中学校社会 歴史/隋と唐
このページでは、6~7世紀前後の中国のようすについて紹介します。学校では学習しない範囲が多く含まれているので、注意してください。
隋
編集※ほとんどの教科書には、隋そのものについての詳しい記述はありません。
隋のはじまり
編集中国は、五世紀から六世紀にかけて南北に分裂していました。589年、分裂していた中国を一つにまとめたのが、
隋を建国した
隋の滅亡
編集楊堅に続いて隋を支配した皇帝が、
煬帝は、高句麗遠征(高句麗との戦争)を三回も行い、この遠征のために大運河の建設も進めました。
しかし、遠征は失敗。このために重税を課された人々は 次々に反乱を起こし、中国は内乱状態になります。
結局、都の大興(のちの長安、西安)は、隋の武将であった
唐
編集※学校では学習しない範囲が含まれています。
唐のはじまり
編集隋を滅ぼした李淵は、618年に
唐の拡大
編集太宗は、当時モンゴル草原を支配していた「
三代目の
国際都市・長安
編集中央アジアから朝鮮半島まで領土を広げた唐。唐の都は
当時のユーラシア大陸には、地中海から西アジア、中国までを結ぶ「シルクロード」という巨大な交易路がありました。 シルクロードでは、中国の特産品である絹をはじめ、香辛料や金貨・宗教や音楽といった文化も各地に伝えられました。
シルクロードの東に位置する長安には、それらの交易品や文化・技術が集まり、人口百万人を超える国際都市として繁栄しました。
また、シルクロードを通してイスラム教の国々と貿易を行っていた唐では、長安や
唐の律令
編集唐では、
ちなみに、律令の律は「刑法」、令は「政治に関する法」を表します。律令の一部は、日本でも取り入れられました。
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均田制 - 国が国民に土地を貸し、そこで収穫した作物の一部を国に納めさせる制度。日本では「班田収授法」として取り入れられた。
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租調庸制 - 国から土地を借りた国民が、租(作物)・調(絹織物・綿)・庸(都での労役)を国に対して治める制度。税制。
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府兵制 - 国から土地を借りた国民から、兵士を集める制度。今でいう「徴兵制度」のようなもの。
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科挙 - 隋の頃から始まった、官僚を選ぶための試験。