ヒエログリフ
MdC
動詞
名詞
形容詞
副詞
mn
establish
established
ra
Ra
kA
bull
soul
kA
soul
ms
bear
birth
tA
land
mr
beloved by
nb
possess
load
mi
like
xa
appear
appearance
White Clown
HD
White Clown
Dazzling
Briliant
rDi, rdi, di
give
ib
heart
Hr, bik
Horus, falcon
aA
(音符)
mA
xt
Ax
soul
beneficial
wr
great
zA
son
ヒエログリフ
MdC
動詞
名詞
形容詞
副詞
nfr
beautiful, perfect
nTr
god
divine
stp
chosen by
xpr
manifest
manifestation
form
Htp
satisfy(動詞), offering(名詞)
wsr
powerful
nxt
strong
imn
Amen
mAa
mAa
ヒエログリフ
MdC
動詞
名詞
形容詞
副詞
nswt
king
mAat
Maat
justice
ヒエログリフ
MdC
動詞
名詞
形容詞
副詞
pt
sky
Dd
stable, pillar
Dw
pr
house
st
複数
wa
unique
Hm
servant
rn
name
sa
hb
ヒエログリフ
MdC
動詞
名詞
形容詞
副詞
hofe
hoge
xpS
strong (arm)
Dsr
holy, sacred
sxm
powerful
wHm
repeat
wAH
anx
zmA
unite
wAD
flourish
nDm
please(喜ぶ)
Sps
wAs(t)
Thebes(地名、テーベ )
nbw
gold, golden
HqA
rule, ruler
wDa
property
dmD
total
rwD
to be firm
grg
found
mnx
to be worthwhile
iT
seize
aSA
numerous
sbk
Sobek(神)
世界史B教科書などの大学受験関連書物で用いられているカタカナ表記は、すでに日本のエジプト学では用いられなくなった古い言い方または全く用いられたこともないものです。また、「アメン」と「アモン」は全く同じ神にも拘わらず、「アメン」ホテプ4世が「アモン」神を信仰という矛盾した文章になっています。しかしながら、本項目では受験生が読者であることを鑑み、やむを得ず表記を山川出版社のカタカナ表記に合わせ、エジプト学での一般的な表記は脚注に送りました。受験生以外の一般読者の方は、脚注の表記が基本と思ってください。
この項目では、高等学校世界史Bにおける古代エジプト文明 について概説する。太字の場所は暗記事項である。
王朝時代における主要都市の場所を示した地図。メンフィスとテーベの位置をおさえておくこと。
エジプトはアフリカの右端に位置し、国土には世界最長のナイル 川が流れている。ナイル川の水は定期的に氾濫し、その水を引く灌漑農業によりエジプトは栄えた。これをギリシャの歴史家ヘロドトス は、「エジプトはナイルの
賜物
(
たまもの
)
」と評している。
また、毎年のナイル川の増水の時期を予測するために天文観測技術が発達し、60進法 および1年を365日とする太陽暦 がつくられた[ 注釈 1] 。また農地の配分などのため、測地術が発達し、幾何学などの数学が発達した。
用いられた文字ヒエログリフ (Hierogryph, 神聖文字)は、崩し字であるヒエラティック (Hieratic, 神官文字)およびデモティック (Demotic, 民衆文字)へと発達し、デモティックはアルファベットの基礎となった。
エジプトは上エジプト (Upper Egypt)と下エジプト (Lower Egypt)に分かれ、エジプトという国がこの2つの国が統一されたものであるという意識は3000年のエジプトの歴史の中で常に存在した。
統一国家以前、エジプトでは氾濫したナイル川の水を効率的に農業に生かすための大規模な灌漑・治水工事を実行する必要が発生したため、共同体の権力は一人の人物に集中するようになった。これが王の原型である。また、紀元前3000年以前に州(ノモス )が成立した[ 注釈 2] 。
紀元前31世紀ごろ、上エジプトの王ナルメルが下エジプトを征服し、ナイル川下流のメンフィス [ 注釈 3] (Menphis)を都とする統一王国を建てた。
エジプトには合計して30または31の王朝 (Dynasty)があったがその中で特に繁栄した時代を古王国 時代、中王国 時代、新王国 時代という。
三大ピラミッド。 左から右に、メンカウラー、カフラー、クフ(=ギザの大ピラミッド)。なお、手前の小さなピラミッドは衛星ピラミッドという。
都:メンフィス
古王国時代(前27世紀〜前22世紀)には、エジプトが最初に繁栄期を迎えた。例として、クフ (Khufu)王の時代には巨大なギザの大ピラミッド (Pyramid)が建造された。
都:テーベ [ 注釈 4] [ 注釈 5]
中王国末期、アジア系の異民族ヒクソス (Hyksos)がエジプトに流入し、権力が衰えたエジプト王家にとって代わりエジプトを支配した。ヒクソスは、馬と戦車で武装しており、ナイル川下流域のデルタ地帯を中心とする王朝を建てた。
都:テーベ [ 注釈 6]
軍備を増強したテーベの王家はヒクソスを撃退し、新王国時代が開始される。「エジプトのナポレオン」とも言われるトトメス3世 は、幾度もシリア・パレスティナ方面へ軍事遠征し、新王国時代最大の領土を築いた。
新王国では、首都テーべの守護神アモン[ 注釈 7] と、古くからの太陽神ラーとが結びつき[ 注釈 8] 、アモン=ラーという一柱の神としてまつられていた。この時、アモン神をまつる神官の権力が増大し、王はそれを疎ましく思った。
父王の影響で専制君主的に育ったアメンホテプ4世 は宗教を、唯一神アトン[ 注釈 9] だけをまつるように変更し、従来の多神教を否定した。 また、アメンホテプ4世はみずからの名を、「アモン神を満足させる者」という意味のアメンホテプから、「アトン神に有益なる者」を意味するイクナートン [ 注釈 10] へと改め、都をテル=エル=アマルナ [ 注釈 11] に遷した。また、この時代では写実的なアマルナ美術 が生まれた。
アマルナ美術の代表作である、アメンホテプ4世の妻ネフェルティティの胸像
王の死によりこれらの改革そのものは失敗し、その息子ツタンカーメン [ 注釈 12] の時代に、信仰は従来の多神教に戻された。
また、新王国時代にはラメス2世[ 注釈 13] によりアブ・シンベル神殿をはじめとする数多くの建築物が築かれた。
ラー神
古代エジプトの宗教は、多神教 であったが、その3000年の間の人々の思想の変化により変化を繰り返したため一概に説明することはできない。しかし、多くの時代で太陽神ラー (Ra)は祀られていた。
死者の書
エジプト人は霊魂の不滅と死後の世界を信じて遺体をミイラ 化させ、埋葬した。また、パピルスに書かれた『死者の書 (Book of the Dead )』を副葬品とする場合もあった。死者の書において、画像右端に座っているのは冥界の神オシリス (Osiris)であり、死者は自分の心臓と正義の羽が釣り合うかどうかを判断され、釣り合った場合は楽園へ行けるとされた。
ロゼッタ・ストーン
前述のように、エジプトではヒエログリフが用いられていたが、これはフランス人学者のシャンポリオン によって解読された。この解読のきっかけとなったのがナポレオンのエジプト遠征の際に発見されたロゼッタ・ストーン である。この碑文には (画像では上から順に)ヒエログリフ、ヒエラティック、ギリシャ文字の3種の文字で同じ内容が刻まれており、ギリシャ語との対比からヒエログリフは解読することができたのである。
また、パピルス草から作った紙であるパピルス (Papyrus)が発明され、数多くの文学作品がパピルスに書かれた。そのうちいくつかは、現在でも読むことができる[ 注釈 14] 。
^ 現在のグレゴリオ暦においては、一年は365日ではない端数が存在するためうるう年を設けるが、エジプトは行わなかったため、4年に1日のずれが発生してしまった。このため、暦とは別に天文観測も行われた。
^ 州は上エジプトに22、下エジプトに20ある。
^ メンフィスはギリシャ語名で、エジプト語ではイネブ・ヘジュといい、「白い壁」という意味を持つ。
^ エジプト語でワセト。
^ 中王国時代全体として都をテーベとする教科書の一般的な記述は実際には正確ではない。中王国時代は王朝区分では第11~12(学者によっては13も含む)王朝であるが、このうち11王朝ではテーベが都である。しかし、12王朝初代アメンエムハト1世はイチ・タアウィに遷都し、これ以降(と13王朝)ではイチ・タアウィを都とした。
^ 同様にこの記述も正確ではない。新王国時代は第18, 19, 20王朝からなり、18王朝のアクエンアテン治世4年まではテーベ、アクエンアテン治世4年からツタンカーメン治世3~4年にはテル=エル=アマルナ、ツタンカーメン治世4年から19王朝ラメセス1世まではメンフィス、19王朝セティ1世から20王朝はペル・ラメセスである。
^ 「アメン, Amen」が一般的だが、エジプト学者の中にもアメンを用いる人(例:吉村作治、屋形禎亮、松本弥、吉成薫、A.J.スペンサー等)やアモンを用いる人(例:河江肖剰、ただしアメンの使用例もある)が存在する。
^ エジプト学用語で、習合という。
^ 「アテン, Aten」が一般的。アトンを用いる日本人学者はおそらく存在しない。
^ 現在はイクナートンの表記は全く用いられず、もっぱらアクエンアテン の名称が用いられる。
^ エジプト語でアケトアテン。
^ より厳密な表記ではトゥトアンクアメン 。
^ この表記も全く用いられず、通常ラメセス2世 またはラムセス2世とされる。
^ 有名な作品に、古王国時代の『プタハヘテプの教訓』、中王国時代以前に存在した第1中間期の『メリカラー王への教訓』、中王国時代の『シヌヘの物語』、『難破した水夫の物語』がある。
教科書には中王国時代の事柄はヒクソスの侵入しか書かれていないが、特筆すべきことがないわけでは一切なく、多くの文学作品は中王国時代に書かれている。
テンプレートデータに関する情報