中学校社会 公民/核問題と軍縮


核問題をめぐる国際議論編集

核問題・軍縮問題の動き
1945年 アメリカ、広島と長崎に原爆を投下
1954年 アメリカ、ビキニ環礁で水爆実験、
「第五福竜丸」が被ばく
1955年 第一回原水爆禁止世界大会が日本で開催
1963年 部分的核実験禁止条約を米英ソが調印
1968年 米英ソが核拡散防止条約に調印
1972年 米ソ、戦略兵器削減条約に調印
1978年 第一回国連軍縮特別総会
1987年 米ソ、中距離核戦力全廃条約に調印
1991年 米ソ、戦略兵器削減条約に調印
1996年 国連総会、包括的(ほうかつてき)核実験禁止条約を採択
1998年 インド・パキスタンが核実験
2004年 米ロ、戦略攻撃兵器削減条約に調印
2009年 クラスター爆弾禁止条約を日本などが調印
2004年 米ロ、新戦略攻撃兵器削減条約に調印

冷戦中、アメリカとソ連は核兵器の数を競い合いました。 冷戦が終わっても、核兵器は残りました。いま(2014年)、世界にある核兵器の多くはアメリカとロシアの核兵器です。

冷戦中の米ソは、核兵器を持つことで、相手の国をおどして自国への攻撃を防ぐという核抑止論(かく よくしろん)に基づいて、アメリカとソ連の両国は自国の核兵器を増やしていました。 たしかに冷戦中には、アメリカとソ連のあいだには、直接の戦争は置きませんでした。

しかし、その結果、核兵器を増やしていく競争になり、核の処分に困ることになりました。

昨今、保有国のアメリカとロシアなどは、たとえ保有する核兵器を削減しても、自国の核兵器の保有禁止はしておらず、核兵器の保持をし続けている。

非核三原則(ひかく さんげんそく)編集

いっぽう、日本は1960年代ごろから非核三原則(ひかく さんげんそく)を掲げており、国際社会に核廃絶を訴える立場を取っている。 非核三原則は「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」からなり、1960年ごろから政府が国会で、これらの原則を打ち出したものである。だが、法律では無いので、法的な根拠や拘束力は無い。

日本と日米安全保障条約を結んでいるアメリカが、核兵器を保有していることいっぽう、日本はアメリカに安全保障の軍事面を多くたよっていることから、たびたび、「もちこませず」について、議論になる。


「核兵器を持たず、作らず」の2項目については、1955年(昭和30年)に締結された日米原子力協力協定や、それを受けた国内法の原子力基本法および、国際原子力機関(IAEA)による査察(ささつ)の受け入れ、核拡散防止条約(NPT)等の批准で法的に禁止されている。


核拡散防止条約編集

(NPT、 かくかくさん ぼうし じょうやく)

保有国以外が核兵器を持つことを禁止。すでに持っていた、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国の5カ国以外の国の、核保有を禁止した1968年からの条約である。

この条約には、批判もされていて、すでに核兵器を持っている核保有国が核兵器を独占することを認めているだけの、わがままな条約だという批判もある。

現実には、核保有国の削減は、あまり進んでいない。


包括的核実験禁止条約編集

(CTBT、 ほうかつてき かくじっけん きんし じょうやく)

あらゆる場所での、核兵器の開発のための核実験の禁止する条約を1996年に国連総会が採択した。


しかし、これらの条約に関わらず、現実としては、核保有国は、増えている。たとえば、1990年代後半には、インドやパキスタンが核実験を行い、核保有をしました。インドは中国などの核兵器に対抗する措置として、核開発を行い、またパキスタンはインドと対抗するために核開発を行っていました。

その他編集

北朝鮮が核開発を行い、核保有の疑いが高く、北朝鮮に日米による北朝鮮への核放棄の要求をせまる六カ国協議( 参加国: アメリカ、ロシア、中国、日本、韓国、北朝鮮 )などが開かれても、協議に参加したアメリカもロシアも中国も、自国の核兵器を放棄しようとはしていません。2006年には北朝鮮が核実験を行いました。

核保有をしていない日本や韓国も、アメリカや中国やロシアには、核放棄を要求していません。


日本周辺の各問題では、北朝鮮による核開発や、すでに核兵器を多く保有している中国の核ミサイル配備が、日中や米中のあいだで、軍事的緊張を高めています。

ですが、世界的には、核兵器の保有数はロシアが世界1位で、アメリカが世界2位です。

中東では、イスラエルが核兵器を保有している可能性が高く、それに反発するイランやシリアが核開発を進めています。


日本が長年、核廃絶を唱えても、国際社会では、核兵器の保有国が増える傾向にあります。

たとえ日本国などの学校教育で、核廃絶の意義や素晴らしさが唱えられても、核保有や核開発を行っている国々は日本の学生や教員の考えなんかには従ってなんかくれません。


「ロシアやアメリカなどの一部の国だけが核兵器を保有できるのは、おかしい」という国際社会の一部の意見には、見方を変えれば、「どこかの東洋の国の意見では、ロシアやアメリカなどの核保有には文句をつけないのに、他の国が核保有や核開発を行うと東洋のある国は文句をつけて、その東洋のある国は「自国は平和主義だ」としている。東洋のある国の意見は とても自己中心的でオカシイ」という見方もできるかもしれません。

「たとえ国際社会で受け入れられなくても、それでも核放棄の意義を主張しつづけることは素晴らしい」と言う考えが日本国などの学校教育にあっても、そのような日本国などの学校教育の見方にすら、核保有や核開発を行っている国々では、そのような見方は受け入れられてはいないのが現実です。

たとえ国際連合が核開発を制限する条約を採択していて、それについて日本人の考えで「国際連合は平和主義の素晴らしい組織であり、だから国連の意向に従って核放棄をすべきである。」と日本が考えようが、そのような「国連を素晴らしいとする」という日本の考えや「国連を平和主義とする」という日本の考えや、「軍縮を平和主義とする」日本の考えにすら、そもそも外国は必ずしも従ってくれれません。

国際社会は、たかが日本の都合には合わせてくれないのです。ましてや、その日本の学校教育の都合になんか、国際社会は全く合わせる理由はありません。

たしかに、一部の国だけが独占的に核兵器を保有しているのは、どう考えても不公正です。 その一方で、核兵器の拡散が再現なく続いて広まっていけば、これはとても危険です。テロリストに核兵器が渡る懸念(けねん)もあります。