中学校社会 公民/人権思想と民主主義の歩み

1215年 マグナカルタ (イギリス)
1628年 権利の請願(せいがん) (イギリス)
1776年 アメリカ独立宣言 (アメリカ)
1789年 フランス人権宣言 (フランス)
1919年 ワイマール憲法 (ドイツ)
1948年 世界人権宣言 (国際連合)
1966年 国際人権規約

国家権力とは

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国家は農耕の発展とともに、それを奪いに来る遊牧民からの防衛と農作業の共同化(効率化)の必要性から誕生しました。歴史を振り返ると、国家の第1の役割は防衛、第2の役割は社会資本の整備(国民の福祉の増進)、第3の役割は社会秩序の維持、第4の役割は国民一人ひとりの権利の保障です。こうした役割を果たしていくためには人々の利害や対立を調整し、国民の願いを叶えていく仕組み(政治)が必要です。

政治を行うにあたり、人々に命令し強制する権力が必要です。国家が国民に強制する力を国家権力といいます。民主主義でも権力はありますし、必要でもあります。国家は国民の自由と安全を守るために強大な権力を持っていますが、誤ってつかうと国民の自由や権利を奪いかねません。そのため、国家権力を正しく使うための考え方があります。

古代・中世

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古代ギリシア民主政などの一部の例外を除いて、古代や中世では、世界のほぼすべての国で、民主主義は行われませんでした。(なお、例外の古代ギリシアでも、古代ギリシアでは参政権は原則的に兵役の義務にともなうものであったので[1]、つまり古代ギリシアで選挙権のあった「市民」とは軍役の義務を負った兵士などのことであり、現代の民主主義とは違う。)

そもそも、古代や中世では、国家の主権者は、国民ではありませんでした。

国王や貴族(や教皇・法王)などの、一部の人たちだけが、その国の政治に参加していました。国王や貴族が、一般の人々を支配しており(専制支配、(せんせいしはい) )、人々に重税を課していたりしました。

また、その国王や貴族は、生れながらの身分によって、誰がその地位に付くかも、ほとんど決められていました。

選挙で選ばれた政治家からなる「議会」のような組織は、古代・中世では、ない国も多かったです。あったとしても、国王や貴族と比べて、当初の議会は、権力が弱いものでした。


近代

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革命

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しかし、近代になると、ヨーロッパでは、専制政治への不満が、高まっていきます。(※著者注 なお、もともと中世ヨーロッパの絶対王政には、外国からの不当な干渉をふせぐために(ローマ教会からの圧力なども、不当な干渉にふくむ)、国王の権力を強めていったという側面もあった。)

そしてフランス革命(1789年)によって、フランスでは、フランス国王が処刑され、専制政治が倒されます。

同じ1789年に発表された『フランス人権宣言』は、決して単なる人権思想を主張するだけの狙いではなく、フランス革命後の政治方針という側面もあります。

フランス人権宣言(※ 日本語訳して抜粋)
第1条 人は、自由かつ権利において平等なものとして出生(しゅっしょう)し、かつ生存する。
第3条 あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。
(※ 翻訳は検定教科書ごとに違うので、暗記しなくていい。)


『フランス人権宣言』は実質的に、革命後のフランスでの、当面の憲法のようなものでもありました。なお、フランス憲法は1791年に制定されます。(※ 教育出版の教科書で、革命後のフランス憲法の制定年が紹介されてる。)

ヨーロッパの他の国では、国王を処刑しない国でも、選挙で選ばれた政治家からなる議会をつくらせていったりして、国王や貴族などから権力をうばっていきました。

このように、民主主義は、戦いによって、勝ち取っていったものです。

中学校社会 歴史/市民革命と産業革命 などを参照せよ。


民主主義を行う国が増えていったのは、近代になってからであり、ヨーロッパやアメリカ合衆国を中心として、民主主義が行われるようになりました。

ちなみに、アメリカ独立革命が起きたのは1775年であり、フランス革命(1789年)よりも、アメリカ独立革命のほうが古いです。

1775年のアメリカ独立革命後、1776年に発表された独立宣言のなかで、生命・財産の権利などがうたわれます。

アメリカ独立宣言(※ 要約。日本語訳して抜粋)
われわれは、つぎのことを自明(じめい)の真理として信じる。すべての人間は平等につくられており、造物主(そうぶつしゅ)によって、一定のうばえない権利を与えられており、その中に生命・自由および幸福追求の権利が含まれていること、である。
(※ 翻訳は検定教科書ごとに違うので、暗記しなくていい。)

そして、1787年に、アメリカ合衆国の憲法が制定されます。

フランス人権宣言や、アメリカ独立宣言では、人は生まれながらにして、自由や平等などの権利をもつことが宣言されました。

このように、人が生まれながらにして持っている権利のことを「人権」(じんけん)といいます。

権利

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近代の人権思想で、最初に認められていった権利は、生命や身体を不法にはおびやかされない権利や、財産を持つ権利などといった、自由権(じゆうけん)です。

しかし、資本主義がすすむにつれて、長時間労働などの問題が出てきたり、貧富の格差が大きくなっていくなどしました。 そのため、最低限度の生活を保障する社会権(しゃかいけん)が認められていくようになりました

20世紀に入ってから、1919年にドイツのワイマール憲法で、社会権(しゃかいけん)が世界で初めて、憲法の規定として認められました。

(※ ちなみにワイマール憲法の第151条で、社会権がうたわれている。検定教科書にも図表中に「第151条」という数字が書いてある。この「第151条」という数字は、中学生は覚えなくて良いし、一般の高校生・大学受験生も覚えなくて良いだろう)
ワイマール憲法(ドイツ)
第151条 経済生活の秩序は、すべての人に、人間たるに値する生存を保障することを目指す。
(※ 翻訳は検定教科書ごとに違うので、暗記しなくていい。)

また、労働者が、労働環境の改善のために、労働運動を始めるとともに、また、労働者が政治へ参加できる権利を求めるようになり、選挙権の拡大運動が行われました。

このように、選挙権が、しだいに広がっていき、普通選挙運動へと、つながっていきました。

イギリス

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参考: 中世イギリスのマグナカルタ

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じつは、中世のイギリスでも、1215年に発表されたマグナカルタで、国王といえども正当な法律や裁判によらなければ逮捕や土地・財産の没収などをしてはならないという取り決めが、されています。(※ マグナカルタは検定教科書の範囲内。検定教科書の図表中にマグナカルタの条文が紹介されている。)

ただし、マグナカルタは、貴族の権利を保障したものです。

権利の章典

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名誉革命(1688年)後のイギリスで、『権利の章典』(けんり の しょうてん)によって、議会の同意なしに国王が法律をつくることは違法とされ(第1条)、またイギリスの政治は、議会にもとづく政治とすることが確認されました。(※ 「権利の章典」は検定教科書の範囲内。検定教科書の図表中に「権利の章典」の条文が紹介されている。)


民主主義の思想

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イギリスでの名誉革命(1688年)のころから、民主主義的な思想が出てきて、これらの思想が名誉革命以降のアメリカやフランスなどでの革命などに影響を与えた。

立憲主義

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法の構成  憲法を頂点として、上にあるほど、強い効力をもちます。下位にある法が、上位にある法に反するとき、下位の法は無効になります。
なお、図中の「命令」とは、内閣がさだめる政令や、省庁がさだめる省令のことです。

たとえ革命で人権宣言が出されても、それが法律とならなければ、人権を守るための実効性がありません。

そのような事情もあってか、フランス革命では、フランス人権宣言が出されてまもないうちに、人権宣言にもとづく考え方を採用したフランス憲法が制定されました。

また、アメリカ合衆国でも、アメリカ独立宣言にもとづくアメリカ憲法が制定されました。

さて、憲法が制定されても、個別の法律が、憲法に従わっていなければ、人権を守るための実効性がありません。

そのような事情もあってか、近代以降の国家では、憲法とは、その国の最高法規(さいこう ほうき)であるとされ、憲法に従っていない法律は無効であるとされています。

そして、イギリスの『マグナカルタ』や『権利の章典』が国王といえども法律にしたがうべきだという決まりを定めたように(現代風にいうと、国王などによる「人の支配」ではなく、「法の支配」「法治主義」であるべきという考え方)、近代以降の国家でも、政治の権力を持った政治家たちが法律や憲法にしたがわなければ、人権を守るための実効性がありません。

なので、政治家には、憲法にしたがう事が、求められます。

(「法の支配」と「法治主義」は、厳密には意味が違うが、中学ではそこまで区別しなくてもよいだろう。自由社や育鵬社の教科書では「法治主義」の用語を採用している。帝国書院と東京書籍(2024年に確認)の教科書では「法の支配」という用語を採用している。)

なお、法の支配が確立される前の中世ヨーロッパでは、「人の支配」だとされています(東京書籍)。

このように、憲法に最高法規としての実効性を持たせることで、民主主義的な政治を行おうという考え方を、「立憲主義」(りっけんしゅぎ)といいます。

  1. ^ 吉野篤『政治学 第2版』、弘文堂、2018年(平成30年 ※原著に記載アリ)2月28日 第2版 第1刷発行、P4、