中学校の文法では、現代語の文法及び品詞(ひんし)などについて学ぶ。

※ 主に一年の範囲

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基礎知識

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まず、現代の日本語は、漢字と仮名(かな)を使って文章を構成するのが通常である。

このような文体のことを、「漢字仮名混じり文」という。つまり、現代日本語の標準的な文体は「漢字仮名混じり文」である。

念のために説明しておくが、仮名とは、平仮名(ひらがな)と片仮名(カタカナ)のことである。


また、平仮名は、その文字自体には意味が無い。

いっぽう、漢字には、意味がある。たとえば「た」という平仮名には意味が無い。しかし、「田」と書けば意味をもち、「田」の意味は農業のあれになる。

また、「他」も「田」も発音は同じ「た」と発音するが、しかし意味は違う。

漢字のように、その文字そのものが意味をもつ文字のことを表意文字という。

いっぽう、平仮名のように、文字単独では意味を持たない、あるいは意味の確定しない文字であり、発音だけを指定している文字のことを、表音文字という。

発音の用語

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「あ」、「い」、「う」、「え」、「お」の5つの音のことを母音(ぼいん)という。母音は単体(1音)で表現する。

なお、ローマ字のka, ki, ku ,ke ,ko のkの部分や、sa,si,su,se,so の s の部分のことを子音(しいん)という。子音は母音と組み合わせて構成する。

日本語の平仮名やカタカナには、子音を表す文字は無い。


日本語の仮名の発音は通常、母音(たとえば「あ」「い」「う」「え」「お」)、または、母音と子音 (たとえば「か」や「そ」など)の組み合わせで発音される。

日本語の文のかたち(言葉の単位)

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日本語は一つの文をいくつも重ねて全体として意味がわかるものを文章(ぶんしょう)とよぶ。
また、その中でも内容の大きなまとまりで分けられたものを、段落(だんらく)という。段落の始まりには、他の文より文の初めを一字下げるのが普通である。
その段落の中の、文章を組み立てているものを(ぶん)と呼び、文の切れ目には句点(。)をつけるのが普通である。

場合によっては、「。」の代わりに、文の最後が「?」や「!」で終わる場合も、現代の日本語ではある。疑問がある場合に「?」を使う。びっくりした時や大声を出した声の場合などに「!」を使う。

たとえば

「数学のこの問題の解き方が分からないんです。教えてもらえませんか?」

とか

「僕は声をかけられたので振り向くと、なんとそこには、すっぱだかで鉄パイプをもった男がいた!」

などのように。

さて、文を発音や意味の上で不自然にならないように区切ったものを文節(ぶんせつ)と呼ぶ。

今日は国語と数学と英語のテストがありました。国語と英語は結構よくできたのですが、数学はあまりできませんでした。計算ミスが多かったのがいけなかったのだと思います。今日できなかったところは復習して今度は間違えないようにしたいと思います。

上の例の文章は、4つの文でできている。

そして最初の文は「今日は/ 国語と/ 数学と/ 英語の/ テストが/ ありました」と文節分けでき、6つの文節がある。

また、文節を分けるときには、間に「ね」や「よ」を入れるとうまく分けることができる。


「今日は『ね』/ 国語と『ね』/ 数学と『ね』/ 英語の『ね』/ テストが『ね』/ ありました『よ』」とうまく文節で分けられる。

さらに、文節を、言葉の意味がなくならないようにさらに分けたものを、単語(たんご)という。これは、それだけで使える言葉の最小単位である。
たとえば、

今日は国語と数学と英語のテストがありました。

なら、

「今日/ は/ 国語/ と/ 数学/ と/ 英語/ の/ テスト/ が/ あり/ まし/ た」

と単語分けすることができる。


文節の役割(文の成分)

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文節は役割から主語、述語、修飾語、接続語、独立語に分けることができる。

主語と述語

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主語(しゅご)は「何(誰)が」を表す、文の主題を提示したり、行動や様子の主を定める文節である。

たとえば例文「花が、さいた。」の主語は「花が」である。


一般に、主語は語尾(ごび)に「は」または「が」が付く場合が多い。

しかし、「僕も学校に行く」という文章では、「僕も」が主語である。なぜなら、行動の主は「僕」であるからである。

また、日本語の文には、主語が無い場合もある。

たとえば「学校に行くよ。」という文には、主語は無い。


また、ある単語の後ろに「は」または「が」がついても、かならずしも主語とは限らない。

たとえば、

彼は犬が好きだ。

という文では、「犬が」は主語ではない。好きな行動の主は「彼」なので、彼がこの文の主語である。


また、

今日はカレーを食べた。

の場合、カレーを食べたのは「今日」さんではなく、書き手の人がカレーを食べたと思われるので、「今日は」は主語ではない。この文「今日はカレーを食べた。」に主語は無い。


述語(じゅつご)は、「どうする」「どんなだ」「何だ」「ある・いる」「ない」を表す、何をどうするかなどの行為を示す部分、または何かの様子を示す部分のことである。

たとえば、「花が、さいた。」の述語は「さいた。」である。

なお、主語と述語のことをまとめて「主述」(しゅじゅつ)という。

主語と述語の関係のことを「主述の関係」という。


修飾語

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修飾語(しゅうしょくご)は主語・述語について、たとえば、どこでしたか、あるいはどのようにしたかなど、くわしく説明するために使われる文節の一種である。

たとえば、

例文「弟が、まじめに 勉強する。」

なら「まじめに」の部分が修飾語である。

いっぽう、修飾語が説明している対象のことを被修飾語(ひしゅうしょくご)という。

「弟が、まじめに 勉強する。」なら、修飾語は「まじめに」であり、被修飾語が「勉強する」である。


例文「きれいな 花が さいた。」

「きれいな」が修飾語で、被修飾語は「花」です。


例文「きれいな チョウが いきなり 飛び立つ。」

「きれいな」は「チョウ」を修飾する修飾語で(つまり「きれいな」が修飾語)、被修飾語は「チョウ」です。「いきなり」は「飛び立つ」を修飾する修飾語です(つまり「いきなり」が修飾語)。

この例文のように、ひとつの文に2つ以上の修飾語のある場合もあります。
また、修飾語と被修飾語の関係を、「修飾・被修飾の関係」という。

その他

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または単語についての説明や意味をつけくわえる。特にあとで述べる用言(ようげん)を修飾するものを連用修飾語(れんようしゅうしょくご)と言う。 いっぽう、体言(たいげん)を修飾するものを連体修飾語(れんたいしゅうしょくご)と言い、修飾される言葉は被修飾語(ひしゅうしょくご)とよばれる。


たとえば、

大きくボールを投げた。

この場合、「大きく」は連用修飾でしょうか、連体修飾でしょうか?

ヒントとして、大きいのは何でしょうか? ボールでしょうか、それとも投げ方が大きいのでしょうか?

答えを言うと、この文で大きいのは投げ方ですので、つまり「大きく」は動詞の「投げた」を修飾しており、そして動詞は活用があるので用言ですので、つまり「大きく」は連用修飾です。


いっぽう、

大きなボールを投げた。

なら、ボールが大きいわけですし、「ボール」は活用も無いので、ボールは体言です。なので、つまり「大きな」は連体修飾です。


小さなボールを大きく投げる。

のように、ひとつの文に連用修飾と連体修飾の両方がふくまれている場合もあります。


接続語(せつぞくご)は他の文や文節との関係をあらわす。

接続語が何を修飾しているかが曖昧な場合があります。

山田のエラーによる出塁。

エラーしたのが山田?出塁したのが山田?


独立語(どくりつご)は、ほかの文節とは結びついてなくて、それだけで意味の通る語である。


こんにちは、山田です。
さようなら、またあした。


はい、すぐやります。


あいさつ や あいづち などが、独立語になる場合が、よくあります。


先生、これは何ですか?

上の例文の「先生」などのように、呼びかけも独立語になります。


山田さん、頼みごとがあります。

上の例文の「山田さん」も独立語です。


いっぽう、

山田さんに頼みごとがあります。

この例文(「山田さんに頼みごとがあります。」)の「山田さん」も「山田さんに」も独立語ではないです。


あのう、頼みごとがあります。

この例文の「あのう」は独立語です。


東京、それは私の出身地だ。

この例文の「東京」は独立語です。

連文節

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二つ以上の文節がまとまって、ひとつの働きをする文節のことを連文節(れんぶんせつ)という。
連文節には、主に、主部、述部、修飾部、接続部、独立部の5種類がある。

また、並立の関係にある文節も、おたがいに連文節である。


主部と述部
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主部

日本語で「主語」といった場合、単語の単位ですので、たとえば例文

自分の消しゴムが無くなった。

の主語は、「消しゴム」です。「自分の消しゴム」は主語ではないです。

しかし、

「自分の消しゴムが無くなった。なので、友達の消しゴムを借りている。」

という文章があったとして、「消しゴム」だけでは、「自分の消しゴム」なのか、「友達の消しゴム」なのか、不明です。


そこで、主語に、その主語にかかる修飾語をあわせたものを主部(しゅぶ)といいますので、この概念を導入しましょう。

自分の消しゴムが無くなった。

の主部は、「自分の消しゴム」です。


述部

例文

妹は食事をする。

の述語は、「する」です。しかし、「する」だけでは、何をするのか不明なので、いまいち不便でしょう。

そこで、述語にかかる修飾語と 述語じしん をまとめたものを述部(じゅつぶ)といいますので、この概念(がいねん)を導入しましょう。


この文「妹は食事をする。」の述部は、「食事をする」です。


修飾部

例文

「僕は昨日の晩にカレーを食べた。」

について、「昨日の」と「晩に」は、別々の文節ですが、しかし、この文の「晩」とはいつの晩かといえば「昨日」の晩ですので、「昨日の」と「晩に」は、ひとまとめに扱えると便利です。

そこで、修飾部(しゅうしょくぶ)という、関連のある一続きの修飾語をまとめる概念があるので、これを導入しましょう。

「昨日の晩に」で、ひとつの修飾部になります。


並立の連文節
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この店の カレーは うまくて 安い。

「うまくて」と「やすい」は、別々の文節ですが、両方とも、「この店のカレー」の性質をあらわしているので、ひとまとめにできると便利です。

この「うまくて」と「やすい」のように、対等に他の同じ文節(例の場合は「カレーは」)に結びつく関係の文節のことを、並立(へいりつ)の関係といいます。

つまり、「うまくて」と「やすい」は、並立の関係にあります。

また、並立の関係にある単語を並立語といいます。

「うまくて」と「やすい」は、それぞれお互いに並立語です。


さきほどの例文では述語が並立していました。

ほかの例文では、主語が並立している場合もあります。たとえば

「父と母が来た。」

という例文では、「父」と「母」が並立の関係であり、お互いに並立語です。



自立語と付属語

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単独で文節を作ることができる単語のことを自立語(じりつご)という。

たとえば、「学校に行く。」という文のうち、「学校」は自立語である。

いっぽう、「に」は自立語ではない。

原則として、一つの文節には一つの自立語しかないが、例外的に「松の木」「男の子」「読むこと」のように二つ以上の自立語を組み合わせた文節もある。

なお、「行く」の「行」を自立語と解釈する場合もある。

なお、「学校に」でひとつの文節、「行く」でもうひとつの文節なので、原則「一つの文節には一つの自立語しかない」を満たしている。


いっぽう、「学校に行く。」の「に」は自立語ではなく付属語という。

付属語はかならず自立語の下について、しかも付属語だけでは意味を成さない。


名詞は普通、自立語に分類する。

動詞の語感を自立語に分類する。

動詞の活用語尾(「行く」の「く」の部分や、「行った」の「た」の部分)は、付属語に分類する。

たとえば(学校に)「行った」のうち、自立語は「行っ」、付属語は「た」である。

(学校に)「行ったらしい」では、付属語は「た」と「らしい」の2つである。このように、ひとつの文節に付属語が2個以上ある場合もある。

(学校に)「行ったらしいね」なら、付属語は「た」「らしい」「ね」の3つである。


(※ 範囲外)1990年代ごろの昔のカリキュラムだが、日本の中学では、日本の言語は、言語学でいうところの「膠着語」(こうちゃくご)に分類されると習った。しかし、現代の中学の国語では習わないし、検定教科書でも「膠着語」の話題は扱われていない。いちぶの参考書で、「膠着語」(こうちゃくご)の用語が紹介されている。
「膠着語」という専門用語だけ知っていても、あまり実用できないので、中学生はあまり「膠着語」に深入りしなくてよい。


活用

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「行く」(いく)は「行った」(いった)、「行けば」(いけば)、「行きたい」などのように、続く単語や言い切ったりするときに、規則にしたがって、形に変化します。

たとえば、「学校に行ったなら」と「なら」が続く場合には手前には「行った」がきます。けっして、「行けばなら」(×)などとは言いません。

このように、単語の形が規則にしたがって変わることを活用(かつよう)といいます。

自立語にも、活用のあるものと無いものがあります。

たとえば、「学校」は自立語ですが、活用がありません。

「行く」(あるいは「行った」)には、活用があります。


付属語にも、活用のあるものと無いものとがあります。


用言と体言

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用言

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活用のある自立語のことを用言(ようげん)と言います。

用言は普通、述語になれます。

後述するが、動詞・形容詞・形容動詞が、用言に分類されるのが一般的です。

動詞とは、「走る」「書く」などのように動作を表す言葉です。「走る」なら、たとえば「走らない」「走れば」などのような活用があります。

形容詞とは、「広い」「赤い」などのような、言葉です。「広い」なら、たとえば「広く」「広ければ」などのように活用があります。


用言の性質として

下につく言葉によって言葉の一部が変化する(活用する)。
用言はそれだけで述語・修飾語・独立語になれるが、単独では主語にはなれない。
主語にするには形式名詞「こと」「とき」などを接続する必要がある。

などの性質があります。

体言

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自立語の中でも活用がなく、文の主題となりうるものを体言(たいげん)という。

後述しますが、名詞(めいし)に分類されるものが体言である場合が普通です。

名詞とは、「ビル」「学校」「月曜日」などのように、ものの名前になることのできる言葉のことです。


体言は「が・は・も・こそ・さえ」などの言葉を下につけることで主語になるのが最大の特徴である。原則として主語になるのは体言のみである。また、単独で独立語にすることもできる。助詞・助動詞をつければ修飾語にもなる。また、下に「だ・です」をつければ述語にもなるが、単独で述語にすることは少なく、体言のみで文を終わらせることを特に体言止め(たいげんどめ)という。

例として、「歴史、それは一つのロマンだ」いう文を見てみる。まず最初の「歴史」は文の主題を提示する独立語である。「それは」は「それ」+「は」で主語を作り、「一つの」は「一つ」+「の」で修飾語となり、「ロマンだ」は「ロマン」+「だ」で述語になったものである。


品詞

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単語を役割ごとに分類したものを品詞(ひんし)という。日本語の品詞は動詞(どうし)、形容詞(けいようし)、形容動詞(けいようどうし)、名詞(めいし)、(代名詞(だいめいし))、副詞(ふくし)、連体詞(れんたいし)、接続詞(せつぞくし)、感動詞(かんどうし)、助動詞(じょどうし)、助詞(じょし)の10種類(代名詞を別に数えると11種類)ある。


動詞

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「歩く」「書く」「読む」「食べる」など、活用があり、主に動作をあらわす言葉が動詞です。


たとえば「歩く」なら、

「歩けば」「歩きます」「歩きたい」「歩けよ。」「歩かなければ」・・・のように活用できるので、「歩く」は動詞です。


また、動詞は述語になることができる。

たとえば「駅まで歩こう。」のように、述語になっています。

動詞には活用があるが、最後の音がウの段の音にした場合を、文法上での基準の形とする。

たとえば、「歩く」が、動詞「歩く」の基準となる形である。なぜなら、「歩く」は「く」というウ段の音で終わってるからである。

いっぽう、「歩け」「歩き」などは、どんなに話し手が強く言ってても、最後の音がウ段でないので、動詞「歩く」の基準の形ではない。


同様に、動詞「書く」の標準の形は「書く」である。

「書け」「書き」は、動詞「書く」の基準の形ではない。


また、「歩きよりも走りでゴールまで行こう。」のように、歩行という意味での「歩き」は活用が無いので、動詞ではないです。


「歩くスピードが速い。」のように、体言を修飾する場合にも動詞(例文の「歩く」は動詞として、あつかう)が使われる場合もあります。


名詞

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名詞には、いろいろな種類がある。

名詞の種類

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  • 固有名詞

「京都」「夏目漱石」などのように、特定の地名や人名などをあらわす名詞のことを固有名詞(こゆう めいし)という。

  • 普通名詞

「ボール」「茶」「人」「犬」「机」など、特定の人名や地名をあらわしていない、普通の名詞のことを普通名詞(ふつうめいし)という。


  • 数詞

「一人」「二つ」「二枚」「一枚」「三本」「三人」、などは、それぞれ数詞(すうし)といいます。

  • 形式名詞
「サインを書きますので、書くものを、かしてください。」

のような文での「もの」、

または

「面白いことがあった。」

の「こと」のような名詞を、形式名詞という。

  • 代名詞

「僕」「それ」「彼」「あれ」「あなた」などのように、代名詞がある。

※ 代名詞を名詞とは別の品詞と解釈する場合もある。


代名詞のうち、「僕」「私」「あなた」「彼」「彼女」「俺」などの、普通は人を指す場合につかう代名詞のことを人称代名詞(にんしょう だいめいし)という。

いっぽう、「これ」、「それ」、「あれ」、「どれ」などは物や場所に使う代名詞であり、このような代名詞を指示代名詞(しじだいめいし)または指示語という。小学校で習った、いわゆる「こそあど言葉」が、指示代名詞です。

代名詞を分類すると、主に、人称代名詞または指示代名詞の、二通りに分類できる。

代名詞は、活用がない語である。


指示代名詞の一覧
近称 中称 遠称 不定称
このかた そのかた あのかた  どのかた
事物 これ それ あれ  どれ
場所 ここ そこ あそこ  どこ
方向 こちら そちら あちら  どちら


この一覧表にあるのは、あくまで指示代名詞だけである。

けっして全ての代名詞が一覧になっているわけではない。指示代名詞でない代名詞は、この一覧表には、まったく記載されていない。


代名詞には、指示代名詞でない代名詞も存在し、「わたし」「あなた」「ぼく」「彼」「彼女」など、代名詞は、いくつもある。

名詞の性質

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名詞は普通、自立語です。


副詞

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副詞とは、例をあげると「ゆっくり」とか「もっと」「とても」とか、「のそのそ」「はっきり」などである。


副詞は活用がない語であり、主に用言を修飾し、修飾語にしかならず、たいていの場合は連用修飾語になる。副詞には状態の副詞程度の副詞呼応(陳述・叙述)の副詞がある。


状態の副詞は主に動詞を修飾する。

程度の副詞は主に形容詞・形容動詞を修飾するが、他の副詞や名詞を修飾することもある。

呼応の副詞

「呼応の副詞」とは、

決して~ない」とかの「決して」の部分
もし~なら」とかの「もし」の部分

のように、あとにくる言葉に決まった言い方がくるのが呼応の副詞である。

たとえば、「決して」は、必ずいくつか後の文節に「ない」が来る。

「けっして、きのうはカレーを食べていない。」というように、「けっして」のあとには「ない」が来るのが普通。


「全然、重くない。」

のように

「全然、~ない」

の「全然」も、21世紀の現代では、呼応の副詞である。(※ 三省堂の中1教科書が「全然」を呼応の副詞として紹介。)


(※ 範囲外: )ただし、「全然」は明治時代くらいは、

「生徒が全然、わるいです。」(夏目漱石が『坊っちゃん』で使ってる表現)のように、批判的な意味だが肯定形の述語が次にくる場合にも使われたことがある。

※ このような事情があってか、三省堂いがいの他の教科書会社は、「全然」については紹介しないでいる。


「とうてい、~ない」

の「とうてい」も、呼応の副詞である。(※ 三省堂の中1教科書が「とうてい」を呼応の副詞として紹介。)

叙述の副詞

「叙述の副詞」(じょじゅつのふくし)または「陳述の副詞」とは、話し手の気持ちや判断を述べるための副詞である。


「おそらく」とか「きっと」などの、何かの可能性の程度を推測する副詞が、叙述の副詞の場合がある。

これ以外にも、

まるで~のようだ。」

または

「まるで~なようだ」

とかの「まるで」の部分も、叙述の副詞である。


教科書によっては「呼応の副詞」を「叙述の副詞」と完全に同一視して分類する場合もある(※ たとえば学校図書(教科書会社名)では同一視している)。

たとえば、

「おそらく~だろう。」
「たぶん~だろう。」

のように、「おそらく」・「たぶん」のあとには、「だろう」または「であろう」「でしょう」などが来る場合がよくある。(※ 学校図書が、「おそらく」を呼応の副詞としている。三省堂が「たぶん」を呼応の副詞としている)

※ しかし「おそらく、きのうはカレーを食べたにちがいない。」とか「おそらく、きのうの夕食はソバだったのだ。」などのように言う場合もあるので、はたして呼応の副詞としていいのかという疑問もあるだろう。学校図書いがいの教科書会社は、「おそらく」を呼応の副詞とは紹介していない。「たぶん」も同様。
「なぜ~か」
「どうして~か」

などの疑問の意味の副詞も、呼応の副詞に分類される場合がある。(※ 光村図書の中3教科書が「どうして」を呼応の副詞として紹介、教育出版の中2教科書が「なぜ」を呼応の副詞として紹介している。)

(※ 範囲外: )しかし、現実には、「なぜ、壊してしまった。」とか「どうして、教えてくれない。」のように、末尾に「か」をつけないで使う場合もよくある。


叙述・陳述の副詞は、連用修飾語である。よって、叙述・陳述の副詞や、呼応の副詞の副詞の部分は、ほかの体言については修飾しないのが普通である。


状態の副詞は主に動詞を修飾する。

ゆっくり歩く。

の「ゆっくり」は、状態の副詞である。


程度の副詞

程度の副詞は、 「かなり」・「もっと」・「とても」のように、程度をあらわす副詞である。

「少し暑い」

の「少し」は、副詞である(この例文での「少し」は形容詞ではない)。

「ずっと」のように、時間のスケールの程度を表す副詞も、程度の副詞である。

もっと大きく」のように、程度の副詞は主に形容詞・形容動詞を修飾する場合が典型的だが、 「もっと右。」「もっと昔から。」 のように名詞などの体言を修飾することもある。


また、「もっとゆっくり歩いて。」のように、程度の副詞(例文では「もっと」)が、ほかの副詞(例文では「ゆっくり」)を修飾する場合がある。

一覧表

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副詞の種類 特徴
状態の副詞 動詞を修飾する もっと、 ゆっくり、 
程度の副詞 形容詞・形容動詞・副詞・名詞を修飾する とても、 たくさん、 すこし、 
陳述の副詞 話し手の気持ちを表現する きっと、 やっぱり 
呼応の副詞 決まった助動詞を導く 全く、 まるで、


連体詞

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指示語である「あの」「その」や「大きな」などがある。体言を修飾し、必ず連体修飾語になる。活用がない語。

連体詞の直後には、かならず体言がつく。

※ 連体詞については、2年でくわしく習う。wikibooksでは説明の形式の都合上、1年の項目でまとめて説明するので、読者はよく分からなければ次以降の単元を先に読んでください。


「大きな」 など一部の連体詞と形容詞(「大きい」)は、基準の形が似ているが、しかし別の品詞である。


「大きい」は形容詞であるが、「大きな」は連体詞である。


たとえば形容詞「うつくしい」の場合、「美しかった」「美しく」「美しい」「美しければ」のような活用になる。

「うつくしな」(×)とは言わない。つまり、形容詞に「◯◯な」の形は無い。


なので、「大きな」は、形容詞とは別の品詞でなければならない。つまり、「大きな」は連体詞である。


同様に、「小さな」も連体詞である。

「たいした話だ。」などの「たいした」も連体詞である。



「この」「その」「あの」「どの」

「この」「その」「あの」「どの」は連体詞である。



「あらゆる」「いかなる」

「あらゆる状況」、「いかなる困難」などの「あらゆる」「いかなる」も連体詞である。


  • まぎらわしい連体詞
(※ 主に中2の範囲)

動詞など他の品詞とまぎらわしい連体詞が、いくつかある。

「ある」
ある人が教えてくれた。  (連体詞)

などの修飾語としての「ある」は、学校文法では連体詞に分類する。

いっぽう

机の上に参考書がある。  (動詞)

の「ある」は、動詞である。

このように、同じ「ある」という形でも、文脈や位置によって品詞が変わるので、品詞をさぐる場合には文章をよく読むこと。


「去る」(さる)
去る先月の第一木曜日、わが家にはエアコンが来た。

のような連体修飾語「去る」は連体詞である。


「大した」(たいした)・「大それた」(だいそれた)・「とんだ」

「大したヤツだな。」とか「大それた事をしてしまった。」とか「とんだ失敗をした。」「とんだ災難だったね。」などの「大した」「大それた」「とんだ」は、連体詞である。


品詞の転成

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たとえば、「走る」は動詞ですが、しかし「歩きよりも走りで行きたい。」などの「走り」は名詞です。

このように、動詞がもとになって派生した名詞があり、このような、ある品詞の単語が別の品詞の単語に派生することを転成といいます。


形容詞「大きい」と連体詞「大きな」も、転成の関係だと思われています。(※ 学校図書(検定教科書の出版社のひとつ)の解釈)


「楽しい」は形容詞ですが、「楽しむ」は動詞です。この「楽しい」と「楽しむ」も、転成の関係です。(※ 教育出版の解釈)



感動詞

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感動詞は感動・呼びかけ・応答・挨拶の4種類ある。「おはよう」「ああ」などがある。ある状態や個人の感情、あいさつ や返事などを表す。活用がない語。ふつう、自立語である。単独で文にすることが多いが、文の中にあるときは独立語とする。


典型的な4つの例: (※ 下線部が感動詞)

では、さようなら。(あいさつ)
ねえ、僕にもちょうだいよ。(呼びかけ)
ああ、きれいだなあ。(感動)
はい、山田です。(応答)


いろいろな例

はい、すぐにやります。(応答)
いえ、違います。(応答)
おはよう、山田くん。(あいさつ)



接続詞

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「そして」「だから」「でもって(話し言葉)」などが該当する。活用がない語である。文や文節を繋いで関係をはっきりさせる語で、必ず接続語になる。

役割 意味 単語
順接(じゅんせつ) 前の文の結果として後の文を導く だから、したがって
逆接(ぎゃくせつ) 前の文とは反対の内容として後の文を導く しかし、だが
並立(へいりつ)・累加(るいか) 前の文と後の文は対等で、話題を列挙・追加する そして、また、さらに
説明・例示(れいじ) 前の文を言い換えたり、例を出す つまり、たとえば
対比(たいひ)・選択 複数のものを挙げて比べたり、選んだりする 一方、または、あるいは
説明(せつめい) 事柄の理由を後で説明する。 なぜなら、それというのは
転換(てんかん) 前の話題から転じて別の話題を提供する さて、ところで


※ 検定教科書によっては、「並立・累加」の「並立」を、かわりに「並列」(へいれつ)という場合もある。たとえば光村図書の中1国語の教科書では、「並列・累加」で紹介している。

助動詞

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「きのう、カレーを買った。」の「た」は、過去をあらわす助動詞です。

助動詞とは、活用のある付属語です。

「買った」は、「買ったら」や「買ってれ(ば)」などのように活用します。

つまり、「た」は「たら」「てれ」のように活用します。


いっぽう、「カレーをかってやろう。」の「て」には、過去の意味は無く、つまり「て」は別の品詞です。この場合の「て」は助詞です。助詞は、活用のない付属語です。


「山田の好きな食べ物はカレーだそうだ。」の「そうだ」も助動詞です。

「そうだ」は「そうだっ(た)」「そうな」「そうなら」のように活用します。


「カレーを食べたい。」の「たい」も助動詞であり、願望・希望をあらわす助動詞です。

「食べたい」は「食べたけれ(ば)」「食べたく」「食べたか(ろう)」などのように活用します。


※ 主に二年の範囲

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活用

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動詞、形容詞、形容動詞、助動詞は下につく言葉によって語の一部または全体が変化する。このことを活用(かつよう)という。

たとえば、動詞「話す」は、「話さ(ない)」(未然)、「話し(ます)」(連用)、「話す(。)」(終始)、「話す(とき)」(連体)、「話せば」(仮定)、「話せ」(命令)のように活用します。

活用の変化後のそれぞれの形を活用形(かつようけい)という。


たとえば、動詞の活用形には、

・ 未然形(みぜんけい)
・ 連用形(れんようけい)
・ 終始形(しゅうしけい)
・ 連体形(れんたいけい)
・ 仮定形(かていけい)
・ 命令形(めいれいけい)

の6種類がある。


活用形 性質 接続例
未然形(みぜんけい) 否定やまだ行っていないこと、これから行うことを意味する。 ない(助動詞) う
連用形(れんようけい) 用言や多くの助動詞に接続する。 ます た て なる 、(読点)
終止形(しゅうしけい) 言い切りの形。ただし、推定などの助動詞や助詞が接続することもある。 。(句点) が 
連体形(れんたいけい) 体言に接続する。 とき こと
仮定形(かていけい) 物事を仮定する。
命令形(めいれいけい) 命令の意味を持たせる。終助詞が接続することがある。 !(感嘆符) よ 


また、用言の多くは変化する部分と変化しない部分がある。変化する部分を活用語尾(かつようごび)と言い、変化しない部分を語幹(ごかん)という。助動詞の中には語幹や活用が事実上ないものもある。


たとえば、動詞「話す」の語幹は、「話」(はな)の部分です。

「話せ」の「せ」 や 「話す」の「す」 などが、(つまり「せ」や「す」の部分が)活用語尾です。

動詞

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動作を表す言葉で、述語として文の最後につくことが多い。最後が「う段」(ローマ字で書いたとき「遊ぶ(asobu)」「見る(miru)」のようにuで終わること)の音で終わる。また、五段活用動詞の連用形は名詞に変わることがある。例としては、「ひかり(動詞「ひかる」より)」「読み(動詞「読む」より)」などがある。

 
動詞の活用(日本語)

たとえば、上記の「咲く」の場合、


「咲か(ない)」「咲き(ます)」「咲く(。)」「咲く(とき)」「咲け(ば)」「咲け」のように活用される。


また、上記の表のように、活用形や語幹、活用語尾などをひとまとめにした表のことを活用表といいます。

「来る」(くる)、「する」、などの一部の動詞には語幹が無い。


五段活用では、下記の表のように、語幹の最後の文字の所属する行ごとに、活用形が変わる。

たとえば、「行かない」・「話さない」のように言うことはある。しかし、けっして「行さない(×)」「話かない(×)」のようには活用しないという事である。


五段活用
行く
語感 活用形 活用語尾 接続例
未然形 ―か
―こ
ない う よう
連用形 ―き 
―っ
ます た て
終止形 ―く 。(句点)
連体形 ―く とき
仮定形 ―け
命令形 ―け


活用は、下記のように、母音の部分が変わる。「話す(hanasu)」の場合なら、「hanas」の部分は、不変である。

話す
hana ―sa ない
hana ―si  ます
hana ―su 。(句点)
hana ―su とき
hana ―se
hana ―se

命令形は、「行け」「書け」などのように命令の形で言い切るので、活用としての直後の接続は無い。(※ ただし、「行けよ」のように助詞「よ」などの助詞をつける場合はある。)

下記の動詞の一覧表でも同様に命令形は、命令の形で言い切るので、活用としての直後の接続は無い。

五段活用
話す
語感 活用形 活用語尾 接続例
はな 未然形 ―さ
―そ
ない う よう
連用形 ―し 
―っ
ます た て
終止形 ―す 。(句点)
連体形 ―す とき
仮定形 ―せ
命令形 ―せ


(※ 範囲外: ) 現代日本語の文法だと、動詞の 終止形の活用 と 連体形の活用 が同じ動詞が多いが、しかし古語では 終止形の活用 と 連体形の活用 は違っていた。そういう理由もあってか、現代日本語の文法理論でも、終止形と連体形とを別個の活用形として区別する。


上一段活用

上一段活用(かみいちだん かつよう)をする動詞には、「生きる」・「起きる」・「似る」・「開ける」などがある。


上一段活用
生きる
語感 活用形 活用語尾 接続例
未然形 ―き ない よう
連用形 ―き ます た て
終止形 ―きる 。(句点)
連体形 ―きる とき
仮定形 ―きれ
命令形 ―きよ


「起きる」の語幹は「お」である。「おき」は語幹ではない。活用語尾には、すべて最初に「き」がついているが、だからといって語源を「おき」にしない。

もし、「おき」を語幹にしてしまうと、未然形と連用形の活用形が無くなってしまうが、そうなると不便である(※ 教育出版の見解)。

なので、「起きる」の語幹は「お」にされている。


「似る」・「見る」など、一部の動詞では、語幹と活用語尾が区別しづらい。

※ 教科書では「似る」が紹介されている。この他にも、「着る」「見る」「いる」などがある。


上一段活用
似る
語感 活用形 活用語尾 接続例
(に) 未然形 ない よう
連用形 ます た て
終止形 にる 。(句点)
連体形 にる とき
仮定形 にれ
命令形 によ


下一段活用

下一段活用(しもいちだん かつよう)をする動詞には、「教える」・「答える起きる」・「出る」がある(※ 検定教科書で紹介される動詞)。「受ける」「食べる」なども下一段活用である(※ 参考書などで紹介される動詞)。


下一段活用
教える
語感 活用形 活用語尾 接続例
おし 未然形 ―え ない よう
連用形 ―え ます た て
終止形 ―える 。(句点)
連体形 ―える とき
仮定形 ―えれ
命令形 ―えよ


「出る」など、一部の動詞には、語幹と活用語尾が区別しづらい。

※ 教科書では「出る」が紹介されている。この他にも、「寝る」がある。
下一段活用
出る
語感 活用形 活用語尾 接続例
(で) 未然形 ない よう
連用形 ます た て
終止形 でる 。(句点)
連体形 でる とき
仮定形 でれ
命令形 でよ


カ行変格活用

カ行変格活用になる動詞は「来る」(くる)一語のみである。

カ行変格活用の語幹は、活用と区別が無い。

カ行変格活用
来る
語感 活用形 活用語尾 接続例
未然形 ない よう
連用形 ます た て
終止形 くる 。(句点)
連体形 くる とき
仮定形 くれ
命令形 こい


サ行変格活用

サ行変格活用になる動詞は「する」と、「料理する」「勉強する」のように「する」が後ろについて出来た複合動詞「◯◯する」のみである。

サ行変格活用の語幹は、活用と区別が無い。

サ行変格活用
する
語感 活用形 活用語尾 接続例
未然形 さ し せ ない よう
連用形 ます た て
終止形 する 。(句点)
連体形 する とき
仮定形 すれ
命令形 せよ しろ


動詞の音便
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動詞には、おもに、次のように三種類の音便(おんびん)があります。


イ音便(いおんびん)

「書か(ない)」(未然)、「書き(ます)」(連用)、「書く」(終始)、「書く(とき)」(連体)、「書け(ば)」(仮定)、「書け」(命令) というように、動詞「書く」は5段活用される。


しかし、「書いた」は、このどれにも当てはまらない。


「書いた」は、連用形「書き」+「た」が なまった音が由来だとされる。

このように、いくつかの動詞などで、活用語尾が「い」に変化する現象をイ音便(いおんびん)という。


促音便(そくおんびん)

いっぽう、動詞「走る」(はしる)は、活用で「走った」のように言う場合があります。

この「走った」は、連用形「走り」+「た」が なまった音が由来だとされる。


このように、活用語尾が「っ」に変化する現象を促音便(そくおんびん)という。


撥音便(はつおんびん)

動詞「読む」は「読んだ」と活用される場合があまう。

これは、「読む」+「た」あるいは「読み」+「た」が由来だろうとされています。

この「読んだ」のように、「読む」または「読み」が「読ん」になるように、活用語尾が「ん」になることを撥音便(はつおんびん)といいます。

「撥」(はつ)とは、「はねる」という意味です。


動詞「飛ぶ」も「飛んだ」と活用されるので、撥音便のある動詞です。


  • 備考

共通語では、音便のある動詞は、五段活用される動詞です。

しかし、方言では、ほかの活用をされる動詞でも音便のある場合があります。


促音(そくおん)とは、たとえば「だっこ」の真ん中の小さい「つ」、つまり「っ」の音のことをいう。

撥音(はつおん)とは、「ん」の音のことをいう。


なお、動詞の音便とは別に、形容詞にも「ウ音便」というのがある。くわしくは形容詞の節で説明する。



補助動詞
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特殊な動詞に補助動詞というものがある。補助動詞とは、たとえば

「読んでみる」の「みる」、
「遊んでいる」の「いる」、
「Aという文字」の「いう」

の「みる」・「いる」・「いう」の部分が、それぞれ補助動詞である。


本来これらは「見る」「居る」「言う」という意味があったのだが、その意味が薄れ、様子や状態を表す助動詞のような役割を果たすようになった。

このように、動詞ではあるが、ほかの単語について、補助的な意味をする動詞のことを補助動詞という。

形式動詞は普通の動詞と区別するためにひらがなで書くが、文節分けは行う。

助動詞と補助動詞とは違う。


(※ 下記の補助動詞の多くは、三省堂と学校図書が紹介。)
買ってある
読んでおく
食べてしまう
減っていく

などの「ある」・「おく」・「しまう」、「いく」も、それぞれ補助動詞である。


教えてあげる
教えてくれる
教えてもらう

の「あげる」・「くれる」・「もらう」も補助動詞である。


教えていただく
お教えになる

の「いただく」・「なる」も補助動詞である。

可能動詞
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「行ける」・「書ける」のようにそれだけで可能の意味を含む動詞を特に可能動詞という。可能動詞は、すべて下一段活用の語である。また、可能動詞に命令形は無い。

学校文法で、可能動詞のもとになる動詞は、「行く」・「書く」など五段活用の動詞である。

たとえば

読む(五段) → 読める(下一段)
書く(五段) → 書ける(下一段)
走る(五段) → 走れる(下一段)
飛ぶ(五段) → 飛べる(下一段)
行く(五段) → 行ける(下一段)
帰る(五段) → 帰れる(下一段)
飲む(五段) → 飲める(下一段)

など、もとになる動詞の活用は、すべて五段活用である。



いっぽう、上一段活用の「見る」や、下一段活用の「出る」など、五段活用でない動詞をもとに可能動詞とするのは、(小中高の)学校文法では誤りとされる。

つまり、「みれる(△)」「でれる(△)」などは、学校文法では誤りとされる。

「見る」や「出る」ことが可能なことを一語で言いたい場合、学校文法では、助動詞「られる」を使って、「みられる」・「でられる」というふうに言うのが正式であるとされる。

(※ 範囲外: )いっぽう、「みれる(△)」「でれる(△)」などは、語末の助動詞「られる」から「ら」が欠落した表現だとして、俗(ぞく)に「ら抜き言葉」という。
また、「食べる」は、下一段活用なので、可能の意味を表したい場合は「食べられる」が学校文法では正式だとされる。いっぽう「食べれる」(△)は、学校文法では誤りだとされている。
自動詞・他動詞
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動詞は自動詞(じどうし)と他動詞(たどうし)に区別できる。自動詞は対象を必要とせず、ある動作や状態がそれ自身で行われることをいう。他動詞は必ず動作の目的や対象への働きかけを示す言葉が必要である。

例:「起きる」と「起こす」。

「起きる」が自動詞である。なぜなら「起きる」は動作の対象を必要としないため、「彼を起きる」という文章が作れない。 一方、「起こす」は動作の対象を示すことができるので、「彼を起こす」という文章が作れる。なので、「起こす」は他動詞である。[1][2]


「水を流す」と「水に流れる」なら、「流す」が他動詞であり、「流れる」が自動詞である。

形容詞

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ものごとの様子を表す言葉で、修飾語や述語になることが多い。言い切りの形(終止形)が「い」で終わる。(例)すばらしい、美しい など。形容詞の語幹に「さ」をつけると名詞に変わる。

「大きい」→「大きさ」、
「高い」→「高さ」

など。


活用形 活用語尾 接続例
未然形 ―かろ
連用形 ―かっ 
―く 
(―う)
た なる (ございます)
終止形 ―い 。(句点)
連体形 ―い とき
仮定形 ―けれ
命令形
未然「かろ」は、たとえば「たとえ、なかろうと」、「もし、あつかろう(熱かろう)なら」「もし、さむかろう(寒かろう)なら」などの形容詞の語尾の「かろ」のこと。
連用「あつかった」「あつく」
終止「あつい」(「あつい。」)
連体「あつい」(あつい時(とき)、あつい事(こと)、あつい風呂、・・・など)
仮定「あつけれ」(「あつければ」)



特殊な形容詞として「ない」「ほしい」がある。「ない」は

「本がない。」
「水がない。」

というように「無」の状態を表す場合と、

外は明るくない

のように、ほかの形容詞の後ろにつく場合がある。

この、「明るくない。」の場合の「ない」のように、ほかの単語の補助としてつかう形容詞を補助形容詞という。


「明るくない」などの「ない」は、けっして助動詞ではない。なぜならば、

「やらない」「書かない」などの助動詞「ない」は「ぬ」に置きかえても意味が同じだし、「やらぬ」「書かぬ」と通じる。

しかし「明るくない」はけっして「明るくぬ(×)」とは言わない。なので、「明るくない」の「ない」は助動詞ではない。


また、格助詞「は」を補って「明るくはない」という場合はあるが、しかし、「書かはない(×)」とは言わない。

このように、補助形容詞と助動詞とは、区別する必要がある。


なお、「この本に書いてある。」の「ある」は補助動詞である。(「ある」は形容詞ではない。)

「ある」の活用は、動詞の五段活用(あらない、あります、ある、あれば、あろう)なので、「ある」は形容詞ではなく(「ある」は)動詞である。

「花が咲いている。」の「いる」は補助動詞である。(「いる」は形容詞ではない。)

「いる」の活用は、動詞の上一段活用である。「いる」は形容詞ではない。「いる」は動詞である。


なお、補助動詞と補助形容詞をまとめて、補助用言(ほじょ ようげん)という。


なお、「ほしい」は同じ意味の英語の"want"は動詞だが、しかし日本語の「ほしい」の活用は形容詞(「ほしかろう」、「ほしく」、「ほしけれ」)の活用である。

「ほしい」も

「教えてほしい。」

のように、ほかの動詞のうしろに補助的につくので、「ほしい」も補助用言である。

日本語で補助形容詞は「ない」と「ほしい」だけである。

(※ もし「ほしい」を動詞として分類する場合は、日本語の補助形容詞は「ない」だけになる。教科書会社によって、「ほしい」を動詞とするか形容詞とするか会社ごとに違うので、「ほしい」がどちらかは暗記しなくていい。)


補助用言をふくむ文章を、文節ごとに分かる場合には、補助用言は前の文節とひとつにまとめて一文節として数える(※ 教育出版の見解)。

つまり、

「猫が歩いている。」

という文章では、「歩いている」で、1文節と数える。

つまり、「猫が歩いている。」という文は、「猫は」と「歩いている。」で、合計2個の文節がある。


また、補助用言は普通、ひらがなで書く(※ 三省堂の見解)。


  • 例外

(批判的な意味での)「くだらない」、(「粗末にすべきではない」(大切に扱うべきだ)という意味での)「もったいない」などは、

たとえば「くだらない」なら、あたかも形式的には、動詞「くだる」の未然形に助動詞「ない」がついたように見えるが、

しかし、「くだらない」一語で形容詞として扱う。

「もったいない」も、「もったいない」一語で形容詞として扱う。(※ 教育出版が中3教科書で「くだらない」「もったいない」「きたない」などを紹介している。)

形容動詞

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「静かだ」・「きれいだ」などのように、ものごとの様子を表す言葉で、修飾語や述語になることが多い。言い切りの形(終止形)が「だ」または「です」で終わる。特殊な形容動詞には「あんなだ」「こんなだ」がある。

形容動詞は、活用のある自立語で、単独で述語になることができる。

活用形 通常の活用語尾 丁寧語 接続例
未然形 ―だろ ―でしょ
連用形 ―だっ ―で ―に でし た ある なる
終止形 ―だ ―です 。(句点)
連体形 ―な (―です) こと
仮定形 ―なら (―ですれ)
命令形


形容動詞に命令形は無い。

「静かにしろ」のような命令表現は、学校文法では「しろ」の部分が動詞「する」の命令形であると解釈する。なので、形容動詞の部分「静かに」そのものには命令形が無いと学校文法では考える。


なお、形容動詞でないが混同しやすい表現として、連体詞「大きな」がある。「大きだろう(×)」とは言わないので、「大きな」は連体詞である。

体言

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自立語の中でも活用がなく、文の主題となりうるものを体言(たいげん)という。体言は「が・は・も・こそ・さえ」などの言葉を下につけることで主語になるのが最大の特徴である。原則として主語になるのは体言のみである。また、単独で独立語にすることもできる。助詞・助動詞をつければ修飾語にもなる。また、下に「だ・です」をつければ述語にもなるが、単独で述語にすることは少なく、体言のみで文を終わらせることを特に体言止め(たいげんどめ)という。

例として、「歴史、それは一つのロマンだ」いう文を見てみる。まず最初の「歴史」は文の主題を提示する独立語である。「それは」は「それ」+「は」で主語を作り、「一つの」は「一つ」+「の」で修飾語となり、「ロマンだ」は「ロマン」+「だ」で述語になったものである。

名詞

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名詞(めいし)とは、ものの名前を表す言葉。その他、数字なども名詞とする。活用がない語。ほかにも用言を体言のようなものにする働きを持つ「こと」「とき」「ため」などがある。これらは本来「事(ものごと)」「時(時間)」「為(理由や対象をさす)」という意味があったが、それらの意味が薄れ、単に用言に接続して用言に体言のような働きを持たせる文節をつくる言葉になった。これらを形式名詞という。形式名詞は普通は平がなで書き、文節分けはしない。

名詞の種類 意味
普通名詞 一般的なものの名前 山 川 本
固有名詞 特定の人名や地名 東京 夏目漱石
数詞 数字やものの数 1 2 3 五本
転成名詞 用言が名詞化したもの(形式名詞を接続したものは除く) ひかり 暑さ さむけ
複合名詞 二つ以上の名詞が接続したもの 春風 男の子
形式名詞 用言に接続して名詞化させるもの こと とき ため

付属語

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単独で文節をつくることができない単語を付属語(ふぞくご)と呼ぶ。

助動詞

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文や文節に否定や断定、丁寧、推測、過去などの意味をつけくわえる語。主に用言・体言・助動詞に接続する。活用がある。


助動詞には、次のものがある。


使役(しえき)の助動詞 「せる」・「させる」
※ 「使役」とは、比較的に古くからある言葉で「(部下や従者などに、仕事などを)行わせる」という意味であったが、しかし文法用語でいう「使役」は、やや意味が違う。文法でいう使役とは、仕事かどうかはどうでもよいし、身分も関係ない。文法用語でいう「使役」とは、単に、他人に何かをさせることである。

本を 読ませる
カレーを 食べさせる


活用は、「読ませれば」「読ませて」「読ませる」などのように活用する。


受け身・可能・自発・尊敬 の助動詞 「れる」・「られる」

猫に さわられる。(受け身)
僕は、9時なら起きられるよ。(可能)
院長先生が、本を書かれる。(尊敬)
この絵を見ると、小学生時代の記憶が思い出される。(自発)


「書かれた」「書かれれば」「書かれる」などのように活用される。


打ち消し(否定)の助動詞「ない」・「ぬ」

あいにく、知らない
知ら、存ぜ


猫(ねこ)が、あまり食べない


「知らなかろう」・「知らぬ」・「知らなければ」などのように活用する。

「存ぜぬ」・「存ぜん」のように活用する。


なお、「何もない。」の「ない」は形容詞「なし」の変化であるので、助動詞ではない。


過去・完了・存続の助動詞「た」

駅に着い。(完了)

この文の時点からみて、駅に到着したばかりだし、その文の時点で駅にいるので、完了である。

彼は昔、マラソン選手だっ。(過去)

この文では、はたして現在ではマラソン選手かどうかは不明である。だが、過去にマラソン選手だったのは確かである。


つるされ服を手に取る。(存続)

服がつるされている時は、この文の時点からみて、過去ではなく現在なので、服はつるされつづけているので、存続である。

また、存続の場合、普通は「た」のあとに体言が続く。


希望の助動詞「たい」・「たがる」
僕は理由を知りたい
彼も理由を知りたがる

「たい」は普通、話し手が希望している場合に使う。

「たがる」は、話し手以外の第三者が希望している場合に使う。


「知りたい」の活用は、たとえば「知りたかった」「知りたく」「知りたい」「知りたければ」などのように活用する。


意志・推量・勧誘・の助動詞「う」・「よう」
さあ、いっしょにやろ。(勧誘)
さあ、いっしょに勉強しよう。(勧誘)
さてと、やろ。(意志)
外は暑かろう。(推量)


「そんな話があろうはずがない」の「あろう」の「う」が助動詞「う」である。活用は「う」しか形が無いが、しかし「あろうはず」のように体言「はず」につながるので、連体形である。終止形の「(あろ)う」と連体形の「(あろ)う」があるので、便宜的に「う」は助動詞として分類される。


「よう」も同様、便宜的に助動詞として分類される。


打ち消しの意志・推量の助動詞「まい」
もう二度とこんな失敗はするまい。(打ち消しの意志)
どうせ、きみには、できはしまい。(打ち消しの推量)


(※ 範囲外)活用せず、「まい」しか形が無い。しかし、「まい」の古語の「まじ」に活用があるので、便宜上、「まい」も助動詞として扱う。

時代劇などで「あるまじき無礼(ぶれい)」のようなセリフがあるが、「まじ」は「(ある)まじき」「(ある)まじく」などのように活用するので、「まじ」は古語の助動詞である。


「打ち消しの意志」とは、「今後は◯◯しないでおこう」のような意味。

「打ち消しの推量」とは、「今後は、そうはならないだろう」のような意味。


断定の助動詞「だ」・「です」
東北地方は私の故郷

「だろう」は助動詞「だ」の未然形「だろ」に推量の助動詞「う」がついたものであると分類する。

また、「東北は私の故郷であり」の「で」も助動詞「だ」の連用形に分類する。

「だろ(う)」・「だった」などのように活用するので、助動詞である。


「です」は、助動詞「だ」を丁寧にした形。

東北地方は私の故郷です


「でしょ(う)」・「でし(たら)」などのように活用するので助動詞。


推定の助動詞「ようだ」「ようです」
まるで本物のような絵だ。

「ようだ」は、活用の変化は断定の助動詞「だ」に似ているが、しかし意味が断定ではなく推定なので、便宜上、推定の助動詞「ようだ」と断定の助動詞「だ」は別々の助動詞として、あつかう。


「ようです」は、「ようだ」を丁寧にした形。


様態・伝聞の助動詞「そうだ」「そうです」
あしたは雨になりそうだ。(様態)
あしたは雨になるそうだ。(伝聞)

「そうだ」は、連用形の後ろに つながる場合は様態の意味。

「そうだ」は、終始形の後ろに つながる場合は伝聞の意味。


「そうです」は、「そうだ」を丁寧にした形。


(※ 執筆中)

このページ「中学校国語 文法」は、まだ書きかけです。加筆・訂正など、協力いただける皆様の編集を心からお待ちしております。また、ご意見などがありましたら、お気軽にトークページへどうぞ。
  • 備考

国語学者の大野晋によれば[3]助動詞の語順は、人為・自然(「れる」「られる」や使役)+敬意(補助動詞)+完了・存続+推量・否定・記憶(+働きかけの終助詞)の順に並ぶとされる。

助詞

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助詞とは、付属語で活用が無く、単語や文節同士をつないだり、つながれたものどうしの関係づけを行ったりする語である。また、文や文節のリズムを整えたり、禁止や疑問、強調の意味を添える役割もある。

主に用言・体言・助動詞に接続する。活用はない。

学校文法では助詞は格助詞(かくじょし)・副助詞(ふくじょし)・接続助詞(せつぞくじょし)・終助詞(しゅうじょし)の四つに分類される。格助詞(かくじょし)は体言に接続するか、または体言と同じような働きをするものに接続して使われる。

格助詞

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格助詞は、直後の単語との関係を明確なものにするために使われる。

たとえば「ライオン、トラ、襲う。」では、

「ライオントラ襲う」のか、

それとも

「ライオントラ襲う」のか、

はたまた

「ライオントラ襲う」

のかわからない。

この「が」「を」のような、動作をする側とされる側の関係づけをするための助詞のことを格助詞(かくじょし)という。


気を付けるべきこととして、助詞「が」のつく文節は、必ずしも主語とは限らない。

たとえば、

「これが欲しい。」

という文は、けっして「これ」さんが何かを欲しがっているわけではない。そうでなくて、話し手の、欲しがっている対象物が、代名詞「これ」で表される何かなだけである。

つまり、ここでいう「これが」は、英語でいう所の目的格である。なお、学校文法では「これが欲しい」の「これが」は『連用修飾格』という格に分類する。


しかし、日本語の学校文法では、(英語でいう)目的格のようなものも「格」として扱うので、助詞「が」は、どっちにせよ「が」は格助詞である。


なお、「寒い、外出した。」の「が」は、格助詞ではない。「寒い、外出した。」の「が」は、接続助詞である。


「この場所より」とか「この場所から」の「より」や「から」も、格助詞として分類する。


つまり、「より」は格助詞である。「から」は格助詞である。


(※ 英語だと、「より」や「から」などに相当する内容の英作文をする場合は 前置詞 from などで表されて、英語では格としては扱わないが、しかし日本語と英語は構造の異なる言語である。
文法の理論とは結局、妥協の産物である。)


助詞「は」について

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さて、「僕は好きだ。」・「テニスは好きだ。」のような「は」については、文法の理論上、難しい問題があり、いちぶの学校教科書によっては説明を避けている場合もある。

三省堂や学校図書や光村図書の検定教科書で助詞「は」を紹介しているが、これらの出版社の検定教科書では、助詞「は」は副助詞(ふくじょし)に分類される。副助詞については後述する。格助詞としては扱わない。)

たとえば、(学校教科書では習わない文だが、)

「象は鼻が長い。」
「ぼくはチャーシューメン。」

という文を考えれば、「は」を格助詞と考えるべきかどうか、いまいち不明確だと分かるだろう。「象」は「鼻が長い」性質の(英文法でいうところの)主格でもなければ、(英文法でいうところの)目的格でもない。(英語でいう所有格「〜の」の)象鼻は長いが、しかし料亭で「ぼくはチャーシューメン」という場合は、チャーシューメンを注文しているのであって、けっして「僕のチャーシューメン」をどうかしようとしているわけではない。


助詞「は」の意味を紹介している三省堂の検定教科書では、助詞「は」は、題目をあらわす助詞として分類している。

(※ 範囲外: )学校文法(主に橋本文法)ではないが、助詞「は」を、主題・話題をあらわす助詞として分類する学説もある(三上文法など)。


格助詞「の」

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「これは僕筆箱だ。」

などの連体修飾語としての「の」は、格助詞に分類します。


「の」には、

「このリンゴは、君だ。」

のように、名詞のかわりをする用法もあります。(「もの」の意味。例文の場合は、「君のものだ。」の意味)

「野球は、見るよりもするが好きだ。」

のように、「すること」の「こと」の意味で「の」が使われる場合もあります。

このように「こと」「もの」の意味で助詞「の」が使われる場合もあり、この場合の助詞「の」も格助詞に分類します。


また、

「ぼく作った手料理だ。」

のように、動詞の前に「の」がついて、主語になる場合もある。


これらの用法(「の」の名詞の代わり用法。主語を示す助詞としての「の」)の場合も、すべて格助詞として分類する。


なお、混同しやすい例として

「東京に行くの?」

のような文末の「の」がありますが、これは終助詞「の」です。文末の「の」は格助詞ではないです。

接続助詞

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接続助詞(せつぞくじょし)は、主に用言に接続して、下に来る部分との関係を明らかにするものである。接続詞に置き換えることもできる。

「寒いので、厚着する。」の「ので」は接続助詞である。


「日が暮れ、寒くもなった。」の「て」は接続助詞である。

「寒い、外出した。」の「が」は、接続助詞である。

副助詞

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副助詞(ふくじょし)は体言や格助詞に接続し、その文節に副詞のように用言や述語・述部を修飾する役割を持たせる。

三省堂や学校図書や光村図書(教科書会社名)の検定教科書では、助詞「は」は副助詞として分類される。

教育出版は、助詞「は」については説明をさけている。


「これはいらない。」という場合の「は」は、限定 の意味をもつ助詞である。


終助詞

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終助詞(しゅうじょし)は述語に接続し、聞き手や読者などに禁止や疑問・勧誘などの働きかけを行う。

他にも「君の(もの)だ」の「の」のように体言の働きを持つものを準体助詞、「ね」「さ」「よ」などのように文節の切れ目に自由に入れて、強調したりリズムを整えたりするものを間投助詞という。

区別しにくい品詞

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単語の中には品詞を区別しにくいものも多い。いくつかの例を見てみよう。

  1. 山田さんはきれいだ
  2. 山田さんは病気だ

1の「きれいだ」は形容動詞だが、2の「病気だ」は名詞「病気」+助動詞「だ」である。これをどうやったら区別すればよいだろうか。この場合は副詞「とても」を入れるとよい。副詞は主に用言を修飾するので、1は問題ないが、2だと「山田さんはとても病気だ」となり、不自然な文になる。

  1. この猫は小さい
  2. この小さな猫はかわいい。

「小さい」は形容詞だが、「小さな」は連体詞である。これは形容詞の活用の中に「な」の形がないことから判断する。

  1. 本を読まない
  2. 本がない

どちらも「ない」だが、1は打消の助動詞「ない」で、2は形容詞「ない」である。この場合は自立語は単独でも文節を作れることや打消の助動詞「ぬ」を入れて判断することができる。

※ 主に三年の範囲

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接頭語・接尾語

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単語の一部または全体につけることで品詞そのものを変えたり、意味を付け加えたりする言葉がある。その内、単語の頭につけるものを接頭語、後ろにつけるものを接尾語という。接頭語・接尾語は一つの単語として数えず、接続したものとセットで一つの単語としてみる。

日本語の接頭語の例を挙げる。「お」「ご」は名詞や動詞について尊敬や丁寧の意味を付け加える。既に敬語のところで述べたように、「お」は和語に、「ご」は漢語に接続する。他には名詞に接続する「新」「超」「反」や特定の色の名詞に接続する「まっ」がある。

接尾語は、形容詞の語幹に接続して名詞を作る「さ」、「さん」「様」などの敬称、名詞に接続して連体修飾語な意味を持たせる「的」「性」などが挙げられる。

コラムなど

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文の種類

文には単文(たんぶん)、複文(ふくぶん)、重文(じゅうぶん)の3種類がある。単文(たんぶん)は一つの主語・述語のセットで成り立っている。複文(ふくぶん)は二つ以上の主語・述語のセットでできており、ある主語・述語のセットが別の文節を修飾したり、文の主部・述部になっているものである。重文(じゅうぶん)も二つ以上の主語・述語のセットでできているが、修飾関係などはなく対等な関係にある。

例文:

  • 単文:「今日、僕は大学へ行く。」―この場合、主語は「僕は」、述語は「行く」。
  • 複文:「僕は、先週A先生が出した試験の結果を見に行く。」―全体の主語は「僕は」、述語は「行く」だが、「先週A先生が出した」という主語・述語のセットが「試験」を修飾している。このため、二つの文に分けると「僕は、試験の結果を見に行く」となることで「試験」の説明がなくなり、修飾部「先週A先生が出した」は単独では意味をつかみにくくなる。
  • 重文:「僕は追試を受けたが、Bさんは合格した。」―「僕は追試を受けた」と「Bさんは合格した」の二つに修飾・被修飾の関係はなく、「が」を取り除き、二つの文に分けて文章にしても意味は変わらない。
  1. ^ このときに注意したいのは「道を歩く」という文のような場合である。この場合、「道を」は動作の目的ではなく手段であり、「歩く」は自動詞である。このように、「を」を入れられるか否かで自動詞・他動詞を判別するのは便利ではあるが、「を」が動作の目的を指す場合にのみ判断できるということを念頭においてほしい。なお、「歩く」の他動詞は「歩かす」である。
  2. ^ なお、日本語では自動詞・他動詞の区別はそれほど重要ではないという指摘もある。例えば英語の場合、A thief runs away.(泥棒が逃げる)という自動詞を使った受け身の文にすることはできない。しかし、日本語では「泥棒が逃げる」という文を「泥棒に逃げられる」という受け身の文にすることが可能である(他動詞の場合は英語・日本語共に受け身の文にできる)
  3. ^ 『文法と語彙』(岩波書店)および『古典文法質問箱』(角川文庫)