプレイヤー達もゲームの適切なバランス側が分からなくなっていく。

このことを比喩した表現として、「ティッシュ テスター」(tissue tester)という用語がある。使い捨てティッシュが1枚あたり1度しか使えないように、そのゲームに予備知識の無いテスターも、一度しか使えないのである。「フレッシュミート」(新鮮な肉、fresh meat)とも言います。

かといって、テストプレイヤーの人数にも限りがあるので、ゲーム作者は、たとえ自作ゲームのバランス調整が不完全でも、最低限の調整をしたら、もう「えいやっ」と(フリーゲームや同人ゲームなら)ゲームのver1.00および以降バージョンを出さざるを得ない。

単にバグを探すだけのデバッグ用テストならティッシュテスターでなくても可能ですが、しかしバランス調整ではティッシュテスターがいたほうが効率的です。


要素の相互関係編集

概要編集

文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』によると、調整は、関連あるものを、まとめて同時期に、ただし1個ずつ調整していきます[46]。 このため、まだ関連ある要素を実装しきっていない段階では、調整しません。だから開発の最初から調整することは、まず無いでしょう。

しかし、場合によっては、要素の実装をそろうの待つと調整開始の時期が遅くなりすぎてしまい、計画に支障が出る場合があります。そういう場合、ある程度のまとまりのある実装ができた段階で、調整をするようです。

具体的な調整の判断基準については、参考文献『ゲームデザイン プロフェッショナル』を買ってお読みください。

もし読者が練習として、てっとり早くレベルデザイン・バランス調整の経験を積みたい場合、角川書店(現: KADOKAWA)の『RPGツクール』という制作ツールで実際にゲームを作ってみるのが良いでしょう。文献『レベルデザイン徹底指南書』(大久保磨 著)でも、RPGツクールによる練習・勉強を進めています[47]


マップと敵の相互関係編集

ゲームバランスを決めるのは、敵の強さだけでなく、マップの構成、さらにRPGのダンジョンなら宝箱の中にあるアイテムや装備品の強さ、などなどのさまざまな要素が加わります。

宝箱もマップの構成要素ですから、広い意味では宝箱もマップだとすると、つまり敵そのもののの強さだけでなく、マップもバランス調整に大きく影響します。だから、もし仮に時間が無限にあるのなら、理想的には、ダンジョンなど各ステージののマップが実装されてからバランス調整を行うのが理想でしょう。

しかし、実際には、マップの実装は、なかなか時間の掛かることです。特に、マップを考えることは、そのステージの世界観などを考えることでもあるので、そういった理系的ではない文系的なことも考えなければなりません。

マップに敵を組み込む方式で調整する場合だとマップの実装を待っている間にはバランス調整が出来ないのも、なかなか難しい問題です。

だからマップと敵の調整の順序は、おそらく人や会社によって色々な方式があると思います。たとえば、

マップを作ってからそのマップに敵を組み込んでみてプレイしてみて、敵の強さを決めるのか、
それとも敵の強さを決めてから、マップを決めるのか、
あるいはマップと敵を別々に決めてから、最後に組み合わせて微調整するのか、

などなどです。

ご自身の作品にあった方式をお選びください。

始めよければ全てよし編集

さて、ゲームが長編になる場合、まずはプロトタイプ的に、序盤をやや多めに通しプレイをして、とりあえず序盤のバランスがゲームとして面白くなるように調整すると良いでしょう。

書籍『ゲームプランナー集中講座』でも、ゲームの初めと終わりの印象がよければ、途中のバランスが少しくらい悪くても楽しんでもらえると述べています[48]

※ なお、アニメ産業でも、実はテレビアニメは、第1話と最終話だけ、他のエピソードよりも予算が多めに作られるのが普通です(特に公言はされてないが、多くの作品で明らかにクオリティが違う場合が多い)。

とはいえ、ゲーム制作当初は、そもそも終盤のストーリーがまだ未完成だったりするので、意図せずとも、こういったプロトタイプ的に序盤をやや多めに調整する方法が自然に行われる事になるでしょう。

商業作品でも、たとえば攻略本やファンブックなどに書いてあるゲーム開発裏話などを見ると、RPGでは、(プレイヤーからは数値の見えない)敵の強さのほうを動かすことで、バランスを調整するという事例などもよく紹介されています。よくある話が、最終ボスなどの能力値です。原理的には、敵側の能力値ではなく、味方の能力値で調整したり、あるいは装備品で調整したりしてもイイはずですが、しかしよく開発裏話に出てくるのは、なぜか敵側の能力値の話題ばかりです。

たとえば、スーファミRPG『新 桃太郎伝説』では、最終ボスのパラメータのほうを調整していることが、KKベストセラーズ(出版社名)から出た攻略本『新桃太郎伝説究極本』に書かれています。(調整前はボスはもっとHPが多かった。)

※ただし、あくまでRPG限定の話題。アクションゲームなどでは、違うかもしれない。


また、こういった調整順序の前提として、調整はゲーム序盤から順番に、ゲーム後半に向かって調整していくしかありません。

そのため、古いゲームなどでは、よくゲーム後半で、調整不足のために、極端に難しかったり、あるいは逆にあっけなく簡単すぎる後半だったりなどの話題も、よく聞きます。ドラクエ2の後半ダンジョンであるロンダルキア洞窟とその次ステージが典型です。

さて、プレイヤーに目立つ部分(たとえば味方キャラの能力値や装備品の性能など)を基準にして調整するといって、けっして全く数値をイジラないというワケではないのです。あくまで、(調整による変動幅の大きい敵能力値と比べたら、)「比較的には、味方キャラ関連の数値は、調整による数値の変動の幅が小さめ。敵の能力値は、調整による変動の幅が大きい。」という事にすぎません。


ノイマン「ゲーム理論」で説明できないのがテレビゲーム

日本の人類学者の中沢新一は、ノイマンのゲーム理論で説明できないのが昨今のコンピュータゲームの特徴だと言っています。その発言の出典は忘れたのですが、人類学者で有名な中沢新一は近年、ゲーム産業に関心を持ち、たとえばナムコ出身の遠藤雅信などとも対談しています[49]。(なお、リンク先イベント記事の司会役の「中川」氏とゲストの「中沢」氏は別人なので、混同しないように)


ゲーム理論の用途としては、現代日本の学問では、政治的局面での外交戦略などを語る際によく政治学書で用いられたりします。ただし、そのゲーム理論でも、中沢新一によると、それでコンピュータゲームを語るのは不足だという事です。

中沢は特に言及していないですが、数学的にモデル化するなら、政策応用なら「国際情勢」など外交的な制約によって出力にとりうる値1個あたりの幅や個数が2~3個に限定されたりのような、値の個数が十分に小さくて有限の整数個の場合でないと、なかなかゲーム理論の応用は効果を発揮しません。

(20世紀の天才数学者 フォン・ノイマンの)『ゲーム理論』のような出力値に選べる個数が極端に少ない理論は、コンピュータゲームの調整では不足でしょう。本ページでも、ノイマンのゲーム理論については、版にもよりますが、このコラム以外では特に言及していないだろうと思います(2022年1月までの時点では、ノイマンのゲーム理論には言及していない)。

さて中沢の意見ではないですが、そもそもゲーム理論についてノイマンについての出典として、たしか数学者の森毅(もり つよし)のエッセイ本だったと思いますが、ゲーム理論はもともとノイマンが第二次大戦中の亡命中か何かにトランプのポーカーを参考に考えついたらしいです。


ネット上のゲーム評論では、経済由来の表現でよく使われる表現は、ゲーム理論ではなく「インフレ」「デフレ」などといった表現です。

経済学を知らなくてもゲームは製作できるでしょうが、どうしても経済学を参考にするなら、ゲーム理論よりも物価政策のほうを勉強したほうが良いかもしれません。

一応、書籍『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』ではゲーム理論も紹介されていますが、しかし具体的にどうゲーム作りにゲーム理論を応用するかは書かれていません[50]


各論(デザイン的なこと)編集

どの程度、レベル上昇でキャラクターを強くすればいいかについては、ハドソン社あたりでの有名な慣習があり、新しく訪れたダンジョンなどでは「レベルが3上がると、敵を1撃で倒せるようにすべし」という有名な基準があります[51]。他社ゲームでは別かもしれませんが、だいたいスーファミ時代の桃太郎伝説シリーズはこんな感じに調整されているはずです。

RPGのダメージ計算式編集

特化型が有利になりやすい編集

文献『ゲームプランとデザインの教科書』によると、ファミコン時代のゲームに限らず、21世紀の現代的なゲームでも、「なんでも平均的にできる」キャラクターよりも「○○だけなら自分が一番強い」といった感じの特化型のキャラクターが戦闘では強くなりやすい傾向があります[52]。対して、バランス型は「器用貧乏」になりやすいのが現状です[53]

なお文献『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』によると、ダメージ計算式を考えるのは(プログラマーの仕事ではなく)ゲームデザイナーの仕事です[54]


では、特化型が有利になりやすい原理を、これから説明していきます。

たとえば、キャラクターに能力をプレイヤーが自由に選んで振り分け配分できるシステムのゲームがあったとしましょう。(商業ゲームでも、いくつかの作品で、似たようなシステムのRPGがあります。)

説明の単純化のため、合計値が必ず100だとしましょう。

つまり、たとえば下記のようになります。

作成キャラの能力例
(※ 合計100)
ちから: 10
たいりょく: 30
しゅびりょく: 10
すばやさ: 40
きようさ: 10


さて、別の作成キャラ例を考えます。

平均型キャラA
ちから: 20
たいりょく:20
しゅびりょく: 20
すばやさ: 20
きようさ: 20
(※ 合計100)

のように、能力値を平均にふりわけたキャラクターと

合計値は同じですが、特定のパラメータに特化して能力値を振り分けした

特化型キャラB
ちから: 40
たいりょく:20
しゅびりょく: 30
すばやさ: 5
きようさ: 5 
(※ 合計100)

のようなキャラクターを、

コンピュータ上でRPGの戦闘システムのアルゴリズム上で対戦させた場合、

ほとんどの20世紀のRPGのアルゴリズムでは、特化型のキャラBのほうが勝ち、つまり特化型のほうが強くなってしまいます。

さらに言うと、たいてい「攻撃力」のような、敵にダメージを与える意味のパラメーターに振り割ったほうが、キャラクターが強くなるゲームのほうが多いです。(ファミコン時代から、ウィザードリィ1の攻略本でそういわれていました。敵モンスター『ワイバーン』あたりの攻略法として「攻撃は最大の防御」という格言を出しています。表紙の黒かった攻略本なので、たぶんゲームアーツの本。『ウィザードリィ攻略の手引き』(MIA BOOKS)かと思われます。)

なぜこうなるかと言うと、なぜなら、もし攻撃力が上がると、敵を倒すのに要するターン数も減少するので、結果的に敵を倒すまでに自キャラの受けるダメージ量も減るからです。(なお、現実の軍事学でも、似たような事が言われており、戦術論ですが、クラウゼヴィッツ(近代ドイツの軍事学者の一人)は防御重視の作戦よりも攻撃重視の作戦のほうが有利だと述べています。防御だけで攻撃しなければ、現実でもゲ-ムでも戦闘では絶対に勝てません。)


裏を返せば、平均型能力のキャラは、多くのゲームシステムでは弱くなりがちです。

パラメータの振り分けは自由ではないですが、ドラクエ2(ファミコン版)でいう、サマルトリア王子が弱くなる現象です。ファイナルファンタジー3・5の赤魔導師も、似たような弱点を抱えています。


理由はいろいろとありますが、バランス側の弱くなりやすい理由のひとつとして、参考文献などは特には無いですが、

・ウィザードリィやドラクエなどの古いRPGのアルゴリズムが、特化型に有利になっているという歴史的な経緯。
・命中率などの確率に関わるパラメータ(「器用さ」)のある場合、パラメータ割り振り前から既にある程度の底上げ補正がされている場合が多いので、わざわざ命中率を上げると割り損になる。
・「すばやさ」(素早さ)が攻撃の順番にしか影響しない場合、素早さが低くても1ターンに1度は攻撃できるので、素早さを上げると損。

などの理由があるでしょうか。


命中率に関しては、多くのRPGで、攻撃が外れるのは、プレイヤーに不満感を与えるので、たいていのゲームでは、ゲーム序盤のレベル1のキャラであっても、数値上での「命中率」や「器用さ」などの表向きの命中率が低くても、たとえば「命中率 40」と表示されていても、実際のゲーム内部での命中率はたとえば+20%されてて本当の命中率が60%だったりするような場合もあります。


このような底上げ命中率のあるシステムだと、20%底上げされる場合、命中率を80%以上に育てるのは損です。なぜなら100%以上には上がりようが無いからです。

命中率が101%以上の場合に特殊な追加スキルなどを獲得できるなら別ですが(たとえば、クリティカルヒットの確率がけっこう増えるとか)、たいていの古いゲームでは、そこまでの手入れをしていません。おそらく調整に時間が掛かるからでしょう。

ダメージ計算式編集

さて、RPGの戦闘におけるダメージの計算式(「ダメージ計算式」といいます)に、アルテリオス計算式というのがあります。これは、昔のゲーム『アルテリオス』で採用された計算式なのですが、

攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ

という計算式です。

ドラクエやファイナルファンタジーのシリーズの計算式はもっと複雑なのですが、どのRPGでもダメージ計算式の基本的な設計思想・方針はアルテリオス計算式と同じです。


アルテリオス以外のダメージ計算式でも、たとえば

1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ

というような感じの計算式である作品も多いです。

せいぜい、変数の前に定数係数が掛かっている程度です。

なぜ、どの会社のRPGでも、この程度の中学校レベルの単純な計算式なのかというと、バランス調整が簡単だからです。

バランス調整するのは人間なので、もし、ダメージ計算式があまりに複雑な方程式であると(たとえば量子物理のシュレーディンガー方程式みたいなのだったりすると)、そもそもバランス調整担当の社員が理解できません。


そして、このアルテリオス式を見ると分かるのですが、

攻撃側の攻撃力 - 守備側の守備力 = 守備側のダメージ

もし自軍の攻撃力が0の場合、敵にダメージを与えられないので(ダメージが0)、絶対に負けてしまいます。つまり、攻撃力が敵の守備力を下回る場合も、絶対に負けるのです。

一方、「すばやさ」パラメータが戦闘の先攻/後攻の順番にしか影響しない場合、素早さが0であっても、勝つことは可能です。

また、守備力が0であっても、勝つことは可能です。

このように、パラメータの種類ごとに、そのゲームにおいて重視・軽視の差があり、不公平になっている事が多いのです。


また、バランス型の能力値のキャラクターの場合、せっかく「ちから」を上げて攻撃力を上げても、守備側の守備力を下回っていると、ダメージ0になってしまい、絶対に負けます。

つまり、

自分の攻撃力 > 敵の守備力

でないと、アルテリオス式では必ず負けるのです。


一方、

1.3×攻撃側の攻撃力 - 0.75 × 守備側の守備力 = 守備側のダメージ

のように係数を掛けた計算式の場合、

守備力を1ポイント増やしても、その効果は25%減少されます。(たとえばレベルアップの際に上昇パラメータを一種類選べるシステムの場合、守備力を選ぶと損になる場合が多い。)

いっぽう、攻撃力を1ポイント増やすと、効果は30%増しです。

このように、計算式によって、有利/不利なパラメータという格差が生じます。


DPS (Damage Per Second) の概念編集

※ 出典は無いが、あまりに有名な概念なので、さすがに消さない。

最近のRPGゲームには攻撃コマンド選択時に「二段斬り」などのスキル選択ができます。

スキルを設計するとき、昔の初心者のやりがちなミスとして、最近は減ってきましたが、スキルの結果の見かけの数値にゴマかされて、実はスキルが強くなってない特技を設計してしまうミスが時々ありました。

たとえば典型的なのは特技『ためる』です。これは、次回ターン時のダメージを数倍に倍増し、次回ターンの1回だけ、ダメージを倍増させる特技です。

この『ためる』は必ず、次回ターン時のダメージが2倍を超えないと(たとえば2.5倍にならないと)、無意味です。

なぜなら、『ためる』コマンドを選択したターンは、攻撃をしてないからです。


つまり、スキルを使わずに普通に2ターン通常攻撃した場合、ダメージ量は単純計算で

1+1=2

より、2ターンぶんのダメージです。

いっぽう、『ためる』コマンドを使えば、それがもし2倍しかダメージが倍増しない場合、

0+2=2

で、結果は同じ通常攻撃2発ぶんのダメージのままです。


計算すれば子供でも分かる理屈ですが、しかしファミコン時代には市販の商業ゲームですら、こういうミスがありました。たとえばファイナルファンタジー3の職業『空手家』のスキル『ためる』です。


このようなミスを犯さないために必要な概念としては、DPSDamage Per Second) の概念が便利でしょう。DPS とは1秒あたりのダメージ量、という意味です。

もともと欧米のアクションゲームについての理論研究に由来する用語なので、単位が 秒 (second)になっていますが、RPGに応用する場合には単位をターンに変えるなどして工夫しましょう。


このDPSの概念を使って、上述の『ためる』コマンドの設計ミスを説明すれば、つまり、1ターンあたりのダメージ量(DPS)が上昇していないのが問題点です。


では、私たちが改善策を考えましょう。数学的に考えれば中学レベルで充分で、

0 + x > 2

を満たす変数xを設計するだけの問題です。

なので、たとえば、『ためる』後の攻撃ダメージ量を「2.5倍」とか「3倍」とかの数値に設計すればいいのです。


では、次に応用問題を考えましょう。

「『ためる』を2回続けると、さらにダメージ量がアップ」などのシステムを導入するときも、必ずDPSが増えるようにしましょう。

たとえば、この場合、ダメージを与えるのに最低3ターンが必要なので、不等式を考えれば、

変数xについての

0 + 0 + x > 3

を満たさないといけません。


つまり、『ためる』2回後のダメージ量は、最低でも「3.5倍」のように3を超える数値、あるいは整数に限定すれば、たとえば「4倍」とか「5倍」とかになっている必要があります。

KPI編集

Key Performance Indicator という経営的な指標があり、『レベルデザイン徹底指南書』P140 および 『ゲームプランとデザインの教科書』P70 によると、共通しているのは後述の内容です。なお、『ゲームプランとデザインの教科書』P67 によると、オンラインゲームの運営などで使われる用語ですが、別にゲーム業界限定の用語ではありません。


DAU(Daily Active User)
デイリー・アクティブ・ユーザー

DAUとは、その日に遊んでくれたユーザーの人数です。


MAU(Mathly Active User)
マンスリー・アクティブ・ユーザー

MAUとは、その月に遊んでくれたユーザーの人数です。


WAU(Weekly Active User)
ウィークリー・アクティブ・ユーザー

WAUとは、その週に遊んでくれたユーザーの人数です。


PU(Paying User)
ペイング・ユーザー

課金ユーザーの人数のことです。その日を課金ユーザー人数をDPU、その月の課金ユーザー人数をMPUと言います[55]


課金率

たとえば、ある月のユーザ数のうちの課金ユーザーの割合など、 一定期間中の課金ユーザーの割合を言ったりしますす[56]

あるいは、全ユーザーのうちの課金ユーザーのことだったりしますす[57]。(書籍によって、内容が微妙に違う)


継続率

前月と比べて今月はどんだけユーザーが残っているかとか、あるいは前週と比べて今週はどんだけユーザーが残っているかのことを、 継続率といいます。


(以上)

このほかにも、色々な指標があります。

参考文献・脚注など編集

  1. ^ 川上大典ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.57
  2. ^ 川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.58
  3. ^ 吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P234
  4. ^ 4.0 4.1 蛭田健司『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖』、翔泳社、2016年4月14日初版第1刷発行、P78
  5. ^ 『ゲームプランとデザインの教科書』,P342
  6. ^ 『ゲームプランナーの新しい教科書』、P210
  7. ^ 『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97
  8. ^ 塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173
  9. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205
  10. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.167
  11. ^ 『ゲームプランとデザインの教科書』、P401
  12. ^ 吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、225ページ
  13. ^ 『ゲームプランとデザインの教科書』、P.61
  14. ^ https://www.teu.ac.jp/ap_page/koukai/2019_03_3endo.pdf 66ページ
  15. ^ https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190731a
  16. ^ https://www.fantasy.co.jp/edutainment/article/interview16
  17. ^ STUDIO SHIN『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版 第2刷 発行、P182
  18. ^ 吉沢秀雄『ゲームプランナー入門講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ
  19. ^ 吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、226ページ
  20. ^ 吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版 第1刷発行、228ページ
  21. ^ 吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P60
  22. ^ 川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日第1版第1刷、P.254
  23. ^ 『ゲームプランとデザインの教科書』、P66
  24. ^ STUDIO SHIN 著『ゲームプランナーの新しい教科書』、翔泳社、2018年3月10日 初版第2刷発行、54ページ
  25. ^ 吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P207および235ページ
  26. ^ 吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日 初版第1刷発行、P207および235ページ
  27. ^ STUDIO SHIN著『ゲームプランナーの新しい教科書』、P198
  28. ^ 吉沢秀雄『ゲームプランナー集中講座』SBクリエイティブ、2015年12月29日初版第1刷発行、P208
  29. ^ 吉冨賢介『ゲームプランナー入門』、P56
  30. ^ 『ゲームデザイン プロフェショナル』、P314
  31. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.282
  32. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280
  33. ^ 『ゲームプランとデザインの教科書』、P338
  34. ^ 大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81
  35. ^ 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 2020年12月21日に閲覧して確認.
  36. ^ 『「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】』2017年9月5日 16:30 2020年12月21日に閲覧して確認.
  37. ^ 遠藤雅伸『ひとはなぜゲームを途中でやめるのか?-ゲームデザイン由来の理由-』6.まとめ 2020年12月21日に閲覧して確認.
  38. ^ 『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』、P78
  39. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P278
  40. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P280
  41. ^ 吉田寛・松永伸司『“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門』、電ファミニコゲーマー、2020年6月15日 12:02 2020年11月27日に閲覧して確認.
  42. ^ 『失敗学のすすめ』
  43. ^ 『失敗学のすすめ』
  44. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P.334
  45. ^ 『【最終話・木谷高明】すべてのジャンルはマニアが潰す』 2019/10/5 2021年11月7日に確認
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  47. ^ 大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日 初版 第1刷発行、P81
  48. ^ 『ゲームプランナー集中講座』、P236
  49. ^ https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/nakagawa-endo_bb/2 『ゼビウスからポケモンGOまで… 国内ゲーム史を遠藤雅伸氏と『現代ゲーム全史』著者が振り返る。中沢新一氏も壇上に登場!【イベントレポ】』 2017年4月12日 12:30 公開 ] 2022年1月18日に確認.
  50. ^ 『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P64
  51. ^ 『ゲームプランとデザインの教科書』、P.94、 ※ 著者のひとりの「平川らいあん」氏はハドソン出身
  52. ^ 川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227
  53. ^ 川上大典 ほか著『ゲームプランとデザインの教科書』、秀和システム、、2018年11月1日 第1版 第1刷、P.227
  54. ^ 『ゲーム作りの発想法と企画書の作り方』、P145
  55. ^ 『レベルデザイン徹底指南書』、P140
  56. ^ 『レベルデザイン徹底指南書』、P140
  57. ^ 『ゲームプランとデザインの教科書』、P70