ゲームを作りたいな、よし、ゲームを作ろう。でも…

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しかし自分の本当の目的ってゲーム作り?

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「ゲームを作りたい」と思ったのなら、まずはあまり細かい難しいことは考えず、実際に作り始めてみるのが一番いいと思います。もちろんプログラミングについてほとんど何も知らないのなら、ある程度の勉強は必要ですが、ある程度の知識があるのなら、プログラミングの技量や知識の充実を気にするよりは、実際にゲームの完成を目指してプログラムを書いてみるのが一番いいようですよ。その過程でプログラミングの学習や経験は積んでいけますしね。JavaScriptやPython、無料でプログラミングに取り組める環境も、今現在では充実しています。

しかし、ゲームをプレイするのが好きだからと言って、ゲームを作る、までが本当に自分が好きかどうか、試しに少し作ってみたら、少し考えてみるといいですね。

例えば読者の中には、「私はRPGが好き」という人も多いでしょう。

RPG が好きという事はおそらく、よくRPGの題材になる西洋ファンタジーのストーリーや世界も好きという場合が多いでしょう。そして一方で現実のコンピューターRPGで魅力的に提供される、イラストや音楽が好きという場合もあります。

実際のゲーム業界の人々も、ゲームを彩るイラストレーションや音楽がいかに重要な要素かを語っています[1]

さて、ここで問題なのですが、「ゲームを作りたい」と貴方が思っていたとして、あなたが本当に作りたいのはゲームなのか?あるいは本当はイラストが描きたかったり、音楽を作りたいのではないか?

…というのは、ゲームというのは総合的な分野ですから、イラストや音楽はその要素として確実にありますが、それ以外、プログラミングやシナリオなど、様々な創作や創造が必要で、全ての作業量はかなり多いものになるでしょう。

そしてゲーム、コンピューターゲームにはゲーム独自の世界観があって、現実や小説や映画とは違う、独特の法則に支配された世界を作る必要があります。ある意味リアリティを持たない、リアリティから外れた世界です。だから、小説のようなリアリティにこだわるなら、ゲームは不向きかもしれません。

ゲーム作り始めの時点では、これらの判断は明確でなくても勉強目的でも構いませんが、しかその内「自分は本当にゲームを作りたいのか? Yes or no?」という疑問への答えが必要になるときがくるかもしれません。

試しにゲームを作ってみて、もし自分の本当の目的がゲームでないと分かったなら、それ以外の活動に移るのも、取る道の選択肢でしょう。

給料は安い

職業として、商売としてゲームを作る場合、ゲームプログラマーの給料は洋の東西を問わず、安い事が知られており、書籍などでも言及されています。たとえば『CAREER SKILLS ソフトウェア開発者の完全キャリアガイド』(ジョン・ソンメズ 著)という欧米人のプログラマーの書いた本には、アメリカのゲーム業界ですらハードワークの割に賃金が低い事が記載されており、もし給料の高い仕事につきたいならウォールストリート(※米国の金融ウォール街のこと)のための仕事をするべきだと書籍中で指摘しています。

日本でも同様にゲーム業界の報酬が低いことは知られており、多くのゲーム会社の伝記漫画でも、よく語られています。

アニメーション業界と比べたら、ゲーム業界のほうが報酬が高いことは事実かもしれませんが、これは実は恐ろしいことに、アニメーション業界の報酬が異常に低いだけで、アニメーション業界よりはましだけど、結局は…というのが現状でしょう。

同人ゲーム以外の発表の場

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2001年ごろの日本はネットを活用した同人ゲーム黎明期、フリーゲーム黎明期で、実験的な時代でもあり、多くのイラスト愛好、創作者や音楽創作者がゲーム制作に手を染めていたようです。この頃、まだイラスト投稿サイトや小説投稿サイトといったものは無かったか、あったとしても小規模でマイナーなものでした。

しかし2010年のあたりから各種の投稿サイトが普及したことにより状況は変わり、むしろ現在では、小説やイラストを発表したい人はそのジャンルの投稿サイトに直接アクセスしたほうが早く、そのためゲームを通して発表するのは人によっては廻り道かもしれません。

それをわかったうえで、それでもゲーム制作に身を投じるかを考えた上で、「よし、自分はゲーム制作をしよう」と思えるなら、ゲーム制作をするのが良いでしょう。

実際、今現在の作曲家やイラストレーターは、ゲームに関わったとしても、専門家として楽曲やイラストを提供するという立場に過ぎない場合もあり、自分自身が主体になってゲーム制作をする人は、プロアマ問わず少数派のように見えます。

同人ゲームの世界でも現在は(2021年頃に記述)、プログラマー系の作者が圧倒的に多い様です。

しかし、専門外の人だからこそ、メディアミックス的な意外な視点で新しいものが作れる可能性もあるかもしれません。コピーライター、作家の糸井重里が、マザー2の企画にたずさわった例もあります。しかし、あくまで「可能性」であり、成功はけっして保証されてはいないので、読者の自己責任でお願いします。

今現在のゲーム専門学校のカリキュラムはプログラミングが主体です。CGの授業は、週に2時間程の様。一方でゲームCG、或いは、一般CGに特化した学科もある様です。

あるWikibooks編集者Aは、もしイラストを描きたいなら、イラストの世界で描くのが安全、と考えています。ゲームプログラミングについては、プログラムを書ける人は絵コンテも描けそうだし、基本的にある程度の作図的なイラストを描ける人は多いだろうから、別にプログラミングに専念しろとは思っていません。

さて、読者がゲーム制作を職業として目指すのかどうかはともかく、とりあえず、ゲーム業界の状況を知っておくのが有用でしょう。

結局商業界の状況が権威をもってその分野を支配しているのがこの社会の基本なので、趣味でも職業でも、業界周辺のことを知っておくのは得ることが多いはずです。

文献『レベルデザイン徹底指南書』では、現実世界で自分が新しいスキルを1つ覚えたら、古いスキル1つはどれか忘れる必要があることを説いています[2]。著者は、最初はグラフィッカーでしたが、しかしプランナーに転職したので、グラフィック関係の技能は仕事では「忘れて」しまった、という内容を述べています。ただし、比喩的に「忘れる」とは言っていますが、実際には忘却し無くなってしまったわけではなく、仕事では時間の都合により両立できないので、グラフィック関係の技能は例え話で「忘れた」、のであり、現実にはグラフィッカー時代に培った観察眼をプランナー時代の現在でも活用している、と、書籍中では述べられています。

このことは職業、あるいは技能とは一般的にそういうもの、と考えることができるでしょう。


ゲーム業界のプランナーに限らず、演劇の世界でも舞台監督の仕事がそんな感じであり、ついつい大道具とか小道具とかを舞台監督が手伝ってしまうと本来の管理業務に支障をきたすので監督は手伝わないように(監督は指示を出すのに徹さなければならない)、監督は自身を注意する必要があります[3]。高校生向けの演劇部の本にそう書いてありました。こういう分担作業の出来ない人は高校教師以下なので、反省してください。

漫画家大塚志郎のアドバイス

同人ゲーム界では、ゲーム制作と、イラストまたは作曲などを一人で兼ねている作者も、ある程度は居ます。一方ネットの世界には様々な簡単に利用できるフリー素材もあるので、イラスト作画や作曲をしなくてもゲーム制作は可能ですよね。

一人でイラスト作画や作曲をしながらゲーム制作をするのはある意味マルチタレントだとも言えますが、現実にその創作をしている人たちは、かなり年長のこの分野の熟練者が多いようです。若い19歳ぐらいの頃に、それらマルチジャンルを両立するのは、一般にかなり困難なことだと思われます。

漫画家の大塚志郎は、漫画家を漫画創作の手本にするならデビュー時代を手本にするのが良い、と、漫画家向けの技法の教育漫画で語っています。

大塚は、漫画家の人生のうちで、これからデビューを目指している新人に近い境遇にあるのは、ヒット後の漫画家の生活状況ではなく、まだ無名・マイナーな時代の態度・生活だ、と描いています。成功後の熟練した漫画家より、若いデビュー直後の作家をお手本にするのがいいだろう、という主張ですよね。

さて、それでもデビュー時代から複数ジャンルの同人活動を均等に兼業する意思が硬いなら、それはそれでひとつの考え方ですが、上述のリスクを知っておく必要があるでしょう。

ゲーム業界は産業のエンジン役?

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かつてはゲーム産業が、日本のIT産業やデジタル家電産業の中心的・牽引(けんいん)役であった時代がありました。しかし、2010年以降、この考えは当てはまらなくなっています。

PlayStation1~2あたりまでの時代には、経済評論誌の未来予想でも、「もしかしたら今後、家庭用の据え置きゲーム機がパソコンの代替品として、家庭のリビング家電の標準品になるかもしれない」という予想があった。ゲーム産業がそのような牽引役として、経済界から期待されていました。ソニーが国産CPUをプレステ2〜3に搭載したり、WindwosのマイクロソフトがXBOXでゲーム機に参入したり、そういう時代です。

しかし2020年代の今は違います。結局、2020年代のゲーム機に使われてる技術や部品は、パソコン用の部品や技術の流用、ゲーム機のCPUも、今やインテルなどのパソコン用CPUをゲーム機でも使っています。

もはや現代は、ゲーム業界は、産業のエンジンではないようです。

ですから今現在、新しい技術に興味ある人は、ゲームにこだわらず、直接的にその技術を勉強し改良したほうが近道です。

たとえば、インターネット技術を使って何か新しい事をしたいなら、ゲームを作るよりもwebアプリやサーバーwebサービスを作るべきだし、目的のネットワーク用ソフトウェアをそのまま制作したほうが早いし確実です。

古い経済知識の先入観にとらわれず、無理にゲーム制作にこだわらないほうが、自分自身の技能やキャリアも開けていくでしょう。

2010年に出版された商学書籍『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』には、「しかしながら、ファミリーコンピュータで世界に攻勢をかけ、その後圧倒的な強さを誇っていた日本の家庭用ゲーム産業も、90年代末からはその競争力にかげりがみえはじめた。日本の国内市場は伸び悩み、成長率は鈍化傾向にある(図表7-3)。」とあります[4]

その「図表7-3」の統計値によると、

ファミコン発売の1993年には2268億円、
スーファミ発売の1990年には2430億円、
プレステ1発売の1994年には3882億円、
1995年には急成長して4769億円、
1997年には4795億円で、ほぼこの頃がピークであり、
2000年には3768億円にまで低下(プレステ2の発売年)、
2005年には3151億円まで低下(XBOXの発売年)、

である。(青島らが『レジャー白書』、『情報メディア白書』、『月刊トイジャーナル』、『CESAゲーム白書』などをもとに作成した図表の統計値です。)

また、2010年の時点の商学研究では、1997年を境に、ゲームソフト市場で競争する企業数が増加傾向から減少傾向に転じた[5]、とも言われています。

書籍『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』にも、引用文「家庭用ゲームは日本がその本格的立ち上げを主導し」[6]と書かれているぐらいで、1990年代は日本のインパクトが強かったようです。

なお、携帯電話の分野で、日本は国際的な地位を喪失したのに対し、デジタルカメラとゲームは「現代」(参考文献の著作時2010年ごろ)でも日本が主要な地位にある[6]

読書について

ゲーム業界と関連のない文献も、この教科書では出典として書かれていますが、これはこの頁の主要執筆者Sが、多量の市販本を読む以外に知的活動の方法を知らないことと、自分自身の文章の権威と信頼性を、著名人の威を借りて確立したいからでしょう。

ゲーム業界を志望するなら、ゲーム業界人の書いた本は少なくとも何冊かは読んでおくといいでしょう。

ネット上では、業界人ではないのにもっともらしく書かれた文章も多いですし、おそらく本Wikiの執筆者にも本格的なゲーム業界関係者は一人もいないでしょう。

業界人達のSNS発言ではなく、現代では書籍があるので、実際に書籍を手に入れて読むのがいいですね。書店で販売される書籍というのは、けっして著者だけの意見でなく、編集者や校正者、周辺の職業人達が査読をして、内容の信憑性を確認しています。

何十冊も本を読むよりはプログラミングを書く実践のほうが重要でしょう。

『ゲームデザイン プロフェッショナル』著者であるFGOクリエイターも、ゲーム開発の書籍は読んでおくべきだと忠告しています[7]。また、ゲームデザイン本で学んだ知識は、ゲーム業界以外でも仕事術として活用できます。たとえば上司への業務報告の報告・連絡・相談(ホウ・レン・ソウ)などの考え方は、ゲーム業界でなくても活用できます[8]

いっぽう、もし最新IT技術を勉強したいなら、読むべきは、ゲーム制作の解説本ではなく、そのIT技術の解説本など、そのものの書籍を読むほうが近道でしょう。


ゲーム、産業、コンピュータに関する多少の昔語り

ゲーム機が産業のけん引役かと語られた時期は、おおむね2000年以降~2010年あたりまで、です。

現・経済評論家の池田信夫(いけだ のぶお)は、1980年代の当時NHK記者だったのですが、彼は当時のIT業界やゲーム産業も取材しており、80年代当時は経済界などから未来技術として本命視されていたのは人工知能だったが、実際に流行した技術はゲーム産業だった、というような内容のことをブログで発信したことがあります[9]。なお、池田は、「大手コンピュータ・メーカーは、ゲームを無視した(*)。」と書くが、実際には90年代にもNECのPCエンジンや、富士通がスポンサーについたPCゲームソフト、ゲーム業界ではなくアニメ業界でも電機メーカーだが東芝のスポンサーしたOVAや大手ではないがパイオニア社のスポンサーしたOVAなど幾つかあるので、少し事実と違うように思う。

1998年頃、評論家の岡田斗司夫が、未来予想の一貫として、「これからゲーム機が、(パソコンではなく)家電の中枢になるだろう」という内容の未来予想をしていました。岡田の著書『東大オタキングゼミ』(自由国民社、1998年)で、この言及が読めます(たしか)。岡田の東大での講義を加筆修正してまとめた書籍なので、実際の講義はその数年前に行われていたのだろう。

岡田の東大での講義は東大生のその後の進路、官僚や大企業のビジネスマン達に大きな影響を与えただろうし、新進評論家として、この国の政治・経済人達も、その言論を多少参考にしたかもしれない。

実際、2008年(リーマンショックあたり)くらいまでの日本の家電業界の投資は、ソニーがゲーム機のCPUを作ったことがありましたし、岡田の予想を参考にしているような面もありました。

ですが実際の2001年以降の家電業界の結果は予想とは少し外れました。まず

  • 冷蔵庫もエアコンも全くデジタル化(IoT化)されず、家電のほとんどが外部からのコンピュータ制御を必要としない状況。
  • 個々人が持ち歩いているデジタル家電は、携帯ゲーム機ではなくスマートフォンになった。
  • パソコンは多くの家庭に今もインターネット用端末などとして残り続けている。

一方岡田は東大オタキングゼミで、98年当時の時点で任天堂が莫大な現金資産(たしか数千億円ほど)を持っていることに注目しています。

一般の大企業は、現金ではなく株券や不動産などの形で資産を蓄えています。しかし任天堂は、銀行口座の現金だけで数千億円という、非常に資金力の高い企業でした。今や世界的なゲーム大企業になっています。

また、日本だけでなくマイクロソフトのXBOXなど、実際に欧米の企業もゲーム機に参入していた。このへんの雰囲気は、動画サイトでXBOXの開発談等、マイクロソフトの開発動画を見てみると、この企業もゲームが単に市場だけではなく技術としても意義がある、と、感じていた雰囲気がつかめると思います。

そして90年代の岡田が先ほどの著書で言うには、おおむね「よく人々はスーパーコンピュータなどの大型コンピュータに未来を夢見るけど、これからの技術はむしろ小型、短小な軽量端末の開発だ」といった内容(手元に書籍がないので言い回しは多少は違うかもしれません)。

しかしすじ肉しちゅ~はなぜこんなに岡田を誉めそやしたいのかね? 岡田のパシリ? 腰ぎんちゃく?

また評論家の阿部弘樹によると、90年代の当時の少なくないゲーム消費者は汎用機(パソコン)を不信していました。汎用機から出るゲームはつまんないのばっか、と、と考えていた人が多かったようです。岡田も同様の認識であり、「ゲームに限らず汎用機で例外的に優れたソフトがあっても、需要があるなら専用機が開発されているはず」という認識であり「だからパソコンではなくゲーム機こそが未来技術だ」と、主張していました。

とは言え実際、パソコンゲーム出身のゲームでも、「信長の野望」など人気作は、スーパーファミコンやプレステに移植されています。

ソニーからプレイステーション2が出たときは、当時のソニー経営者はDVDも見れる汎用機としてインタビューなどで宣伝したが、数日後に広報・宣伝がゲーム専用機として宣伝しなおした、と阿部弘樹が論じました。

だからゲーム機というのは、本来はデジタル家電の中枢端末を目指しているのだが、表向きはゲーム専用機、と、多くの人たちが見做す事になる。

産業としてのゲームの重要性は、90年代ではあまり語られていなかった。経済評論誌で語られるようになったのは 2000年以降のようです。

ゲームプログラミングは面白い。しかし、そんな楽な事ではない。

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ここでいう「プログラミング」とは、C言語などのプログラム言語による開発のことです。RPGツクールなど開発ツールによるゲーム制作の話は原則していません(本書『ゲームプログラミング』はあくまでプログラミングのための教科書です)。

さて、よくネットや、あるいは日常でも(C言語などによる)「ゲームプログラミングは簡単だよ。イラストやシナリオのほうが難しい。」、などという人がいますが、この発言の心は、「俺はプログラミングもイラストもシナリオも出来る凄い男だぜ。しかもプログラミングなんて簡単だし、むしろクリエイティブなイラストやシナリオの方に精力を費やす偉い奴だぜ^^」という、世間に良くいる武勇伝、自慢を語りたがる、インチキ親父が吹かしているだけなので、あまり真面目に取り合わないのが正解だと思います。

まず第一に、不当にプログラミングの価値を貶めている言説ですよね。

Visual C++またはVC# 、あるいは Direct Xなどを使ってプログラミングすることは、そんなに簡単なことではないでしょう。

ゲームプログラミングの入門書などには、初心者でも理解できそうな比較的簡単ないくつかのサンプルコードがありますが、それは初心者でも簡単に書けそうな技術だけを抜粋してるという、あくまで例外です。

RPGならたとえば、ドラクエ3のような戦争画面の行動順を処理するソート機能をつくるだけでも一苦労ですし、ほかにも道具・アイテムなどの自動整理をはじめとする標準機能を作るだけでも一苦労です。

決して上手い人のサンプルコードをコピーアンドペーストをして終わりという訳にはいかず(そもそも現状そのようなサンプルコードがネット上に無いですが)、もし仮にサンプルコードがネットに公開されていても、自作品に組み込む際にさらにそれをデバッグ(決してテストプレイの意味ではなく、実際にコード修正が必要になります)しなければならず、プログラミング言語の理解が必要です。

ゲームのプログラミングは決して楽ではないし、仮にもし楽だとしたら、じゃあゲーム会社のプログラマー職の人の仕事は何なんだ・・・という疑問につながりますよね(デマを言ってる人は、この疑問を脳内に都合よく無視しますが)。

ツクールやエディタのような制作ツールを使えば、C言語的なプログラミングは不要ですが、それはそのツクールなどのツールを開発している人達にプログラミングを肩代わりしてもらっているだけなので、決して「ゲームプログラミングが楽」、ではないでしょう。楽だというなら、じゃあツクール開発元の角川書店およびその発注先ソフトメーカーのプログラミングが楽だとでも言うのか・・・(デマを言ってる人はこの疑問を無視します)。

そもそもコンピューターゲームというのはプログラミングがなければ成立しないのですから、そのプログラミングの価値を貶めて平気な人は、コンピューターゲームにかかわる資格はないでしょう。

  1. ^ 川村元気『理系に学ぶ』、ダイヤモンド社、2016年4月21日第1刷発行、P85
  2. ^ 大久保磨『レベルデザイン徹底指南書』、2016年12月14日初版第1刷発行、P81
  3. ^ 杉山純じ 監修『部活でスキルアップ! 演劇部 活躍のポイント 増補改訂版』、メイツ出版、2023年5月15日 第1版・第1刷発行、P.117
  4. ^ 青島矢一ほか『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』、東洋経済、2010年8月12日発行、P.263
  5. ^ 青島矢一ほか『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』、東洋経済、2010年8月12日発行、P.289
  6. ^ 6.0 6.1 青島矢一ほか『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』、東洋経済、2010年8月12日発行、P.91
  7. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P234
  8. ^ 『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P332
  9. ^ https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292691.html 2007年02月23日22:03 2022年11月23日に確認.