冷戦の終了

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1970年代ころから、冷戦では、ソビエトの工業がおくれはじめ、ソビエトは経済でも行きづまっていった。 1979年のソビエトによる アフガニスタン侵攻(Soviet war in Afghanistan) もあり、米ソでは軍事費が増大した。 アメリカはミサイル防衛計画などを発表し、巨額の軍事費を軍事の技術開発に投資した。ソビエトは経済がくるしいにもかかわらず、ソビエトも、アメリカに軍事的に対抗するため、ソビエトは予算を軍事費につぎこんだので、ソビエトの経済はますます苦しくなっていった。そして、ついに共産主義経済が、行きづまりそうになった。

そのため、ソビエトは改革をおこなって、経済を活性化することを考えた。

1985年にはソ連で当時の最高指導者のゴルバチョフ(ロシア語:Горбачёв、ラテン文字:Gorbachev) によるゴルバチョフ政権が出来て、そしてゴルバチョフは共産主義的な経済手法をあきらめ、市場経済の導入や、情報公開などの改革をおこなった。このゴルバチョフの改革を ペレストロイカ(ロシア語:перестройка、ラテン文字表記:Perestroika) と言う。ペレ・ストロイカとは、ロシア語で「再建」という意味である。

しかし、この改革により、ソ連の国内では自由化をもとめる声がつよまっていった。また、東欧ではソ連からの独立をもとめる声がつよまっていった。

 
マルタ会談。会食している、ソ連のゴルバチョフ書記長と、アメリカのブッシュ大統領。

そして、1989年に、ゴルバチョフとアメリカのブッシュ大統領とが地中海のマルタ島で首脳会談し、ついに冷戦の終了を宣言した(マルタ会談)。 それからソ連は解体されていった。

1990年には、東西に分裂していたドイツが統一した。当時、西ベルリンへの行き来をさまたげていた ベルリンの壁(ベルリンのかべ、ドイツ語: Berliner Mauer) は、民衆たちによって壊された。

そして、1991年にはロシアやウクライナなどのソ連を構成していた国々が分離して独立した。ソ連にかわって、ロシアやウクライナなどのかつての構成国により、独立国家共同体(どくりつこっか きょうどうたい)が結成された。

脚注

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※ 編集者注: 2022年にゴルバチョフは死去[1]
  1. ^ 実教出版