読書感想文と、それ以外の、学校行事などの感想文とでは、同じ「感想文」と言っても、書き手に求められる能力が違います。
読書感想文は、「感想文」というより、あなたの感想をもとにした、分析レポートという意味での報告書に近いです。
準備のための時間が多くある場合と無い場合とで、書き方が異なります。
このページでは、基本的に、宿題などとして、数週間ほどの時間が与えられている場合について、述べます。
学校行事の感想文の場合、極端な場合、行事の数日後〜翌週あたりに、抜き打ちで、用紙1枚ていどの感想文を書かされる場合も、あります。
このページ (中学校国語/現代文/感想文) では、中学校国語/現代文/感想文について説明します。なお、独自研究や中立性を欠いた文章を含んでいる場合があります。独自研究の中には多くの場で共有されている意見もあれば、少数の意見もありますのでご注意ください。 |
行事などの感想文
編集まず読者に、どの行事なのか、どんな行事なのかを、完結に説明したほうが良いでしょう。運動会なのか、クラス対抗の音楽コンクールなのか、修学旅行なのか・・・、そして、とにかく感想を書いてください。
いきなり書く内容を整理できない場合は、まず、下書きを書き始めてください。十行か二十行ほど下書きが書けたら、そろそろ、いったん清書したほうが良いでしょう。
- 他人のプライバシーについて
あと、他人のプライバシー(個人的な秘密など)とかは、当然、書いてはいけません。同級生のプライバシーはもちろん書いていけませんし、その他の人のプライバシーも書いてはいけません。 なにも学校での感想文だけに限らず、そもそも文書(ぶんしょ)で、他人のプライバシーを勝手に公表してはいけません。
感想文の必要に応じて、一緒に行事に参加した同級生の行動についても書く必要があるかもしれませんが、プライバシーを侵害しないように注意してください。他人のプライバシーについては、たとえ相手を褒める(ほめる)内容であっても、書かれた本人はプライバシーを気にする場合もあります。
「○○くんは僕にしか見せてないけど、○○くんが△△で頑張っていた。」みたいな事は、ほめる内容ですが、しかし当事者しか知らないプライバシーなので、書かないほうが良いのです。
同級生や同学年・同学校の生徒などについて、感想文で紹介する場合は、あくまでも公表されている情報を紹介します。たとえば、クラスのみんなの前で、あるいは学校生徒のみんなの前で公表されている情報であるなら、紹介できるかもしれません。
手順
編集学校側の条件に従う
編集まず、読む本を決めます。学校で課題図書が指定されている場合は、それを読みます。また、読書感想文にしてよい本の条件を学校側が決めていますので(たとえば恋愛小説や推理小説は禁止だとか)、その条件にしたがってください。
「物語文であること」が、感想文を書くための条件として指定されている場合が、よくあります。
本を選ぶコツ
編集読んだことのない本を選ぶ
編集21世紀の現代では感想文テンプレートという教材があります。そのテンプレートでも、前提として感想文の書き手が、それまで読んだことのない物語の感想、初めて読んだばかりについての物語の感想であることを、テンプレートの前提にしています。
なので、もし、もう何か月も前に読んでしまった本、何年も前に読んでしまった本を、感想文のための読書に選んでしまうと、とたんに感想文を書くのが難しくなってしまいます。
ほか、さきほどの「問題点」の節で述べたように、日本の「読書感想文」教育の宿題では、長い作文をさせたがります。
すでに何度も読んだことのある本は、新鮮味が無いので、また読んだところで、とくに感じることがなく、なので、感想を規定枚数の以上に書くことが大変です。
(すでに何度も読んだことのある作品を読むことで、高度な分析ができるかもしれませんが、しかし規定の枚数・字数を満たしづらくなります。この「読書感想文」の宿題で要求される能力は、ある程度の長さの感想文を書く能力ですので、残念ながら分析の高度さは要求されてないのです。)
なので、読む本として本を選ぶさいには、まだきちんと読んだことのない本で、読み終えられる本を、選んでください。
読み終えられる本を選ぶ
編集読む作品を選ぶさい、あまり厚すぎる本を選ぶと、読み終わらないので、読み終えられる作品を選んでください。
また、難解すぎても、理解できず、感想が「難しかった」「よく分からない」以外に思いつきません。なので、そこそこ理解できる本を選んでください。課題図書などで指定されている本と、同じくらいの読者対象と厚さの本を選べば、とくに問題ないでしょう。
どうしても、高度な本を読みたいなら、感想文の宿題を終わらせてから、自分の趣味でしましょう。
いったん本を決めたら、変えない
編集いったん本を選んだら、よほど自分にあってないかぎり、次の手順で最後まで感想を書きすすめます。 あれもこれもと本を変えていると、いつまでたっても、感想文が完成しません。
どのみち、学校の宿題の感想文のための本を選ぶセンスなんて、実社会はあなたに求めていません。
読みながら、ときどきノートにメモ書き
編集そして、読みながら、ノートなどに、感動した事項とかをメモに取ると良いでしょう。読後に思い出すのは、けっこう大変です。全ての文章でメモを取るのは大変なので、書籍全体の文量の5%〜10%くらいを読むたびにメモを取れば、充分です。
ネットにある、感想文の書き方のコツを紹介したサイトでも、メモを取りながら読み進めることを、すすめています[1][2]。
物語文を読んでいる場合、読書中の予想した展開が、どんでん返しで間違える場合もありますが、気にせずノートにメモを取ります。「どんでん返しに、ダマされた!」ってのも、立派な感想です。
メモ書きに時間を掛け過ぎても読み終わらないので、本当に最小限のメモでも充分です。そもそも、ほとんどの人は、たぶん、メモすらも取りません。
下書きを書く
編集そしてまず、読み終えたら、(現代ならパソコンなどで)下書きで感想を書いてください。ペース配分のため、いったん最後まで読む終えるまでは、まだ感想の(下書き ではなく)清書は書き始めないほうが良いでしょう。
とにかく、「どこがどう、面白かったのか」などを書き始めます。単に「面白かった」とかだけなら、読者にとって不要な情報ですし、その後に書く文章も続きません。
※ 宿題の名前は「感想文」だが、実際は「書評」(しょひょう)と混同されている。「書評」とは、書物の内容についての評論文のことです。
清書では書籍タイトルなどの記載。
編集読書感想文の清書の場合、そもそも何の本を読んだのかを、冒頭のほうで、明確に記載する。少なくともタイトルと著者名と出版社名をきちんと書く。たとえば夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んだのなら、それと、感想文に選んだ本の出版社名も記載する。出版社を書く理由は、教員が必要に応じて、その出版物を確認するためです。感想文の題名に、作品名を書く場合もあります。たとえば、『 夏目漱石『我輩は猫である』の感想文 』などのような感想文タイトルを書く場合があります。
近代小説などの教科書などで紹介されている有名作品であっても、出版社によって、文中の漢字が変わっていたりする場合があるので、念のため出版社名も書きくのも良いかもしれません。
清書では、図書名などを紹介したら、さっさと感想を書き始める
編集書籍の題名、著者名、出版社名を紹介したら、「あらすじ」の紹介は最小限にして、あらすじ紹介を早く終わらせて、さっさと感想を書き始めます。宿題はけっして「あらすじ紹介文」ではなく、「感想文」が宿題なのですから。(しかし残念ながら、日本の教育では、感想文教育と読書教育が混同されており、しばしば、あらすじを長々と紹介しないと規定枚数を満たしづらい場合がよくある。)
理想的には「あらすじ」よりも、感想を優先して書くべきです(実社会の書評では、そうなのです)。
とりあえず理想的には、感想の根拠を説明するために、必要最低限の「あらすじ」を文章で紹介すれば、充分です。
参考書は最小限に。しかし必要ならば利用せよ。
編集書いていてネタ切れをして、選んだ図書を読み返してみても、どうしても書くネタが思いつかない場合、時間があれば、国語の参考書などを読んだりして、ネタを仕入れてもよいです。たとえば夏目漱石の『我輩は猫である』の感想文を書く場合、どうしてもネタが思いつかないなら、参考書などで夏目漱石についての解説を読んだり、その時代の文学史の解説を読んだりします。あらたな知識を仕入れて視点が変わりますので、書けるネタが増えるでしょう。ただし、参考書を読むにも時間が掛かりますので、どうしてもネタが思いつかない場合にだけ、参考書でネタを仕入れてください。
どっちみち、仕入れたネタをそのまま書いても、評価はもらえません。感想文は、べつに文学史のレポートではありません。あくまでもテーマは「感想」です。
そのまま文学史を書くのはダメだが、感想の発想の参考にするだけなら、構わないということです。
このように、読書感想文は、学校行事の感想文とは、やや違います。「読書感想文」の宿題には、その名に反して、物語文を読むための勉強結果についてのレポートの宿題みたいな所があります。
現代ではパソコンを使った下書きも便利
編集このような、パソコンなどを利用する場合、下書きで、まずパソコンで下書きを書くのが良いでしょう。(ワープロソフトなどを使うと、自分が読みやすいでしょう。)
そして、字数が規定枚数を満たすように、パソコンで編集していきます。
たとえば、原稿用紙1枚が400字詰めの用紙の場合、「原稿用紙で3枚以上」という条件なら、1200字「1200字以上」という条件を満たすように、パソコン上で下書きをチェックします。
パソコンの無料ソフトで、「文字数カウンター」などというような名前のソフトがあるので、そのようなものを使うとラクでしょう(実務では、そのようなものを使います)。
そして、下書きが字数などの規定条件を満たしたら、そこで文章の言い回しなどを整えたりしてみて、最後に手書きで原稿用紙に書き写します。
読書感想文
編集読書感想文とは
編集- 読解レポートではないし、文学史レポートでもない。
感想文は、べつに読解のレポートでもなければ、文学史のレポートではありません。あくまでもテーマは「感想」です。なので、あまり参考書とか資料集とかを読んでも、評価されません。参考書を何ページも読む時間があるなら、感想文課題に選んだ作品を何度か読み返したほうが良いです。
感想文テンプレートという教材
編集要点・概要
編集2020年代の現代、小学生~中学生あたりを対象に、読書感想文のための文章スタイルを紹介したテンプレート教材があります。検定教科書ではないのですが。
ネットなどでも「読書感想文 テンプレート」などで検索すれば、画像つきで情報が得られるでしょう。「テンプレート」とは「ひな形(ひな型)」・「定型書式」といった感じの意味です。
すでにマスコミなどでも感想文テンプレートは紹介されています[3]。
いくつかの会社が、そういう感想文テンプレートの教材を出しています。
会社によって、感想文のスタイルは違いますが、おおむね、以下のような構成で、以下のような順序です。
- その作品に興味をもった理由
- 作品のあらすじ
- いちばん心に残ったこと
- 自分の考え
- 締め・結論・今後
※ 「自分の考え」の最後が「結論」「今後」を兼ねる場合もあります。
背景事情(※ 範囲外)
編集- ※ 下記では中学・高校レベルを大幅に超えて、背景事情を説明しています。大学の文学部の国文学、あるいはシナリオ専門学校などのような、かなり専門的なレベルの知識を用いて、かみくだいて初歩的に説明していますので、中学生・高校生の段階では、下記の内容の暗記はまったくの不要です。
その作品に興味をもった理由
編集その作品に興味をもった理由を、手短(てみじか)に書く。これは、感想文に限らず、論文でも同じです。
この機会に、そういう型を身に着けてしまいましょう。
あと、単純な理由として、興味のない作品を何日も分析しつづけるのは、とても面倒です。
きちんと、自分でも興味をもてそうな作品を選びましょう。
けっして、「有名なこの作品に興味をもつと、周囲から頭良さそうに思われるから、本当は興味ないけど、仕方なくこの作品の感想文を書こう」なんてことは、しないでください。
作品のあらすじ
編集そして、感想文の読者は、作品の内容を知らないので、手短(てみじか)に書くわけですが、その際、「最終的に誰がどうした」という能動形・肯定形で書くと、書きやすいかもしれません。(前提として、たいていの場合、感想文を書く対象の文章作品は、物語文なので、登場人物がいるはずです。)
- ※ 本ページでは、感想文を書く書籍のジャンルが、物語文であることを前提にしています。
小説界や映画界やマンガ産業などの背景事情として、物語文の創作の基本テクニックとして、作者は、登場人物に、作品のテーマや意味を込めています。物語の登場人物たちのことや、あるいは物語上の登場人物などの特徴づけのことを「キャラクター」と言います。
また、物語上の特徴づけとしての設定や性格などのことを「キャラクター性」と言う場合もあります。論者によって用語の使い方が多少は違うので、文脈から判断してください。
日本の高校教師むけの国語教育書でも、ややニュアンスは違いますが、「キャラクター」という言葉が使われています。たとえば大修館書店の教育書『変わる! 高校国語の新しい理論と実践 「資質・能力」の確実な育成を目指して』には、次のような文章があります。「登場人物の言葉遣いをそれぞれ変えることでキャラクターを表現したりしている」[4]、「登場人物のキャラクターについて、宋定泊は利口だが欲深い人物、幽霊は美女という設定をし、」[5]などといった文章があります。(なお上記の抜粋(ばっすい)は、漢文『捜神記』(そうじんき)という古代中国のファンタジー小説・ホラー小説っぽい作品をもとに、高校生が作ったオリジナル演劇(朗読劇)を例に国語教育を説明している教育書にある文の抜粋。上記の作品キャラクター設定の抜粋は、あくまで高校生オリジナル作品の演劇の話なので、読者は覚えなくていい(古典知識ではありません。誤解しないように)。)
- ※ また、『捜神記』(そうじんき)は中学レベルを大きく越えるので、中学生は読まなくていいです(なお、高校2年レベル[6]の古典作品の一つです)。そんなの読むヒマがあるなら、中学生は、まず先に中学レベルの漢字の練習とか故事成語とかそういうのを確実に習得してください。どうしても高校レベルの予習をしたい場合でも、書店にある高校1年レベルの普通の参考書を読むのを優先すべきです。
これは決してwiki独自研究ではなく、2023年の時点では中学・高校では習わない学問ですが、実は小説や映画などの物語にも、ウケのいい作法や型があり、「シナリオ理論」または「シナリオ論」などとして知られており、専門書なども存在しています。(一般の本屋ではシナリオ論の書籍はおいてないだろうが、大学レベルの文学書を置いてある専門書店などを探せば、そういうシナリオ論の書籍も置いてあったりする。)
国語教育学でも、「物語論」(ナラトロジー)と言う名前ですが、上述の理論と類似の理論が知られています[7]。
すでに国際的な学力調査であるPISA調査による言語能力の調査にも、物語論などの手法も取り入れられています[8]。アメリカやフィンランドでも、物語論の知見が国語教育に取り入れられています[9]
日本の文部科学省などはPISA対策なども考えているので、日本の中学生・高校生は将来的に、上述のような物語論やシナリオ論のような考え方も、身に付けざるを得ません。
だからといって中学生がシナリオ論やら物語論の書籍を買う必要はありません。「じつはシナリオ論という学問が存在しており、ウケる小説や英語の型のパターンを研究している学問である」ということを知っていれば十分です(文学趣味などの大人ですら、これを知らない人もいます)。
キャラクターでテーマを置き換えるのは、シナリオ論でも物語論でも基本手法です。
そもそも、物語論でも、登場人物には基本的に、役割があるとされています[10]。
だから後述のように、5W1H(いつ When、 どこで Where、 だれが Who、 なにを What、 どのように 、どうした)の各要素の価値は、けっして平等ではなく、Who (誰が)こそが重要なのです。
特に、マンガやアニメやイラストなど、キャラクターをどうデザインしたり作中でどう活用したりするかの理論体系を、俗(ぞく)に「キャラクター論」[11]と言います。
だから、「最終的に誰がどうした」という形で要約を書くことで、自然とシナリオ論や、キャラクター論といった、現代的な手法を、自然と練習できるのです。
- 5W1Hは平等ではない
5W1H (いつ When、 どこで Where、 だれが Who、 なにを What、 どのように 、どうした)と言いますが、実は5Wの価値は、作家サイドでは平等ではないのです。
断然、登場人物・キャラクターについての「だれが」 Who こそが、現代的な物語論・シナリオ論・キャラクター論の重点なのです。
実写の映画の観客だって、ほとんどは役者さんに注目します。役者さんの歩いている場所といった「どこが」 Where を知りたがる人なんて、滅多にいません。
よほど抽象的な内容の小説ならともかく、小学生・中学生が読める程度の小説なら、シナリオ論や物語論(ナラトロジー)やキャラクター論にもとづくテンプレートで、だいたいは対応できるでしょう。
なので、教材会社の読書感想文テンプレートで、良いのです。
読者がシナリオ論やキャラクター論の存在を知ってるかは、関係ありません。21世紀の現代では、小説家や映画作家などの作り手の側にとっての常識なのです。
- 「プロット」とは
小説などのあらすじを、箇条書きにしたのを
1 ヤマダが〇〇する
- ↓
2 それに対してタナカが△△した
- ↓
3 アベが□□した
- ↓
- (中略)
みたいなのを、合計で十数段くらい行ってマトメたものをプロットと言います。
小説家・脚本家は基本的に、作品を作る前などに、こういうのを作っています。
いちばん心に残ったこと
編集そして、作品全体を読んでて「いちばん心に残ったこと」も書くのも、定石です。 これは、感想文に限らず、就職してからの社外のイベント展示会などの見学レポートなどでも同じです。
「心に残ったこと」も基本、登場人物がどうしたという形になることが多いでしょう。ただし場合によっては、登場人物そのものではなく、その人物の発したセリフなどが、印象にいちばん残ったものの場合もあります。
そして、なぜ印象に残ったのかという理由も、なるべく具体的に、自分の体験なども交えて、書きましょう。
「自分の体験も交えて」が重要テクニックです。
要するに、あなたは最終的に人生でどうなりたいのか、です。
感想文は、小論文とは異なり、客観性を要求されるものではありません。感想文を読んでる読者が読みたいのは、あくまで「感想」です。
だから、自分の人生の体験なども交えて、感想を具体的に分かりやすく書きましょう。
「心に残ったこと」という形ではなくとも、たとえば本を読む前と読んだ後で、その本の影響で自分の考え方が変わったりすれば、代わりにその考え方の変化を書くのも良いかもしれません。
この場合も、人生の体験などもふまえて具体的に、考え方の変化の理由を書くと、分かりやすいかもしれません。
「いちばん心に」という「いちばん」にこだわる理由は、なぜなら人生には時間に限りがあるので、そんなに「(1番目ではなく)6番目に心に残ったこと」とかまでは、説明しきれないのです。有限な人生なので、「いちばん心に残ったことは何か?」というのを、レポートでは要求されることが多くあります。(ただし、理科などの実験レポートでは、そういうのは要求されない場合もある。もっとも、大学の卒業論文などだと、学校によっては要求される場合もあるなど(学校にもよる)。)
物語をつくる作者の側の時間も、有限です。作家の人生も有限ですので、ある程度は、内容を絞っているはずです。
そもそも、文庫本などの書籍の紙のページ数も有限です。小説家は、有限のページ数の中で、「最低限はこれを伝えたい」という内容を、ある程度は絞っています。
作家が、自分の作品で読者・観客などに伝えたい内容のことを「テーマ」と言います。 べつに作者の考えたテーマと、読者がじっさいに感じた内容とが、同じとは限りませんし、その必要もありません。むしろ、作家側のテーマと読者の感じた印象とのギャップによって、その作品のファンたちによって文化が作られることすら、あります。
ともかく、有限のページ数のため小説家などはテーマを絞っているのが普通なので、「いちばん心に残ったこと」を書くことで、自然と作品のテーマ的なものについて考察することになります。
自分の考え
編集「感想文」は、けっして小論文でもなく、まして教科書でもありません。
感想文では、自分の考えを書きましょう。感想文テンプレートの多くも、そういうスタイルを進めています。
とはいえ、すでに「いちばん心に残ったこと」を書いているので、そこで書いたことは、いちいち書かなくても良いでしょう。
よって、「自分の考え」は、言い残した、補足的な内容になるでしょうか。
この場合も、自分の体験などを交えたり、「自分ならどうする?」とか、ともかく自分に置き換えて具体的に考えると、感想の説得力が高まるでしょう。
ただし、主役が悪人・ダメ人間の小説なども存在しますので(太宰治『人間失格』、芥川龍之介『羅生門』、など)、そういう場合にまで、「自分ならどうする」にコダワル必要もありません。感想を書く作品の性質に合わせて、うまくアレンジして使い分けてください。
もっとも、下記コラムで述べるように、高校入試の傾向として、出題される作品のほとんどは基本的には道徳的な作品であり、そのため作中の教師などの人物は善い人物であることが高校入試の傾向として知られています。
また、物語以外の、『ファーブル昆虫記』みたいな子供向けの研究書みたいのも、「自分ならどうする?」は書けないでしょう? (「昆虫になれ!」というのか? カフカ『変身』じゃあるまいし。) うまくテンプレートをアレンジして作品のジャンルに合わせてください。
高校入試国語の物語文の傾向として、中学卒業(高校入試を含む)までに出てくる国語の物語文は、基本的には道徳的な内容であることが知られています[12]。また、そのため高校入試でも(私立高校の入試でも)、出題された物語文の作中で教師役の人物が出てくる場合、ほとんどの作品では教師役は善人であり、さらに教師の行動や発言は正しいという傾向があります[13]。
現実なら「先生は善人でいい人なんだけど、しかし先生の熱意が生徒にはプレッシャーになってしまって、空回りしている」と言うようなことも人間社会にはありそうですが、しかし、そういう複雑な状況の物語文は高校入試には出づらい傾向が高い事が知られています[14]。
さらに言うと、物語中の家族関係における父親の役割について、近代小説や戦後の昭和の時代でも、高校入試に出そうな小説の中では、基本的には父親の役割は、子どもを自立させるための教師役のようなものであるのが知られており[15]、少なくとも2002年発売の『小説入門のための高校入試国語』による分析ではそうです。
父親の役割は以下の2通り[16]。
- 子どもが目指すべき目標の象徴であるパターン。
- 子供が乗り越えるべきハードルであるパターン。
この2パターンが、入試国語での典型的な「父と子の物語」のパターンです[17]。
2020年以降はどうか知りませんが、2002年までの入試国語は上記パターンだったのです。
さらに父親の役割は、単に正しいだけでなく、さらに(精神的にも社会的にも)「強い」のが入試国語での「父と子の物語」のパターンです[18]。
もし父親が弱くて、子どもが簡単に乗り越えられてしまったら、その「父と子の物語」がすぐに終わってしまうので、なので父親は強めに設定されています。
父親は、大人社会の象徴なのです[19]。
「父親が社会の象徴という設定」は、もう近代の19世紀のヨーロッパの心理学や社会学などで、すでに提唱されていることです[20]。なので、昭和・平成の多くの作家が踏襲している設定です。
なお、その心理学の理論が正しいかどうかは、当wikiの知ることではありません。21世紀の心理学では「再現性の危機」という問題があり、20世紀の心理学の教科書にもあったような過去の有名な理論を21世紀に追試験してみたら、なんと再現性が確認できなかった(なので心理学の教科書で、理論の見直しが必要になってしまった)という大問題があります。しかし、19世紀の心理学における家族関係の理論が正しかろうが間違ってようが、近代から昭和末期までの文学史上の統計的な傾向とは関係ありません。文学作品の内容は空想なので、21世紀の現実社会での心理学の学説の変化とは関係ありません。
入試国語の母親については、自立につれて去っていく家庭の象徴であり[21]、なので道徳的には美しい存在です。上記の心理学や社会学でも、母親を家庭の象徴とする理論が19世紀から知られています。
なので、けっしてヒッチコック映画『鳥』(とり)のようなヒステリックな女性としての母親とか、入試国語には出てきません。
また、子どもは母親に同情するのが入試国語の正解、もしくは自分も母親になるのが正解です[22]。
母親の苦労が分かることになることが、子どもの成長のあかしであり、子どもの自立の証拠、という入試国語のパターンなのです。
子供の成長につれて、子どもは家庭の外の人間関係が大きくなっていくので、家庭を置き去りしていくので、なので入試に出されそうな多くの物語では母親は孤独な存在になるので、なので母親には同情すべし、というパターンもよくあります[23]。
なお、国語としても、日本語の「父性」や「母性」と言った言葉の意味は、上述の心理学理論が前提になっています。19世紀のスウェーデンの心理学者が上述のような理論をもとに moderskap(モータースカップ)とスウェーデン語の造語を発明し、それを日本語に訳したものが「母性」です[24]。
これらの心理学・社会学の「父性」と「母性」の理論では、母性により、母親は本能的に子供を愛するとされます。そして父親は、その父性により、子どもに社会のルールなどを教えるために、子どもを母性あふれる母親から切り離す、とされます。
現実がそうかは知りません。「父性」「母性」と言った言葉は、こういうふうに使われる、と言う話をしています。果たして、現実の母親や父親の心理的傾向が統計的にそうなっているかは、当ページのwiki編集者たちの知ることではありません。21世紀の日本の家族関係の現実は、「父性」や「母性」の言葉の意味とは関係ありません。
現実社会では、21世紀では、日本の土地事情などにより大人になっても親子で同居、ということもあります。しかしそんなのは、入試に出そうな近代文学の作品の設定には関係ありません。
パート主婦とか、近代文学には関係ありません。
暗黙の前提でしたが、学校国語に採用される児童文学では、「子どもは早く大人のように手に職をつけたがっている」というのが前提です[25]。
なので、決してピーターパンのようなネバーランドのような子供だけの国とか、入試国語には、基本的にはないはずです。
- 入試ではパターン問題さえ解ければいい
入試問題の場合、試験の時間が限られていますので、パターン外の設定の多すぎる作品は出てこないはずです。たまに例外的に、入試問題でも上記パターンに当てはまらない作品の出題がされ、難問な場合もあります。ですが、そのような難問は、どうせ他の受験生も解けないので、あまり気にする必要ないでしょう。
入試は、「傾向と対策」と昔から言うように、一般的な問題集や過去問にあるパターン通りの問題がきちんと解ければいいのです。
受験勉強では、パターン外の難しい国語問題に対策する時間があるなら、それよりも英単語とかを多く覚えましょう。
締め・結論・今後
編集※ 「自分の考え」の最後が「結論」「今後」を兼ねる場合もあります。
最後のほうに(この作品の影響で)「今後、自分はどうしたいか?」というのを書きます。
感想文だけでなく、論文などでも、似たような構成を書くことがあります。たとえば、学術系の論文なら、論文に書いた自分の研究成果をもとに、研究し残した、自分の次の研究テーマの希望や予想を書いたりするのも、よくあります。
他の文章法との違い
編集21世紀以降の論文などに文章スタイルとして使われることの多いパラグラフ・ライティングという文章法は、感想文テンプレートのスタイルとは違います。
パラグラフ・ライティングは、
- 段落の先頭に要点を書いたり、
- 段落も時系列ではなく、用途・目的ごとに分ける、
などの文章スタイルです。
パラグラフ・ライティングは、どちらかというと感想ではなく論文など客観性の高いコンテンツのための文章スタイルです。このため、21世紀では、大学などで次第にパラグラフ・ライティングも教育されるようになっています。
しかし大学などでの学生むけのトレーニングでは、まだ論文を書くほどの研究力をつけてない学生に向けて、あえて日記や感想文やエッセイなどといった割と主観的なコンテンツをパラグラフ・ライティングで書かせる課題などが行われる場合もあります。
ですが、エッセイなどをパラグラフ・ライティングで書かせるのは、あくまでトレーニング上での都合に過ぎず、あまり実用的ではありません。(そういう書籍も、あまり流行していません。)
感想文についての文章のスタイルは、パラグラフ・ライティングではなく、上述の感想文テンプレートのような書き方のほうが無難でしょう。
- ※ なお、本wikiでは、中学の国語での報告書の書き方の解説ページが、割とパラグラフ・ライティングに近い方式だと思います(ただし、版によって若干の違いの可能性アリ)。
「テンプレ-ト」と呼び方のほかに「フレームワーク」(「枠組み」という意味)という呼び方をする場合もあります。文章のジャンルごとによって、その業界で適するフレームワークは違います。使い分けましょう。
参考文献・脚注など
編集- ^ 『【感想文の書き方】3つの準備とテンプレで完全攻略!』
- ^ 『【社会人・大学生必見!】読書感想文の書き方を多数の例文&画像で解説してみる』公開日 2022-01-21
- ^ 『読書感想文がスラスラ書ける“テンプレート”に隔世の感? 作成した編集者にポイントを聞いた』プライムオンライン編集部 2021年8月21日 土曜 午前11:30 (※ フジ産経系列のメディア) 、2023年7月27日に閲覧して確認
- ^ 大滝一登・幸田国広 編著『変わる! 高校国語の新しい理論と実践 「資質・能力」の確実な育成を目指して』、大修館書店、2016年11月20日、P165
- ^ 大滝一登・幸田国広 編著『変わる! 高校国語の新しい理論と実践 「資質・能力」の確実な育成を目指して』、大修館書店、2016年11月20日、P165
- ^ 大滝一登・幸田国広 編著『変わる! 高校国語の新しい理論と実践 「資質・能力」の確実な育成を目指して』、大修館書店、2016年11月20日、P165
- ^ 山本茂喜 著『思考ツール×物語論で国語の授業デザイン』、東洋館出版社、2022年7月28日 初版 第1刷 発行、P52
- ^ 山本茂喜 著『思考ツール×物語論で国語の授業デザイン』、東洋館出版社、2022年7月28日 初版 第1刷 発行、P.1
- ^ 山本茂喜 著『思考ツール×物語論で国語の授業デザイン』、東洋館出版社、2022年7月28日 初版 第1刷 発行、P.1
- ^ 山本茂喜 著『思考ツール×物語論で国語の授業デザイン』、東洋館出版社、2022年7月28日 初版 第1刷 発行、P58
- ^ 東浩紀 著『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』、講談社現代新書、2007年3月20日 第1刷 発行、P133、※ なお、東の評論文は高校国語にいくつか採用されている。『ポストモダンと排除社会 』『弱いつながり』など
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.38
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.38
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.38
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.38
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.38
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.38
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.60
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.82
- ^ 佐藤哲也 著『父親(男性)の子育てをめぐるパラダイム転換』、2019.3 、P18
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.82
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.83
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.83
- ^ 佐藤哲也 著『父親(男性)の子育てをめぐるパラダイム転換』、2019.3 、P18
- ^ 石原千秋 著『小説入門のための高校入試国語』、NHKブックス、2009年5月30日 第8刷発行、P.156