概要

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物・事・性質・概念などを個別に扱うとき、その言語学的単位を項(argument/sumti)という。ロジバンでは項は用言(selbri)と結びついたり付辞や話題部の要素として用いられる。用言と結びつくというのは、各用言について定義されている項の配列則(place structure、以降PS)上の何らかの位置を埋めるということである。PSを埋める項をとくに体言(terbri)という。体言は日本語における主語目的語補語などに相当する。

項は単独であったり他の項と連なっていたりする。前者を単一型、後者を連結型と定義できる。これらの例として次のようなものが考えられる:

単一型の例
da
re da
lo re da
pa lo re da
lo broda
lo re broda
pa lo re broda
lo nu lo da broda de
連結型の例
da po'u lo broda
lo broda be da
lo broda pe da
lo da broda (= lo pe da broda)
lo da broda poi brode (= lo poi brode ku'o da broda)
lo broda poi brode lo brodi zi'e pe lo brodu

このように項は1語であったり或いは内に用言や別の項を含んでいたりする。

内容語や一部の機能語など、そのままでは用言として振舞うものは、冠詞によって項に変えられる。例えば lo broda は用言を broda を冠詞 lo で項化したものである。代項詞などそのままで項として振舞うものは、それに付いている冠詞を省略でき、またそれ自体が冠詞の代わりとなって用言を項化できる。例えば lo re da の冠詞は省略して ci do とでき、 re lo broda の冠詞も省略して ci gerku とできる。

項化された用言のPSに項を挿入する be がある。 lo broda be da は用言 broda に項 da を be で挿入したものである。 lo broda は broda の x1 を表す、つまり x1 が既に取り出されているので、 be によって挿入される da が埋めるのは x2 となる。

項に別の項を関連付ける pe がある。 lo broda pe da は項 lo broda に別の項 da を pe で関連付けたものである。この場合、用言 broda のPSは関与しない。


冠詞

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LE [selbri] KU

LA [selbri] KU

LA .[cmevla]. KU

PSを有する語は特定の機能語で冠することで項として扱えるようになる。この冠詞は3系ある。客観系(veridical)、主観系(non-veridical)、渾名系(nominal)である。いずれも、基本の形に加えて(mass)・集合(set)・象徴(typical)の区別が可能である。

客観系 lo loi lo'i lo'e LE
主観系 le lei le'i le'e LE
渾名系 la lai la'i LA
基本 集合 象徴

基本形は、英語などの冠詞と違って、単数と複数を区別しない。よって lo lorxu は a fox でも foxes でもある。ただしここに含意される複数性は群や集合のそれとも異なる漠然としたものである。

主観系と客観系との違いは次のような例で確認できる:

le ninmu cu nanmu
その女は男です。(私が ninmu の x1 として捉えるものは本当は nanmu の x1 である。)
lo ninmu cu nanmu
女は男です。(本当に ninmu の x1 であるものは本当は nanmu の x1 である。)

前者の項は主観に基づいているので命題上の問題はない。後者の項は客観に基づいているはずなので後続の用言との間に論理的な矛盾をきたしている。(ちなみにここでの客観性とは PS にたいするものであり、或る人間が“女”であるか“男”であるかという判別にたいするものではない。“女”でも“男”でもあったり、或いはどちらでもなかったり、或いは別の何かであるということが可能であり、或る人間のジェンダーを断定するための客観的基準の存在が示唆されているわけではない。) lo ninmu cu nanmu の“客観的な”矛盾とはあくまで「女/男」という自然言語における対義概念を反映させた ninmu の x1 と nanmu の x1 とが排他的な変数項であるという客観的な条件に由来する。

le'e は主観的に認められる象徴すなわちステレオタイプ概念を冠する。一方の lo'e は或る事物例から客観的に帰納され代表格となりえている概念を冠する。

le'e ponjo cu cmalu
日本人は小柄である。(確かな根拠は無いが、私にとっては、日本人というものは小柄である。)
lo'e ponjo cu cmalu
日本人は小柄である。(日本人というものは実際に平均的に小柄である。)

渾名系は、内容語や機能語のほかにも名前語を冠する。渾名系で冠された内容語などはもはや PS が関与せず、事物について話者がそれとなく用いたい呼び名として振舞う。したがってニックネームにごく近い働きをする。

ca'u la cribe la ralju mo'i klama / ca'u la .crib. la .ralj. mo'i klama
“クマ”を連れて“おやぶん”がやって来た。
lai .iakuzan. co'a cadzu
ヤクザ達が歩きだす。
do fi la'i .iakuzan. na'e fadni za'a
あなた、ヤクザ(という集合・セットのもの)にしては変わってますね。

上の fadni の例にみられるように、もっぱら集合(或いは群)を変数項として求める PS がある。 fadni は、 x3 という集合に属するものの中で x1 が平凡である、という関係を表す。平凡という性質の背景となるのは集合であって群や個ではない。例の la'i を la とすれば論理矛盾をきたす( la には単数・複数の区別がなく、また集合を明示するものでもない)。

冠詞の対象範囲は ku によって示される。


代項詞

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KOhA [selbri]

LE/LA KOhA [selbri]

LE/LA [selbri] GOI KOhA

冠詞との組み合わせを必要とせず、単独で体言として振舞えるものが代項詞( pro-sumti )である。上位的には機能語に属し、下位的には人称系、指示系、疑問系、関係系、再帰系、相互系などに分類できる。

人称系はによって語形変化しない。三つのクラスがある: 話し手聞き手、そしてその他である。

話し手 (聞き手とその他を除く) mi KOhA
話し手と聞き手 (その他を除く) mi'o KOhA
話し手とその他 (聞き手を除く) mi'a KOhA
話し手と聞き手とその他 ma'a KOhA
聞き手 (話し手とその他を除く) do KOhA
聞き手とその他(話し手を除く) do'o KOhA
その他(話し手と聞き手を除く) xai* KOhA
命令 ko KOhA

人称系とはいっても、内容がヒトである必要はない。たとえばコンピュータに向かって do/do'o を用いたり、ネットワークが自身について ma'a を用いるのは誤りではない。

xai は非公式・試験的である。

mi/mi'a と mi'o の違いはインドネシア語における kami (除外形)と kita (包括形)の区別と同じである。

日本語ベトナム語のような複雑な人称代名詞の使い分けが必須ではないものの、態詞と組み合わせることで同等の表現を織ることはできる。

命令法を ko で実現する:

ko citka
食べなさい。(食べる主体があなたであるということが真実であるようになさりなさい。)
mi nelci ko
私に好かれなさい。/私に好かれるようになんとかしなさい。(私があなたを好きであるということが真実であるようになさりなさい。)
ko ko kurji
自分の面倒を自分でみなさい。(あなたを世話するのがあなたであるということと、あなたが世話するのがあなたであるということが真実であるようになさりなさい。)

2つめをたとえば嫌気のさすことばかりしている人に向かって言う「いいかげんにしてよ」の意味で使うこともできる。

3つめは次の2つと区別される:

do ko kurji
ko do kurji

世話の対象が命令代項詞となっている前者はたとえば他人のことばかりを助けてばかりいる慈善的・利他主義的な人にたいして言う「すこしは自分のことも大切にしなさい」のニュアンスがあり、世話の主体を命令代項詞とした後者はたとえば甘えてばかりいる子供にたいして親が言う「自分でなんとかなさい」の意味合がある。

次は指示系:

これ/これら ti KOhA
そこのあれ/あれら ta KOhA
むこうのあれ/あれら tu KOhA

距離の違いを表す母音 i a u の順序および距離程度が主観的・相対的であるということは間制詞の VA 類(vi, va, vu)等と同じである。この要素母音の順序を文章上の体言の順序に当てはめてこれを参照する代項詞がある:

その(last)項 ri KOhA
いましがたの(recent)項 ra KOhA
さきほどの(earlier)項 ru KOhA
mi citka lo cidjrkari .i ri kukte
私はカレーを食べる。それはおいしい。

参照は連鎖的となりうる:

mi citka lo cidjrkari .i ri kukte .i ri se zbasu do .i mi ba za'ure'u citka ra
私はカレーを食べる。それはおいしい。それはあなたに作られた。私はいつかもう一度それを食べる。

初め二つの ri は連鎖的に lo cidjrkari を参照している。三つ目で ra となっているのは、それまでの間に do と mi という別の体言が介在しているために ri を使えないから。

人称系としても指示系としても使えるものとして ko'a/fo'a シリーズがある:

彼女/彼/彼ら/其 一 ko'a KOhA
彼女/彼/彼ら/其 二 ko'e KOhA
彼女/彼/彼ら/其 三 ko'i KOhA
彼女/彼/彼ら/其 四 ko'o KOhA
彼女/彼/彼ら/其 五 ko'u KOhA
彼女/彼/彼ら/其 六 fo'a KOhA
彼女/彼/彼ら/其 七 fo'e KOhA
彼女/彼/彼ら/其 八 fo'i KOhA
彼女/彼/彼ら/其 八 fo'o KOhA
彼女/彼/彼ら/其 九 fo'u KOhA

ko'a/fo'a シリーズは、そのままでは不特定だが、 goi を使って指示内容をアサインすることができる:

ko'a klama .i ko'a sanga
其一が来る。其一が歌う。
ko'a goi la .lenon. klama .i ko'a sanga
其一すなわちレノンが来る。レノンが歌う。
la .lenon. goi ko'a klama .i ko'a sanga
レノンすなわち其一が来る。レノンが歌う。

アサインしたものを合語の成分として使える:

tu'a lo kulnrsu,omi goi fo'a cu cinri mi .i mu'a lo fo'arzgike se jundji mi
フィンランドの文化に関して私は興味がある。たとえば(フィンランドの)音楽について知りたい。

tu'a lo kulnrsu,omi を fo'a に入れておくことでこの比較的長い語を幾度も使い回す手間を省くことができる。合語における fo'a の右の r は zgike と連結するための接材、ハイフンである( r は単独の語としては振舞えないのでその両端を fo'a と zgike が必然的に掴まなければならず、結果として二つの語が一つに融合する)。

一度アサインした内容は必要に応じて da'o で消去して初期化できる。

似たものとして vo'a シリーズがある。これは PS 上に並んでいる体言を自動的にアサインするものである。

PS x1 vo'a KOhA
PS x2 vo'e KOhA
PS x3 vo'i KOhA
PS x4 vo'o KOhA
PS x5 vo'u KOhA

vo'a シリーズは再帰表現などで頻繁に用いられる:

lo mlatu ta vo'e klama
猫があそこをうろうろしている。(猫はあそこに x2 から行く/来る。)
la .lenon. jgari lo vo'a jgita
レノンは自分のギターを掴んだ。(レノンは x1 のギターを掴む。)

soi と組み合わせて相互性を表すのにも用いられる:

相互体言 soi SOI
lo mlatu ti ta soi vo'e vo'i klama
猫が行ったり来たりしている。(猫はこちらにあちらから来て 〔相互 x2 - x3〕)
la .takacin. prami la .sanaes. soi vo'a vo'e
タカシとサナエは愛し合っている。(タカシはサナエを愛し 〔相互 x1 - x2〕)

相互関係を表している以上、対象となっている vo'a 系は順序が逆転しても意味は変わらない(soi vo'a vo'e と soi vo'e vo'a は同じ相互関係を意味している)。また、 soi に続く vo'a 系のうち、soi の直前の体言を参照しているものがあるとき、それを省略してもよい。よって先の例文は次のように書き換えられる:

la .takacin. prami la .sanaes. soi vo'a
lo mlatu ti ta soi vo'e klama

間制詞や感態詞と同様、soi のまとまりは文末以外の箇所に置くことができる:

soi vo'a vo'e la .takacin. prami la .sanaes.
la .takacin. soi [vo'a] vo'e prami la .sanaes.
la .takacin. prami soi vo'a vo'e la .sanaes.

soi のまとまりの境が明示される必要のある次の例のような場合、se'u が終止子として挿入される:

mi klama ti soi vo'i se'u ta

vo'i の相手である vo'e は、参照内容が ti すなわち soi の直前にあるものなので、省略されている。ここで se'u が無いと、 vo'i が相手として ta を取り込み、相互関係の図式から ti が締め出されてしまう。また、 ta が ta 自身を相互関係の相手にするという妙な始末となる。

代項詞に限らず体言全般に言えることだが、ロジバンでは添記(subscript)を使うことで指示対象を序数化することができる:

添記詞 subscript xi XI
ko'u xi vo traji
E組の第四番生徒が優秀だ。(其五4は秀でている。)
mi xi re troci
相方が挑戦します。(我2は挑む。)
la .lenon. xi muvo klama
レノン54号が来る。(レノン54は来る。)

つまりロジバンは代項詞を無限に生成できる。「彼は彼を憎んだ」というように日本語や英語では指示対象が異なっていても限られた同じ代名詞を繰り返し使うことになるが、これがロジバンでは回避できる。

疑問表現に関する代項詞は「疑問詞」の項で解説する。

関係代名詞に相当するものとして ke'a がある(cf. 関係詞用法):

関係代項詞 ke'a KOhA
lo gerku poi ke'a mi pendo cu cazdu
私の友だちである犬が歩く。

もっぱら抽象節の中で用いられる代項詞がある:

抽象節焦点 ce'u KOhA
lo ka ce'u gleki
幸せ者であるということ(性質)
lo ka gleki ce'u
幸せの素であるということ(性質)

ce'u は、自らが置かれる PS の位置に該当する項を焦点化するものである(理論計算機科学数理論理学におけるラムダ計算の λ に相当する)。 gleki の x1 に置かれている前者では幸せの経験者、 x2 に置かれている後者では幸せの対象を照準に合わせている。(関係詞で結ばれる句において)実際に既出の体言を参照する ke'a とは区別される:

lo gerku poi ke'a ckaji lo ka mi gleki ce'u

ke'a は特に lo gerku を指しているが、 ce'u は gleki の x2 に当たるものを不特定的に指す。この mi gleki ce'u を ka が抽象化することで「私の幸せの素であるという性質」が意味され、この特質を lo gerku が有している、というわけである。意訳としては「私に幸せを与えてくれる犬」となる。

基本的な命題部のレベルで或る項の内容を伏せながらもその存在を明示するものがある:

不特定項 zo'e KOhA
典型項 zu'i KOhA
klama lo zarci lo zdani zo'e zo'e
家から店に某道筋で某手段によって行く。
klama lo zarci lo zdani zu'i zu'i
家から店に例の道筋で例の手段によって行く。

逆に命題において或る項が存在していないことを特に明示することもできる:

非存在項 zi'o KOhA
loi jmive cu se zbasu zi'o loi selci
生命は細胞から(如何なる創作者の手に拠ることなく)出来ている。

不特定性がより強く、参照範囲がより広く、またより論理学的な文脈で使う代項詞として da シリーズがある:

“X” da KOhA
“Y” de KOhA
“Z” di KOhA
klama lo zarci lo zdani da de
家から店にX(何らかの道筋)経由でY(何らかの手段)によって行く。
ko'a tavla noda lo nu vo'a dunku
彼女は自分が悩んでいる事について誰にも話さない(無Xに話す)。

これらは題目表現でも頻用される。添記用法(xi)による拡張も勿論可能である。

発話そのものを体言として扱うための代項詞がある:

以前の(earlier)発話 da'u KOhA
さきほどの(recent)発話 de'u KOhA
いましがたの/その(last)発話 di'u KOhA
ただいまの/この(this)発話 dei KOhA
つぎの(next)発話 di'e KOhA
まもなくの(soon)発話 de'e KOhA
のちほどの(eventual)発話 da'e KOhA
何らかの(unspecific)発話 do'i KOhA
lo nu gau lo remna lo drata danlu cu cortu cu se curmi .i di'u jitfa
ヒトの所為で他の動物が苦しむということが許されている。そんなのは嘘だ。
la .kenzon. cusku di'e .i so'o remna cu bebna
ケンゾウは言った。(いくらかの)ヒトは愚かであると。
la .iurien. pu'i troci sanga .i mi la'e di'u nelci
ユリエは頑張って歌ってみせた。それで良かったのだと私は思う。

三例目の la'e は右の語の“参照内容”を体言化する冠詞である。これが無いとこの例本来の意味合が生まれない:

la .iurien. pu'i troci sanga .i mi nelci di'u
ユリエは頑張って歌ってみせた。という発話を私は好きだ。


代項詞ではないものの本来の名称を省略的に扱う点ではよく似ている体言用法がある:

mi citka lo cidjrkari .i cy. kukte
la .lenon. klama .i ly. sanga

既出の体言を、その頭文字を使って表している。 cy. と ly. はそれぞれ c と l の字名である。

接続詞

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[sumti] A [sumti]

[sumti] JOI [sumti]

GA [sumti] GI [sumti]

JOIGI [sumti] GI [sumti]

論理接続詞/非論理接続詞を用いて体言を繋ぎ合わせることができる。このまとまりはあくまで PS における同じ変数項を表す。

mi .e do gunka
私とあなたが(それぞれ)、働く。
mi joi do gunka
私とあなたが(一緒に)、働く。

.e や joi によって結ばれている mi と do は共に gunka の x1 である。 .e は論理接続詞で、 joi は非論理接続詞である。両者の違いを表すうえで、日本語訳では「と」が自足しておらず、括弧内の言葉で補足している。gunka という事象について、前者では mi と do が別個に(しかし論理的に結ばれながら)参与しているのにたいし、後者ではこれらが一つの総体として参与している(つまり mi と do が互いの労働力を融合させている)。前者の用法は接続表現の項に詳しい。


関係詞

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[sumti] NOI [selbri] KUhO (ZIhE GOI …)

[sumti] GOI [sumti] GEhU (ZIhE NOI …)

[sumti] [sumti] … VUhO GOI/NOI

関係詞によって体言を他の体言や命題部で修飾させることができる。これはの構造を持つ。他言語では名詞句に相当する。

修飾部が体言であるか命題部であるかによって異なる関係詞が用いられる。制限用法と非制限用法が区別される。また、冠詞においてなされる客観系(veridical)と主観系(non-veridical)と同様の分別もなされる:

命題部関係詞・客観系・制限 poi NOI
命題部関係詞・客観系・非制限 noi NOI
命題部関係詞・主観系・制限 voi NOI
命題部関係句終止詞 ku'o KUhO
体言関係詞・同一性・制限 po'u GOI
体言関係詞・同一性・非制限 no'u GOI
体言関係詞・関連性・制限 pe GOI
体言関係詞・関連性・非制限 ne GOI
体言関係詞・特有性・制限 po GOI
体言関係詞・所有性・制限 po'e GOI
体言関係句終止詞 ge'u GEhU

重語の項で解説されている be-bei-be'o による挿入構造を有する体言も同様の連結型とみなせる。

英語やスペイン語と違うのは、関係詞そのものが代名詞としての働きをしないことである。そのような代名詞表現は専用の代項詞 ke'a が担う(cf. 代項詞)。

命題部関係詞を用いた例:

lo gerku poi [ke'a] pendo mi [ku'o] cu cazdu
The dog which is-friend-to me walks.
lo gerku noi [ke'a] pendo mi [ku'o] cu cazdu
The dog, which is-friend-to me, walks.
lo gerku voi [ke'a] pendo mi [ku'o] cu cazdu
The dog which I-described-as is-friend-to me walks.

poi と noi は客観系で、voi は主観系である。客観系が結ぶ修飾部は客観的事実に即しており、主観系が結ぶ修飾部は主観的内実に即する。 poi ke'a pendo mi は「私と実際に友だち関係にある」を意味するのにたいして、voi ke'a pendo mi は「私と友だちのように付き合っている(と私が捉えている)」を意味する。

NOI 系で開かれた修飾部すなわち関係句は ku'o によって閉じられる。この例では ku'o が左体言と主要命題部(cazdu)との境界上に居合わせているのでその働きを cu に兼ねさせれる。逆に ku'o を明示して cu を伏せてもよい。修飾部は体言中を移れるが、その際の修飾部の範囲を示すために ku'o が有用となる:

lo poi ke'a pendo mi [ku'o] gerku cu cadzu
lo poi ke'a pendo ku'o gerku cu cadzu

前者では関係句内で mi に続かれている pendo が体言の中身である gerku に流れてしまうことはないので終止詞(ku'o)は必要ないが、後者ではこれを置かないと gerku が pendo の重語被部として吸収され、体言の肝心が消失してしまう。

ke'a の存在は必然ではなく、構文上の問題をきたさずに省略できる場合が多い。しかし、体言の指示対象が関係句における命題部のどの変数項に該当するのかを明示しておく場合に有用である。たとえば、

lo gerku poi ke'a mi pendo cu cadzu

これは pendo の二つの体言である ke'a と mi を左側に寄せる用法である。ここで ke'a が省略されると、 pendo の x1 として mi が取り込まれ、すると伏せられた ke'a が x2 に流れてしまい、意図されていた ke'a と mi の関係が逆転することになる。 ke'a を明示しておくことでこの問題が防げる。

体言関係詞の例:

lo gerku po'u lo mi pendo [ge'u] cu cadzu
The dog which-is a-friend-of mine walks.
lo gerku no'u lo mi pendo [ge'u] cu cadzu
The dog, which-is a-friend-of mine, walks.
lo gerku pe mi [ge'u] [cu] cadzu
The dog which-is-related-to me walks.
lo gerku ne mi [ge'u] [cu] cadzu
The dog, which-is-related-to me, walks.
lo skari po lo gerku [ge'u] cu melbi
The colour which-is-specific-to the dog is beautiful.
lo rebla po'e lo gerku [ge'u] cu muvdu
The tail which-belongs-to the dog moves.

po と po'e に非制限用法が無いのは、特有性や所有性が常に制限的に形容されるものであるから。

po と pe の違いは、「私が買った私の車」と「私が選んだ私の座席」それぞれの「の」の違いになぞらえられる。前者は関連というよりも所有であり、後者は所有というよりも関連である。

終止詞である ge'u はほとんどの場合において省略できる。

pe や ne が繋げる体言は法制詞を伴っていてもいい:

lo cukta pe fi'e la .murakamin.xarukin. [ge'u]

fi'e が法制を築くことで「村上春樹によって著された、本」という意味になっている。この法制詞が無ければ漠然と「村上春樹と関わりのある、本」を意味する。

NOI 系と同様、 GOI 系の関係句も体言中を動き回れる。 pe の場合には関係詞そのものを略すことさえできる。次の例はいずれも同じ物を表している:

lo cukta pe la .xarukin. [ge'u]
lo pe la .xarukin. [ge'u] cukta
lo la .xarukin. [ge'u] cukta

pe はあくまで関連性を指し所有性をもっぱら意味することはないので、たとえば一度だけ借りた友人の車を lo mi karce と呼んでも支障がない。この点で日本語の「私の」や英語の「my」を使った表現と異なる。構造上 pe によって取り付けられている関係句の中でも例の la .xarukin. や mi のようなものは関連体言(possessive sumti)と呼ばれる。 pe を省略した関連体言の用例を種類別にまとめるとこうなる:

lo mi karce (単一型体言・代項詞)
lo la .xarukin. cukta (単一型体言・名前語)
lo li mu jdice se bende (単一型体言・数詞)
lo lo nanmu ku karce (単一型体言・内容語)
lo mi noi sipna ku'o karce (連結型体言)

最後の例は、連結型体言の内に別の連結型体言が格納されうることを示唆している。たとえば lo mi noi sipna ku'o karce noi blanu が可能である。 noi sipna は依然として mi に、 noi blanu は (lo ...) karce に係る。

複数の句(体言/命題部の違いは問わない)を繋げることができる:

関係句結合詞 zi'e ZIhE
lo gerku poi [ke'a] barda [ku'o] zi'e no'u lo mi pendo [ge'u] zi'e pe lo ta zdani [ge'u]

二つ以上の体言をまとめて同じ関係句で修飾することができる:

被修飾範囲設定詞 vu'o VUhO
lo gerku .e lo mlatu .e lo cipni .e lo xarju .e do noi [ke'a] pendo mi [ku'o]
lo gerku .e lo mlatu .e lo cipni .e lo xarju .e do vu'o noi [ke'a] pendo mi [ku'o]
lo gerku .e lo xarju vu'o noi [ke'a] pendo mi ku'o .e lo mlatu .e do vu'o no'u lo mi nalpendo [ge'u] .e lo cipni

二例目では noi pendo mi が vu'o 以左の体言全部に係っている。 lo mlatu と lo cipni と do には係らないというような場合には三例目のように右側に離し置き、必要があれば同様にまとめ上げて別の関係句を結びつける。