中学校社会 歴史/日清戦争から日露戦争までのあいだ
中国利権の分割
編集清(しん)が日清戦争に負けたことで、清が弱いことがヨーロッパに知られると、ヨーロッパは清に対して強気の交渉に出て、清から多くの利権を手に入れます。
清は、それまで「眠れる(ねむれる)獅子(しし)」とおそれられていましたが、日本に敗戦してからは、清は弱い国だと、欧米から見られるようになったのです。
やがて、ロシアが遼東半島を借りる権利を清から手に入れた。
イギリスやドイツ・フランスも、清から土地の権利などの利権を手に入れていきます。
義和団の乱(ぎわだん の らん)
編集このようなことから、清の民衆とのあいだに、ヨーロッパに対する反発感情が高まっていきます。 1899年には、義和団(ぎわだん)という宗教団体が欧米の勢力をしりぞけようとする暴動(ぼうどう)を起こします。この暴動を 義和団の乱(ぎわだん の らん) と言います。義和団は、「扶清滅洋」(ふしん めつよう)という言葉を、運動の標語にしていました。「扶清滅洋」の 意味は、「清朝をたすけて、西洋をほろぼせ」という意味です。
清の政府は、この乱を支援します。清国政府は、欧米に対して宣戦布告(せんせん ふこく)をします。
欧米は、日本をふくむ8カ国からなる連合軍を派遣し、義和団と清国軍と戦い、乱をしずめます。
なお、連合軍は、イギリス・ドイツ・ロシア・日本・アメリカ・フランス・イタリア・オーストリアの8カ国の軍隊からなります。「オーストリア」は、南半球に有る「オーストラリア」ではなく、ヨーロッパに有る「オーストリア」ですので、まちがえないようにしてください。
発展: 日本の政党政治
編集(※ やや難しいので、分からなければ、あと回しにしてください。)
日本の議会では、日清戦争後、政党の力が強くなりました。
民権派の大隈重信(おおくま しげのぶ)と板垣退助(いたがき たいすけ)が憲政党(けんせいとう)を結成し、それまでの第三次伊藤博文内閣(いとう ひろぶみ)に代わり、1898年に大隈重信を首相とする日本で最初の政党内閣が生まれた( 「隈板内閣」(わいはんないかく)という。 ※ 中学範囲外か)。
- ※ なお、「政党内閣」でなく「政党」そのものは、1881年に板垣退助が自由党(じゆうとう)を結成しており、1882年に大隈重信が立憲改進党(りっけん かいしんとう)を結成している。1881年〜1882年当時の国会開設をめぐる板垣と大隈との意見の違いで、当時は政党が別れてるのである。
- ※ 憲政党は隈板内閣の誕生後に分裂するが、本書では両方とも「憲政党」として扱う。ちなみに「憲政党」(旧・自由党系)と憲政本党(旧・進歩党系)に分裂する。
1898年の板垣と大隈の内閣はわずか4ヵ月あまりで倒れ、1898年11月から(第二次)山県有朋(やまがた ありとも)内閣になる。山県有朋は、政党勢力が官僚に入り込めないように、文官任用令(にんようれい)を制定した。(※ 中学範囲外)
- ※ テストなどで、発音につられて「山県」をまちがえて「山形」と書いてしまう誤字が多いので、山県有朋を漢字で書く際には「ヤマケン アリトモを漢字で書く」ように覚えよう。
(※ また山県内閣は軍部大臣現役武官制(ぐんぶだいじん げんえきぶかんせい)という制度を制定し、軍部大臣には、現役の陸海軍大将・中将しか、なれないようにした。これは政党の力が軍部におよぶのをふせぐためである。この単元の範囲をこえるので、くわしい説明を省略。とりあえず、この「軍部大臣現役武官制」の用語が、のちの時代に、とても重要になる用語だということを知ってもらいたい。)
このような山県の政党への制限に、憲政党は不満をもった。憲政党は、山県と対立する伊藤博文(いとう ひろぶみ)に接近していった。
そして山県内閣が終わり、1900年には伊藤博文(いとう ひろぶみ)が、伊藤みずからを総裁(そうさい)とする立憲政友会(りっけん せいゆうかい)の結成が9月に予定されていたので、憲政党はこれに合流し、そして立憲政友会が予定どおりに9月に結成され、1900年10月から立憲政友会による第四次伊藤内閣になった。
※ 憲政党と立憲政友会は対立していない。議会で対立したのは、山県系の勢力と、政党系の勢力である。
つまり順序は、
- 憲政党の隈板内閣 → 山県有朋内閣 → 伊藤博文の立憲政友会の内閣
である。(※ 中学の範囲では、この順序が重要。)
なお、伊藤内閣は貴族院の反対によって退陣させられ、1901年に政権が桂太郎(かつら たろう)内閣に変わる。桂は、山県系の人物だと考えられている。
※ 政党名がたくさん出てくるが、まず覚えるべき政党は、「憲政党」「立憲政友会」の二つであり、覚えるべき人物については憲政党の大隈重信と板垣退助、および立憲政友会の伊藤博文である。他の政党を覚えるよりも、それなら「山県有朋」をさらに覚えたほうが、政争の背景が分かりやすくなるだろう。