学習方法/中学校理科

学校教科書の活用編集

学校教科書、そして学校配布の理科資料集には、非常にわかりやすく端的な、基礎理科に関するスタンダードな写真や図版が掲載されているので、内容の理解を深め明確化するために、有効に活用するといいですね。

一方市販の参考書は、解説は詳しいですし、基本的にはこの本だけで完結したつくりにはなっていますが、写真、図版に関してはやや乏しく、学校教科書や学校資料集を併用して利用すると、学習効果が高いようです。

理科に限らない事ですが、大局的な意味で学校配布の教科書をはじめとする学校配布の教材は、非常に有用ですし、ある意味必携のものでもあるので、もしなくした場合は、教師、保護者に相談したうえで、新しいものを手に入れるようにするのがよいと思います。

まずは入門的な、基礎解説のわかりやすい参考書を読むことを推奨します編集

おそらく義務教育でも、それ以外での学校でも、基本的な学習姿勢としては、学校配布の学習資料を利用して、学校での授業、活動をもとに、自分自身での学習の時間も作りつつ生活を続けていけば、それで学業生活は十分に成り立っているはずです。

しかし補助的に各種の市販、提供されている学習教材を取り入れたり、それを読んだり見たりすることは、視点を変えた情報が手に入りますし、得ることも、理解や知識の深まりのためにも、有効でしょう。

市販の参考書というのは、昔から学習者の補助、参考資料として有効でしたし、基本的にはこれ一冊で一つの講座として完結しているので、解説や理解の深化をもとめる人は、手に入れるといいですね。

学校教科書は授業の導入の意味合いが大きいので、詳しい解説がなされないまま、それを授業、教師の解説にゆだねているところがあります。ただ、前述したように中学理科の学校教科書は、学習のための図版や写真が大きくて豊富ですけどね。

あと、難関高校受験用の参考書というものがあるようですが、初学者はむしろ、基礎的な理解を目指す入門的な参考書を読むほうがいいようですよ。学習が進んで自分自身で行けると思うなら、基礎の理解の後にそれらの難関受験の本を学習するのもいいですが、しかし、そこまで至らなくても、基礎的な学習が充実していれば、それだけで難関校合格を果たせる場合も多いですよ。

教科書ガイドと参考書編集

現編集者は基本的に学校で教育を受ける以上、学校での勉強が一番の主流で、それを基盤に学習生活を作っていくのがよいと思うので、参考書としては教科書ガイドを薦めるのですが、将来の高校入試を踏まえたうえで、特定の教科書に準拠しない学習をしたほうが良いという視点で、前編集者は一般参考書の活用を薦めていました。

教科書ガイドの記述は自分自身の教科書と整合性があるので、教科書併用の学習がしやすいという利点はありますが、参考書はその辺の扱いで少し手間取りますが、使っている教科書とは少し別の視点、別の発想で記述されている面がありますので、その部分で面白い有意義な学習にはなりますね。

ですからそのことに関しては、それぞれの生徒さんに判断と選択をゆだねてしまいますが、結局どちらの道を選んでも、いい面と悪い面があり、大きく人生全体で考えると、いい道と悪い道の違いなんてないと思います。

参考書、教科書ガイドの活用編集

さて、この項目では教科書ガイドも含めて参考書と記述します。

まず一点、解説、説明は参考書のほうが詳しく十全、というか学校教科書は、導入だけがあって説明がなされていない場合が多い。しかし教科書は参考書より写真や図版は充実しています。

次に別に理科に限ったことではないのですが、中学校→高校→大学に進学するにつれて、一般的に学習内容は深く詳しく、そして場合によっては多量になっていきます。ですから小学校では成績良かったけれどそれ以降はあまり冴えなくなる、あるいは小中学校では成績良かったけど…、という人は割と多いようですね。

ですが勉強でもスポーツでも、やる以上はいい成績を挙げたいですが、実際にそれを果たして有頂天になれる人間なんて、そしてなっている人間なんて、そんなにいませんよ。むしろ他人の評価を気にするより、勉強もスポーツも、それを生活の一部にして、自分が何をして何をしたいか見極め、そしてそれを続ける生活には必ず得るものがありますから、他者の評価は評価としてあるとしても、あまりそれにこだわり至上のものにしないほうが、いいのではないでしょうか。

参考書は標準的な内容、易しめの入門的なもの推奨編集

概観的に中学理科の全容を知るために、あまり難しくない、細かい内容に立ち入らない本のほうがいい、という主張ですね。

具体的な書名を挙げると、学研の「ニューコース」参考書、そしてそれよりやや詳しく内容豊富な、文英堂の「くわしい理科」、これらは学年別の冊子になっています。

旺文社「中学総合的研究 理科」は、全学年の理科の四分野(物理・化学・地学・生物)を1冊で説明しています。

文英堂「中学理科の発展的学習」は、様々な学習資料でも話題になる、おそらく中学校の参考書で一番詳しいものの一つでしょうが、前編集では難しすぎるので利用しないほうがいいという主張でしたが、俺は詳しいこと知りたいんだ、読むよ、読んでみたいと思うのなら、手に入れて使ってみるのもいいと思います。

世の中の権威のある人たちは、他人に対してはあれやれこれやれとやたら言う割には、いざ問題が起きたときには自己責任なんて言って、まったく手助けしてくれませんが、正当とは正反対の態度でしょう。むしろ人間の行動はすべて自律的で自己責任ですよ。そして問題が実際に起きたときは、どのような事情状況であろうと、それなりの手助けをするのが、少なくとも教育者、教師を名乗るなら、妥当な態度ではないでしょうか。

問題集より参考書の読解、理解?編集

恐らくそうでしょう。そしておそらくこのことは理科に限らないと思います。

しかし問題練習も多少取り入れたほうがいいようですね。教科書、学校で提供される問題がまず優先で、自分で問題集を手に入れるのなら、標準的、易しめの問題集が推奨です。

しかしどの教科でも一番重要な事は、教科としての、学問、主張、知識内容を理解することではないでしょうか。

しかしそれだけでは、成績向上、試験の点数、高校入試でいい結果は期待できないというのなら、おそらくその主張も正しいのでしょう。

しかしやはり教科学習でまず第一なのは、教科内容、知識知恵の核心を理解することですし、知ることだと思います。

図鑑と事典編集

図鑑類は中学校理科の学習、成績向上には直接的には寄与しないと思います。しかしこれらの本には非常に重要な情報記述があって、実際には読むことで得ることは非常に多いです。

しかもこれらの図鑑類は小学生向き、中学生向きであっても、読みこなしその本当の意味を知ったり、記憶や実践に役立てるためには、高校以降の理科の知識が必要な場合も多いですね。

現編集者は小学生の時に、両親に大冊の学研の図鑑を買い与えられたことがありますが、当時より今のほうが有用に活用していますし、その記述の意味もよく理解できて、有難いことだと思っています。

理科事典に関しては、例えば、小学生~高校1年用とか、中学~高校3年用とか、学校をまたいだそして理科のさらに細分した教科(物理・化学・生物・地学)の構成のものが多く、中学校の学校の成績、高校受験に効率的に、有用であるとはいえないようです。

しかし逆にそういう構成だからこそ、読むことによって得ること、理解が進むこともありますし、一概に読むなとは書きません。

しかし一般的にはまず参考書類を読むのが推奨、という事ですね。

資料集編集

学校配布の、あるいは市販の資料集も、図鑑、事典に準ずる書籍ですね。

まず、中学校理科という教科の、体系、知識を理解することが、学校での勉強としては重要です。

まず教科書、授業、参考書、そして補助的な書籍として資料集、そしてそこに図鑑、事典を加えてもいいですし、余裕がないなら、重要なものだけシンプルに学習するのがいいと思います。

実験と経験を繰り返して、自分自身のまわりの自然界、物質界について知る編集

理科では特に実験が重要です。実験結果と我々の日常経験を、的確に説明できる、理論、法則を常に探しているのが自然科学です。

ですから、実験、法則、計算法と実際の計算、それらのことを知って覚えていくのが理科の学習でしょう。

理科は暗記科目?編集

この事について書くには、まず学習とは何かを明確にする必要があるように思います。

学習して物事を知るという事には、2つの側面があるようですね。まず何かを理解していること。そしてもう一つ、何かを記憶しているということ。

そして、勉強するという行為はどういうことか、ここでは三つの行為を挙げてみます。

  1. 読む、書く、聞く、話す
  2. 考える、思考する
  3. 暗記する

そして思うに、3.の要素をなくすることはできないけど、あくまでもこれは1.と2.に付随する行為に感じます。つまり暗記というのは確実に記憶していることを期待されている行為だけど、多くは、1.と2.との行為の結果得られる知的状態だと。

ここで参考までに、ちょっと面白い文章を引用してみます。昭和56年に出版されたSF短編集で、おそらく今でも何らかの形で新刊で手に入ると思いますが、R・A・ラファティ『九百人のお祖母さん』(早川書房)の中の「カミロイ人の初等教育」という短編小説の中の一部です。

「でも、それは非人間的です」ミス・ハンクスが言った。

「もちろん。しかし、小さい子供はまだすっかり人間になりきってないんだ。三年級か四年級になっても規律にしたがうことをおぼえられない子供は、首を吊るされる」

「あの、文字どおりに?」ミス・マンチがたずねた。

「比喩的に子供の首が吊れるかね?そんなことをしたら、ほかの子供たちにどんな影響が出ると思う?」

「首に縄をかけるんざんすか?」ミス・マンチはまだ納得していなかった。

「首に縄をかけて、死ぬまでぶらさげるのさ。ほかの子供たちは、この見せしめを素直にうけいれて、行いをあらためるもんだよ。しかし、絞首はそうしょっちゅうはやらん。首を吊るされる子供は、百人に一人もおらんよ。」

「遅読の問題はどういう事ですの?」ミス・ハンクスがたずねた。「わたしには全然理解できませんわ」

「ついこのあいだも、三年級の一人の生徒が速読に執着したことがあってな」フィロネクサスはいった。「そこで彼は実地試験されることになった。中程度のむずかしさの本を一冊与えられて、それを速読する。つぎに、その本をしまって、今読んだことを反復するように命じられたのさ。考えられるかね、彼は最初の三十ページで、単語を四つもまちがえたんだよ。本の中ほどでは、ある一つの叙述をまるっきり誤解するしまつ。つっかえつっかえでやっと暗誦したのが、数百ページもあった。読んだばかりの本でこの調子なら、四十年後の記憶がどれぐらいあやふやなものになるか、想像がつくじゃないか」

「すると、カミロイの子供たちは、読んだ本をすべて思い出せるように教育されるわけですか?」

前半部分は現編集者のちょっとしたいたずら心で載せたもので、この部分の著者の意図は、実際にこの小説の全文そのものにあたって検討していただきたい。

ここで問題にしたいのはむしろ後半部分なんです。

少し説明すると、これはSF小説ですから、カミロイ人という異星人が行っている教育、教育制度を地球人が視察に行くという話なんです。そしてこのカミロイ人の文明は、地球人の文明より高度だとみなされている。

そして遅読の問題とは、速読より遅読を推奨し、なぜなら、遅読なら、本の内容を鮮明に記憶し、正しく理解することができる、と、語っているわけですね。我々の現在の社会では、速読、多読は、美点だと思われていますから、それに対するアンチテーゼでもあるわけです。

しかしこのことはある意味当たり前のことで、我々は時間や精神力を多量に費やせば費やすほど、確実により多くのものを得ているでしょう。

世の中には意地悪な人が多くて、他人の行為をまったく意味のない無駄な事のように、理を尽くして語る人物が多いのですが、しかし、それは自分の世界、理解の範疇を超える行為・状況を、単に潰して消したがっているだけで、現代人の愚行の中でもよく見られるものの一つでしょう。

ただここで現編集者が言いたいことは、あまり学習の方針を、理解がどうの、暗記がどうのと、特定の状況に限定して語ることは、あまり意味がないだろう、という事です。

理解を目指しているうちに多くのことを記憶していますし、暗記していると思っていても、その間にほかの知的行為が働いている場合も多いですよ。

身のまわりの自然界・物質界を観察し、実験をすることによって…編集

自然界で普遍的に成り立っている、法則を導き出す。

これが、自然科学、理科の基本的な探求、研究姿勢です。

ですから、理科の学習では、具体的な実験(その一部は、学校でも実際に行う)、実験結果、その考察と導き出された実験法則、その法則を活用する数理と具体的な計算・公式。これらを知り、覚え、理解して、考える、こういう展開になると思います。

説明の正確さ、詳細さ、正しさ編集

別に教師でなくとも、他人に何かを説明することってあると思うんですが、時々、他者から指摘を受けて、考えてしまうことがあります。

例えば、もうちょっと詳しくとか、それは不正確とか、あるいは、最悪の場合は、それは間違っている、と、言われることもありますよね。

ただこういう事って、客観的な事実というよりは、その人の世界観や、ものの見方、知性の性質や個性を示していて、指摘が必ず真実を語っているわけではないと思います。

必要なことは全部語ったはずだから、これ以上は蛇足、解り辛くなるとか、正確さを求めたら、どこまでも行く、切りもない、大雑把な概念的、簡素な説明だよとか、確かに不備がある言及だけど間違いというのは言い過ぎじゃない?とか、こちら側にもそこそこ言い分はあるんですよね。

ここで前編集を継承して、細胞の減数分裂について少し書いておきます。

生物の学習として非常に重要な視点として、生き物の体は原則として小さな細胞から作られている、というものがあります。この細胞は分裂しますし、ちょっと特殊な見方として、分裂の逆、複数の細胞が融合して一つになることもあります。

そしてこの細胞が分裂するとき、2種類の分裂の仕方があって、体細胞分裂と減数分裂、これは中学校3年生で習います(2021時点)。

そしてまず細胞の構成について書きますが、重要な細胞内構造として、細胞核というものがあって、これを持っている細胞はより発展した細胞として真核細胞と呼び、我々人間の体も、この真核細胞から作られています。

真核細胞の一般的な大きさは、5から100 µm(マイクロメートル)といわれています。1メートルの1000分の一が1ミリメートル、その1000分の一が1マイクロメートルですから、 0.005~0.1mm(ミリメートル)の大きさですね。

そしてですね、細胞核、核の中には遺伝物質としてのDNAが含まれている。これが細胞分裂の時に、染色体という帯状の構造になって現れて、新しい2つの細胞に転写、複製された上で分配され、それぞれの娘細胞の核になるんです。

この細胞分裂の形式、種類が2種類ある。一番普通、一般的な分裂が体細胞分裂です。

これは生物、多細胞生物の体が大きく、成長していくときに行われる、一般的な分裂で、今回の話では、その、核、染色体の変化、が重要な学習ポイントになります。

体細胞分裂の時、核の形が見えなくなる一方で、棒状の染色体が観察されるようになる。染色体というのは生物の種によってその数が決まっていて、人間の場合は、46本です。そしてこの46本の染色体は、二本ずつ似た者同士、これは相同染色体というんですが、同じような大きさ、遺伝情報を持っているものがあって、そこで、2×23、二倍体、2nと表現します。

そして例えば人間の細胞が、体細胞分裂をするとき、46本の染色体が現れますが、これが次の細胞に受け継がれるため、DNAが複製され、染色体が複製され、46本それぞれが2倍、2本になり、割りばしのようにくっついた状態で現れます。この2本の割りばしが割られ、それぞれの新しい細胞に分配される。そして分裂した2つの細胞は、それぞれ46本の染色体を持つことになります。これが体細胞分裂です。

そしてもう一つの減数分裂は、要するに人間の場合では精子と卵子、生殖細胞を作る細胞分裂です。

このときは46本の染色体が複製されず、(しかし実はこの部分が問題で、後々ここで議題になるのですが…)、相同染色体が1本ずつ2つの細胞に分かれ、出来上がった細胞は、一つの細胞が23本の染色体を持っていることになります。

大体中学校理科でこういうことが説明され、ただ、この後説明する問題を含んでいるので、各教科書参考書、表現を工夫してぼかして、問題が生じないような記述にしているのですが、つまり前編集で、この説明は不正確だろう、と書かれていたわけです。

と、いうのは高校生物で学習することなのですが、実際には,減数分裂はもうちょっと面倒な分裂の仕方をしている。じつは減数分裂は体細胞分裂とは違って、2回の分裂で1セット、1個の細胞が4個になって分裂をなしたとみなされるわけです。

人間の場合では、まず46本の染色体が複製され体細胞分裂と同じように割りばし状になる。それが相同染色体ごとに分かれ減数第一分裂、割りばし一膳を染色体2本と数えると、一つの細胞は46本染色体を持っていますね。そのあと体細胞分裂と同じように割りばしが裂かれ、染色体を23本もつ生殖細胞が、結果4つできることになります。

これを持って前編集では中学理科の説明はやや不正確と書かれていたのですが、しかし…。

現編集者に言わせれば、物事の説明なんて、理科、勉強、学問に限らずそんなもんだという思いがあります。一回の解説ですべてを語ることはできないし、そもそも我々は全てを知らないんですよね。

全てを知らないからこそ学問があり、研究、探求が続けられ、そして、全てを知る日はおそらく永遠に来ないでしょう。

この例が妥当かどうかはよくわからないのですが、我々の文明に大きなインパクトを与えた自然科学上の発見に、17世紀イギリスのアイザック・ニュートンが確立した、力学に関する数理的な体系があります。

そこで運動の第2法則として、運動方程式というものがありますが、これは現代日本の高校物理学では、重要な主要な学習課題になっています。

しかしそのニュートンの式は現代のアインシュタインの理論により少し修正を受けて書き直されています。ただその修正は物体の速度が小さい場合、光の速度よりもずっと小さい場合は、ニュートンの式とほとんど同じ結果を導きます。

ですから物事を知る、覚えるには順番がありますから、総論的な理解が先で、細かい詳細は徐々に先に行くにつれて明らかになるという事でしょう。

いきなり減数分裂の詳細は語れませんし、いきなり相対性理論を知ることはできませんよね。

中学理科の先の学習もしたい編集

自然科学、理科に特に興味があって、学校の勉強は大体こなしちゃったから、さらに詳しく、先の内容を知りたい、勉強したいという子も、おそらくかなりの少数派ですがいるかもしれませんね。

子供の時、神童とか天才とか言われる子って、結局どの社会でもいつでもいるものですが、日本の場合は教育制度の構成の問題であまりないことですが、海外では飛び級でまだ年若く幼いのに大学生、なんてこともよくあるようですね。

しかし神童でなくても、天才でなくても、いろいろな理由で理科に関してさらに先の内容を知りたいと思うことはあるかもしれません。

常識的には目の前の中学校の学習優先ですし、進路や学校生活のことを考えても、それをしっかり充実させることが一番重要だと思いますが、ここでは前編集を継承して、さらに先の発展的な勉強について少し書いておきます。

実際にはこの国には正当な学校教育とは少し違う、あまりそれにこだわらない様々な自然科学に関する情報がありますが、一つの道、視点として高校理科の参考書を読む、という方法はありますね。

前編集者の推奨としては、物理、化学、生物、地学、それぞれの高校で学習する内容がそれぞれ1冊にまとまっているスタイルの参考書、具体的に出版社を挙げるなら、文英堂とか数研出版チャート式などがいいようですね。あるいは難関の高校入試対策用の参考書は、説明が詳しいですし、事実上高校入試対策にもなるので、一石二鳥でいいかもしれません。

中学校では一応理科という一つの科目、高校になるとそれが、物理、化学、生物、地学と細分化していきますよね。それから先も様々な専門分野に学問は分かれ、知の世界でも社会的分業が基本になっています。

基本的に社会の雰囲気で、特定の専門分野を極め、プロフェッショナルを名乗って活動するのが奨励されているようにも感じますが、総合的な知識や知恵を踏まえたうえで、普遍的で穏やかな態度で社会生活を続けていくのも、一つの生活、生きる道だと思います。

学問、自然科学は職業になるか?編集

例えば、会社員は実務能力が必要、とか、よく言われますよね。

能力についてはともかく、企業の研究員や、公的な研究所や大学の研究員、あるいはそこの教職員は、理系研究の場合は明らかに理科を職業にしていますよね。

しかしその周辺の職業人も世の中には多くいる。研究のための実験装置を作ったり、顕微鏡やレンズ、電気装置や各種薬品類なども、様々な企業の従業員が職業としてそれを作っている。

学校にしたところで、たとえば高校では、普通高校は多いですが、理系に特化した高校や、工業高校、農業高校もありますよね。

我々は年若い、子供のころは、学校に通い、勉強しろなどど言われながら、やがて年を取っていき世知辛い社会に放り出される。その時にどんな職業について、どんな生活をするかなんて、それぞれの子供たちが実際に生きてみなければわかりませんよ。

「なりたい自分になる。」なんて馬鹿馬鹿しい言葉が世ではもっともらしく語られますが、人間はなりたい自分になんかなれませんよ。そもそも他者にとって自分がどう見えるかを知ることさえ不可能でしょう。

俺はなりたい自分になったなんて思っている人がいるのなら、幻を見て生きているか、安易な欲望と希望を持って安易な環境で生きているから、安易に望みが満たされただけでしょう。自分が思っているほど努力なんかしてこなかったし、これからもしないと思うな。

何かの漫画にあって、正確に思い出せないし、原典にもあたれないのでうろ覚えで再現するけど、母親のおなかの中にいる赤ちゃんが母親に質問した。男として生まれたほうが幸せだろうか?女として生まれたほうが幸せだろうか?母親はちょっと考えて、こう答えた。いやーよくわかんないけど、とにかく生まれて来てみなさいよ。案外いいことあるもんだよ。

人生なんてそんなもんだし、自然科学、理科だってそんなもんだよ。