能格性(Ergativity)とは
編集主語と目的語
編集英語では主語と目的語を使って文をつくります。印欧語の多くはこのような構文メカニズムを持っています。 次のような文を考えてみましょう。
The student studied the Sumerian tablet. 生徒はシュメール語の粘土板を学んだ。
主語(Subject)は、少なくとも英語では動詞の前に置かれ、目的語は後に置かれます。ここではthe studentが主語で、the Sumerian tabletが目的語です。
直接目的語と間接目的語の区別はわずかに複雑です。この文を考えてみましょう。
The student gave the curator a Sumerian tablet. 生徒はシュメール語の粘土板を学芸員に渡した。
先程と同様、主語であるthe studentは動詞の前にあります。しかしここには動詞の後に二つの名詞句the curatorとa Sumerian tabletが置かれています。英語ではこのa Sumerian tabletを直接目的語、the curatorを間接目的語と呼びます。
これらの用語について詳しく知りたい場合は英文法や英語についての文献をあたってみてください。
他動詞文(Transitive)と自動詞文(Intransitive)
編集まったく目的語を持たないような、別のタイプの文もあります。これらのタイプの文を自動詞文(Intransitive)と呼び、目的語を取る文を他動詞文(Transitive)と呼びます。自動詞文はこのようなものです。
The student napped. 生徒はうたた寝した。
gaveと違い、nappedは後に何も要りません。これらのタイプの文は英語ではどちらも同じくらい一般的なものです。しかし、やはり動詞の前にある名詞句は主語(Subject)と呼ばれます。
動作主(Agents)と被動者(Patients)
編集対称的に、能格言語ではこれらの役割を違った形で文章に表現します。主語と目的語の代わりに動作主(Agents)と被動者(Patients) を使うのです。次のような他動詞文を見てみましょう。
The curator woke up the student. 学芸員は生徒を起こした。
能格言語の用語では、the curator はこの文の動作主です。動作を起こすものです。またthe studentは被動者と呼ばれ、動作の対象となるものです。
では自動詞文の場合はどうでしょうか? 見てみましょう。
The student awoke. 生徒は起きた。
ここではthe studentは目覚めが起きている人ですから、この名詞句は被動者の役割にあたります。
つまり英語でいう主語は他動詞の動作主であり、自動詞の被動者にあたるのです。わかってもらえましたね。
シュメール語での能格性
編集部分能格性
編集実を言うと能格性を持つ言語はかなりあるのですが、完全な能格言語と言える言語は非常に珍しいといえます。シュメール語は他の能格性を持つ言語と同様、実際には「部分能格」であり、ある場合には能格を、またある場合には「主語/目的語」の格を利用します。
後のレッスンではシュメール語が主語/目的語を使う場合について説明しますが、今はこの言語の能格性について焦点を絞りたいと思います。
格標識
編集他動詞の例
編集実は私達はすでにレッスン3と6で能格の格標識を見ています。レッスン6の例題をもう一度見てみましょう。これは"エンキのニップルへの旅"から採ったものです。
Eridug.a e.Ø gu.a bi.n.du
この文では神殿(e)は建てられるもので、つまりは被動者です。見てきたとおり.Øにより絶対格が示されています。他動詞文の動作の対象は被動者と呼ばれ、そのとき使われる格を絶対格というのです。
この文では動作主が明示的には記されていないことに注意してください。この文だけでは動作主が誰かはわからないのですが、翻訳の際は「彼」としています。この文には能格の標識がついた名詞句がなかったのですが、次では標識のついた文を見ていきます。
自動詞文の例
編集同じように "エンリルとニンリル"から自動詞文を見ていきましょう。 (ETCSL number 1.2.1.91):
Enlil i.ĝen
いつも通り句ごとに見ていきます。最初はエンリルというシュメール神話の神の名前です。この句は無標ですが、それゆえに実際には絶対格であると推測してもいいでしょう。
次の句は動詞の鎖で、その語幹はĝen、「行く」や「旅する」といった意味の言葉です。その前にあるi.は標識のない動詞に挿入される母音なのですが、ここでは終止相(Finite aspect, 過去の時制を示すもの)の意味を取りたいと思います。というわけでこの文は簡単に
エンリルは行った。
と訳せます。ここではエンリルは自動詞の主語ですから、つまり絶対格なので無標であるという仮説についても確認できたといっていいでしょう。
能格標識の例
編集これまでには明示的な能格の主語を持った文がなかったので、能格の標識を見ることができていません。そこで次は"ウルの滅亡哀歌から採ったこの文を見てみましょう。(ETCSL reference 2.2.2.172)
Enlil.e ud.e gu ba.n.de
それでは分析を始めましょう。
最初のものはEnlil.eです。予想通りかもしれませんが、この.eが能格標識です。Enlilというシュメールの主要な神の名前についており、この文章の動作主がエンリル神であることを示しています。
次はud.eです。基礎名詞はudで嵐を意味します。最初の句と同様.eの格標識がついています。一つの文の中に能格の語がいくつもあるはずはありませんが、実は.eは終止格(Terminative)にも使われます。どちらの格か曖昧になることもありますが、通常は文脈から判断します。今回はこの句を「嵐に」と訳します。
この文の興味深いところは、動詞が2つの語の組み合わせからなっているというところです。複数の概念を組み合わせることで多くの異なる概念を記述することがシュメール語ではよくあるのです。この場合はguは「声」を意味する名詞で、deは「注ぐ」という動詞です。ですからこの複合動詞は「声を注ぐ」という意味になります。シュメール人風に考えれば、おそらくこれは「話す」のことだと解釈できるでしょう。実際に多くの文書でこの語が見つかっています。時には「呼ぶ」とか「伝える」という風に訳したほうが適切な場合もあるでしょうが、もう概念はおわかりいただけましたね。
では動詞の鎖を見ていきましょう。先程触れたようにgu ... deは「話す」という意味です。お馴染みの.n.が、他動詞の動作主(三人称単数・生物)を参照していることはもうご存知ですね。その前にあるba.は新顔です。これは「主語の関心事が即座に影響を及ぼす」という意味を持っています。このような概念を表す語があることは不思議に思えますが、シュメール人にとっては当たり前の語でした。とはいえ翻訳では通常この語を無視します。ですのでこの語全体をざっくりと「話す」と訳すことにします。
まとめると、この語はこのように訳せます。
エンリルは嵐に話しかけた。
シュメール文学のいいところは、擬人化をとてもたくみに使うところです。ですがここで重要なのは、能格と終止格の標識と推測したものが訳文にうまく収まっているというところでしょう。
動詞の鎖と相互参照
編集すでに見てきたように、文中に能格や絶対格がある場合に動詞の鎖の中にそれらへの相互参照を持ちます。これは他の格の場合も同じです。例えば名詞句が奪格の場合は奪格の相互参照標識が鎖に追加されます。
とはいえ私達が見てきた標識は動詞の前に位置して動作主が三人称単数の生物であるということを指し示す.n.と、動詞の後で被動者が三人称単数の無生物であることを指し示す.Ø だけでした。
全ての人称と単数・複数の別に応じた標識があるのは明らかですが、それについては後のレッスンで見ていきましょう。
例題
編集能格性の基本についてもう理解できたでしょうから、ドゥムジの夢から採った次の文を検討してみましょう。 (ETCSL reference 1.4.3.18)
igi.ani cu bi.n.kij
まずは語彙リストをどうぞ。
例題の語彙
編集- igi = 目
- šu = 手
- kiĝ = 探す
例題の分析
編集最初の名詞句はigi.aniで、igi は目を意味します。レッスン2で見た所有格について覚えていますか? 振り返って表を確認してみてください。
次の句には名詞šuと動詞kiĝがあります。すでに学んだようにシュメール語には多くの複合動詞があり、今回もその例外ではありません。単語を直訳すると「手で探す」となりそうですが、ここは一つ創造性を発揮していただき、シュメール人になったつもりで考えてみてください。実はこの熟語は「こする」という意味なのです。素敵じゃありませんか? というわけでこの語も語彙リストに加えましょう。
- šu ... kiĝ = こする
さて、この動詞の鎖に取り組むこととしましょう。いつものように動詞の前に.n.があります。どのような意味だったか覚えていますか?でなければレッスン6を振り返って記憶をリフレッシュしてください。
動詞の鎖の先頭のbi.もすでにこのレッスンで見ています。どんな意味だったか覚えていますね。
例題の解答
編集便利の良いように、それぞれの句の意味をホバーテキストに入れています。マウスを文の上に載せてチェックしてみてください。
igi.ani šu bi.n.kiĝ
どうでしょう? 素晴らしい。いいですね、文全体の意味をとらえることができているはずです。本当にシュメール語を読めているんですよ!
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