私達、現在の人間の直接の祖先である 新人 ( しんじん ) が、20万年前には、あらわれていました。 新人を、 現生人類 ( げんせいじんるい ) とも言い、また、 ホモ=サピエンス とも言います。 フランス南部からは クロマニョン人 のあとが発見されています。

現生人類を含む、直立姿勢を完成した脳の大きな人類。 もともとギリシア哲学以来、人間の本質は英知の優れていることにあると考えられてきた。 これに応じて、賢い人間という意味でこの名がある。

ホモ・サピエンスは約30万~20万年前にアフリカで誕生し、5万年前以降にアフリカを出て、ヨーロッパ、アジア、シベリア、オセアニア、そして米国へと大拡散していったのです。 それ以前に世界各地にいた原人や旧人と、ホモ・サピエンスが生きていた時期は重なりますが、ホモ・サピエンスだけが生き残り、原人、旧人は滅びていきます。

日本列島へのホモ・サピエンスの渡来も、この地球規模の大きな流れの中の一コマとして、捉えることができます。 日本列島にはじめてホモ・サピエンスが現れたのは、今から38000年ほど前のことでした。 かつては、その頃の日本列島とアジア大陸は陸続きで、祖先たちはそこを歩いて渡ってきたと考えられていました。

課題

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人類は、どこで生まれて、どのように広がっていったのだろう。

人類は、どのように生活していたのだろう。

猿と人の違いはなんだろうか。

まとめよう。

猿人(えんじん)

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最初の人類は、次に言う猿人(えんじん)とされています。アフリカのチャドで440万年以上前(約700万年前とされている)の地層(ちそう)から発見されている(ここで見つかった猿人をサヘラントロプス=チャデンシスという)猿人は二本足で立って歩ける二足歩行(にそくほこう)が可能だったといわれています。

二足歩行ができるようになった結果、手で使う道具が発達していき、それにともなって知能も発達していったと考えられています。

猿人は石をそのまま使っていただけだった(ただし一部では打製石器を使っていた)。打製石器(だせいせっき)旧石器(きゅうせっき)とも呼ばれます。このような打製石器までしか使っていない時代を旧石器時代(きゅうせっきじだい)といわれています。

さらにその後、類人猿(るいじんえん)という種類の人類も誕生しました。類人猿の特徴は直立二足歩行をしていてこの頃から打製石器の本格的な使用を始めました。

その後の100万年〜200万年後の時代の間に、人類はアフリカから出て、各地に散らばっていきました。

原人(げんじん)

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今から200万年ほど前に原人(げんじん)があらわれました。 アジア大陸の中国の北京(ペキン)の近くの周口店(しゅうこうてん)からは、 北京原人(ペキンげんじん)(シナントロプス=ペキネンシス)のあとが発見されています。

北京原人は火を使用していたことが分かっています。

インドネシアのジャワ島からはジャワ原人のあとが発見されています。

ドイツからはハイデルベルク人が発見されています。

原人は、言葉を話せました。また、火も道具として使っていました。

石器は、打製石器を使っています。旧石器時代にふくまれます。

旧人(きゅうじん)

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ドイツのネアンデルタールから旧人の ネアンデルタール人 のあとが発見されています。


新人(しんじん)

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ラスコー洞窟の壁画

私達、現在の人間の直接の祖先である新人(しんじん)が、20万年前には、あらわれていました。 新人を、現生人類(げんせいじんるい)とも言い、また、 ホモ=サピエンス とも言います。

ホモ→ホモ・サピエンス

フランス南部からは クロマニョン人 のあとが発見されています。クロマニョン人が住んでいた洞窟の壁画から、当時の生活がわかり、狩りをしていたらしいことが絵から分かります。

そのほか、クロマニョン人は打製石器や骨角器を使っていました。

フランスの洞窟の壁画のラスコーの壁画や、スペインの洞窟のアルタミラの壁画などから、動物の絵が見つかっており、どうやら狩りの成功を、クロマニョン人は、いのっていたようです。


我が国でも新人は発見されています。


新人になると、磨製石器を使用していたので、新石器時代です。 そして、人類の始まりから原人までは、旧石器の打製石器を使っているので旧石器時代です。