課題

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大陸の文明にはどのような特徴があるのだろか。

文明は時代によってどのように変化したのだろうか。

中国文明

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東アジアでは、中国にある黄河(こうが)長江(ちょうこう)の流域で農業などの原始的な文明が紀元前4000年〜紀元前3000年ごろから始まっていて、土器なども作っていました。これらの中国文明は、東アジアでは、古くから発達した文明の代表例として扱われることも多いとされています。

黄河の流域では、水や肥えた土などを元に畑作が行われ、アワやキビ、ヒエなどの農産物が作られました。同じころ、長江の流域でも、稲作が行われ始めました。

農業により、食料が増えたことで、人口も増えた。磨製石器などの石器や、土器なども生産されていました。

紀元前1600年ごろから、黄河や長江の流域の土地には、都市や国家も形成されていきました。

中国で青銅器を生産しだしたのは、紀元前1600年より以降だと考えられています。中国でも紀元前3000年ごろのものと思われる青銅器も見つかっていますが、これらはメソポタミアなどの先進文明の地域から交易などによって中国に持ち込まれたものだろうと考えられています。

(いん)の王朝

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亀の甲羅に書かれた甲骨文(北京 博物館)
 
(いん)の時代の青銅器(せいどうき)
 
甲骨文字の例

紀元前1600年ごろに、いくつもの国をまとめた (いん)という王朝が成立しました。殷のことを「(しょう)」ともいいます。

  • 甲骨(こうこつ)甲骨文字(こうこつもじ)

この殷は占いを重んじる政治を行いました。亀の甲などを焼くと、ひび割れができますが、このヒビ割れの方向をもとに、殷は政治の占いをしていたことが分かっています。

そして、占いの結果を亀の甲や牛の骨にきざんだものが甲骨文字です。この甲骨文字が後の時代の漢字のもとになっています。

  • 青銅器(せいどうき)

この時代に青銅器(せいどうき)も使われていました。

※ 青銅(せいどう)とは、(どう)と すず との合金。青銅器とは、青銅で作られた器具。

青銅器は貴重品なので、王族や宗教的な儀式などで使われました。

(しゅう)の王朝

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孔子(こうし)

(いん)は、紀元前1100年ごろに、(しゅう)に、ほろぼされます。 こうして、(しゅう)という王朝が出来ました。周の時代に、青銅製の貨幣が作られ、商業が発達していきました。

周の力は紀元前8世紀ごろから弱まり、中国全土が多くの国に分かれて争うようになります。

紀元前8世紀~紀元前3世紀ごろまで続いた争いの時代を春秋・戦国時代といいます。

紀元前8世紀ごろから、鉄製の道具が普及しはじめ、やがて農具や武器などに鉄が使われるようになります。鉄製の農具が普及したことで、農業は発達しました。

戦乱が長く続いたことやそれぞれの国が強力な国となるために、理想的な政治のありかたを考える思想家が多くあらわれました。

孔子(こうし)は、この春秋戦国時代の思想家です。 孔子は、親子などの家族関係をもとに、君臣の間の上下関係などの礼儀や、葬儀などの儀式などを重んじる思想を唱えました。孔子は、思いやりの大切さを説き、その思いやりの心を「(じん)」という言葉で表しました。

このような思想が受け入れられた背景として、この春秋・戦国時代は、反逆や戦乱などが絶えない時代でもありました。

孔子の教えを儒教(じゅきょう)といいます。孔子の教えを弟子たちがまとめた書物を『論語(ろんご)』といいます。のちの時代に、儒教の教えは我が国や朝鮮にも伝わり、その政治などに大きな影響を与えます。

(しん)の時代

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兵馬俑(へいばよう) 
始皇帝の墓から、東に約1.5kmほど離れた場所にある。陶土(とうど)でつくられ、兵士をかたどった等身大の人形が、いくつも(約7000体)あります。人形は東を向いて軍隊のように整列しています。
世界遺産になっています。
 
(しん)始皇帝(しこうてい)

紀元前3世紀である紀元前221年に、(しん)が中国を統一しました。そして、秦王は、これまでつかわれていた「王」よりも上位の称号として「皇帝」という称号をつくりました。そして、秦王が最初の皇帝となり、自らを始皇帝と名乗りました。

秦は、北方の異民族の侵入を防ぐため、万里(ばんり)長城(ちょうじょう)を作らせました。

また、それまで中国の各地方によって異なっていた貨幣や文字、長さ・重さ・体積 などの制度も統一しました。

しかし、始皇帝の死後、各地で反乱があいつぎ、秦の統一後から、わずか15年ばかりで、秦は滅びます。

(かん)の時代

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西暦1世紀ごろのアジアの主な交易ルート。シルクロードとほぼ同じ。画面右の SINAE(中国) から、画面左上の EUROPE(ヨーロッパ)をつなぐ陸路が、シルクロード。

紀元前202年、秦にかわって、(かん)という王朝が中国を統一しました。漢は約400年ほど続きました。

漢は勢力を広げ、武帝(ぶてい)(皇帝の人名)の時代には朝鮮半島にも勢力を広げ、朝鮮半島に楽浪郡(らくろうぐん)を起きました。また、中央アジアにも支配を広げました。

漢の時代に、(かみ)の発明があり、歴史書なども多く書かれました。

  • シルクロード

商業では、西アジアと中国の交易もさかんになった。のちの時代に、この貿易の経路がシルクロード(英語:Silk Road)といわれるようになります。「シルクロード」の意味は「(きぬ)(みち)」という意味です。ローマ帝国などのヨーロッパの生産物も、このシルクロードを伝って、中国に伝わっていったと考えられています。

中国からは、絹織物(きぬおりもの)などが輸出されました。漢では工芸も発達し絹織物などが生産されていました。一方、西方から中国には仏教(ぶっきょう)やブドウなどが伝わってきました。