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小学校理科の学習、学習方法について、総論的に記述しました。執筆者の児童教育に関する理解の不足から、漢字の読みについての配慮はあまりされていません。


このページ (学習方法/小学校理科) では、学習方法/小学校理科について説明します。なお、独自研究や中立性を欠いた文章を含んでいる場合があります。独自研究の中には多くの場で共有されている意見もあれば、少数の意見もありますのでご注意ください。


教科書 編集

学校で提供してくれる教科書は、学習の出発点でもありますから、大いに活用するといいですね。

教科書だけではないのですが、どんな本でも、いちばん良いと思われる読み方を決めたうえで、隅からすみまで徹底的に読んでみる、というのも面白いよみ方ですよ。ちょっと完ぺき主義で、神経質な読み方ではありますけどね。

また学校では、教科書のほかに副読本や資料集などを提供してくれることもあり、これは教科書より端的に物事を説明してくれることも多いですから、有用な本だと思います。

また、今の時代は、学校がハイテクノロジーな情報機器を生徒に提供してくれることも多いですよね。

学校以外でも、理科の勉強をする機会はたくさんありますよ 編集

図書館や書店、通販や電子的な機器でもいいのですが、図鑑や科学読み物、学習参考書など、理科に関連する書物は世にたくさんありますよね。

また、公共でも民間でも、自然観察会や星空観察会なども多く開かれていますし、博物館や科学館などの見学施設や体験施設も多くありますから、機会を見て参加したり行ってみるのも楽しいことだと思います。

科学者の伝記 編集

科学者の伝記っていうのは、子供向けの本としてたくさん出版されていますよね。

いわゆる偉人伝というやつで、これはもう、書籍、ノンフィクションの 1分野ですよね。

取り上げられる歴史上の科学者、技術者としては野口英世やエジソンやガリレオやファーブルやキュリー夫人やライト兄弟…

興味のある人は手に入れて、手にとってどんどん読んでみるといいと思いますが、しかし、あくまで私的な主張ですが、今現在のこの文章の筆者はこういう書籍はあまり意義がないし、面白いものでもないと考えています。

彼らは確かに歴史上の著名人ですし、科学技術文化の発展に貢献した人々であるのは間違いないですが、しかし、彼らの人生の詳細を本で読むことってそんな意味ありますかね?

しかもこの手の本は大人向きの本ならかなり率直に辛らつに記述されていますが、子供向けの本はただ偉人の業績をほめそやし、称揚する内容になっているようにも感じます。

社会の成功者や有名人を過度に美化しほめそやすことは、権威、権力の悪徳や暴力を支持し、進展させる結果になるようにも思えます。

大体著名人の人生だけが知る価値ある人生なのか?それ以外のたくさんの無名の人々の人生を知ることで、偉人伝を読むよりはるかに重要な人生や生活の示唆を得られるかもしれませんよ。

エジソンとアインシュタイン 編集

以前の編集でこの 2人の科学史上の人物について書かれていたので、その方針を追従して少し書いておきます。

エジソンはもちろん現代の電気・電力を利用する社会、文化の基礎を作った人ですが、あくまでもソースや根拠が確かではない噂話程度の逸話では、かなり、倫理的、人格的に問題があった人のように言われることもあります。筆者が昔読んだ物語では、のちにエジソンと直流と交流の問題で対立することになる同時代の発明家のニコラ・テスラがエジソンの会社の新入社員として入社したとき、かなり汚い職場いじめをした、なんて話を読んだことがあります。

一方アインシュタインは、割と人格的に温厚で高潔な人だったというイメージがありますし、事実そういう記述を読んだこともあります。

あくまでも、軽い、おおざっぱなイメージで、ある意味筆者の決めつけでもあるのですが、経済とお金にまみれた実務家として激しい日々を繰り返すよりも、大学、学問の塔の、静かな宗教者のような生活のほうが、穏やかで、優しい人間を生むのかもしれません。

実験について 編集

理科は、身のまわりの自然界、物質界を知ることをテーマにしていますから、実験という課題がありますし、これは非常に重要です。実験を繰り返し、経験を繰り返し、この自然界で何が起こっているかを知った上で、そこから法則を見つけ出したり、考察を深めたりたりして、身のまわりの自然、世界、宇宙を知ろうとしているのです。

実験はまず学校での実験、そして科学館などで実験の体験企画がありますし、地域で主催される子供のための実験教室や、あるいは塾なんかでも、そういう教室が開催されていることはありますよね。

自分たちでこれをこうしたらどうなるだろう?と、実験のアイディアがひらめくこともあるかもしれませんが、そういう実験を自分たちだけで行うことは推奨しません。自然界は本質的に想定外の存在で、意外なことに意外な危険が潜んでいることもよくあります。

人間の文化や生活がルールで厳しく規定されることが多いのは、そういう予想外の危険に出くわさないための、安全弁を社会が作ってきたからともいえます。

ですから理科の実験に関して、特に電気や火や薬品に関する実験は、自分たちだけでは行わない、ある意味面白くないことではありますが、実験に関しては教師や専門家の指導の下、ある程度定まって確立されている実験を、定まった場所と機会で行うのが正解だと思います。

記憶することと本を読むこと 編集

勉強することは記憶することであることは多いですよね。実際には勉強も学習も様々な性質を持つ知的活動なのですが、多くの場合物事を記憶することが重要視されますし、結局記憶自体が知性のバロメーターにされることもよくありますね。

もちろん短時間で多くの事象を記憶することができれば、得だし、好ましいのですが、実際には記憶というもの自体は、かなり不確かな知的活動のようで、なかなか自分の都合のいいように働いてくれない時もあります。

世間では記憶法についてのさまざまな解説があるようで、それはそれで参考になるし、していいと思いますが、結局は日々自分で勉強していく中で、自分に合った物事の覚え方を知って見出すのが一番の基本だと思います。

一方で本を読むこと、この場合は理科に関連する本を読むことも、勉強のためによく推奨されていますよね。

偉人伝の話に戻ってしまいますが、アインシュタインも、子供時代に様々ないい科学読み物を読むことができて本当によかった、と、のちに語っていたようですよ。

読書の方法、スタイルとしては、多読、速読を誇っている人と、多読ができない代わりに少数の書物を深く、熟読するタイプと、2種類の性格、方向性があるように見えます。どちらがいいというよりは、学習者の知性の性質が現れているのだと思います。