人権とは

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 人権とは、人が生まれながらにして持つ、人間としての権利のことである。

 人は、誰もがかけがえのない個人として尊重され、身体的、精神的、経済的に自由であって、人としての尊厳と権利を平等に持ち、また法の下で平等である。

 人権は、大きく自由権、平等権、社会権の三つに分けられる。

人権の思想史

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 人権の思想は、近代になってから確立されたが、その発想はそれよりも前に遡ることができる。

 最も早く人権の思想が法として定められたのは、1215年、イギリスのマグナ・カルタ(大憲章)である。内容は、正当な裁判または国の法律によらなければ、身体の自由の権利を侵害されないと言うものだ。国王の専制政治に反対した貴族が、王に認めさせたものである。このように、人権思想は専制政治による支配から守られるために成立した。

 その後、17世紀から18世紀にかけての近代革命において、人権の思想は確立した。この思想が、アンシャン・レジーム(革命前のフランスの身分制度)をはじめとした身分制度を打ち破るための大きな力となったためである。

 この時代の代表的な思想家は、「統治二論」で圧政に対する抵抗権を訴えたイギリスのロック、「法の精神」で三権分立を訴えたフランスのモンテスキュー、「社会契約論」で国民主権を訴えたフランスのルソーの三人が挙げられる。

 イギリスでは二度の革命(清教徒革命名誉革命。世界史も参照のこと)を経て、1689年に権利章典ができ、立憲君主制(議会の承認を得た上での君主の政治)と議会政治が確立した。

 アメリカでは、自由権と平等権を明記したアメリカ独立宣言が出された。人間は皆平等に作られ、譲れない権利を持つとされた。

 フランスでは1789年にフランス革命が起き、同年フランス人権宣言が出され、自由権と平等権が明記された。また、すべての人間は生まれながらにして人権を持つと明記された。

 その後、資本主義経済のもとで、貧富の格差が拡大。労働者の環境は劣悪だった。そこで、普通選挙運動や労働運動が起こり、すべての男性に選挙権が認められるようになり、労働者の権利も認める動きが高まった。

 第一次世界大戦のあとのドイツで、1919年、ワイマール憲法が定められ、社会権がはじめて明文化された。社会権とは、人が人間らしく生活する権利のことである(詳しくは後で記す)。第二次世界大戦の後、広く各国の憲法で保障されるようになった。

 その後、人権は国際連合の世界人権宣言(1948年)などで国際的に保障されるようになった。

日本での人権と憲法

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 明治には日本にも人権の思想が伝えられた。しかし、1989年の大日本帝国憲法は欽定憲法(君主が授ける憲法)であり、人権は主権者である天皇が臣民に与える「臣民の権利」とされ、それは法律により制限されたものであった。人権は人が生まれながらに持ち、法によって制限されずむしろ守られるという人権の思想の完成は戦後の日本国憲法の成立まで待たなければならなかった。

 1945年8月14日に日本はポツダム宣言受諾を通告し、15日にいわゆる「玉音放送」が行われ、9月2日にミズーリ号艦上にて降伏文書調印。第二次世界大戦は終わりを告げたのである。1946年、連合国最高司令官総司令部(以下GHQ)の指示により政府は憲法改正を検討、草案を作成した。しかしこれは天皇主権のままであったため、GHQはこれを不十分として自ら草案を作成。それを元に政府は改正案を作成、帝国議会で修正を経た上で可決、成立。日本国憲法1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行された。

 日本国憲法は天皇主権、軍国主義など戦前の体制を否定し、国民主権平和主義基本的人権の尊重を三本柱にしている。