江戸時代の俳人(はいじん)松尾芭蕉(まつおばしょう)が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた紀行文(きこうぶん)

出発年: 元禄(げんろく)2年、(1689年)に芭蕉は江戸を出発した。

5ヶ月のあいだ、旅を続けた。

関東・東北・北陸・(岐阜の)大垣(おおがき)などを旅した。

旅の途中、句を多く、作った。

従者(じゅうしゃ)として、曾良(そら)という人物をつれて、ともに旅をした。

書き出し

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現代語訳

 月日(つきひ)百代(はくたい)過客(かかく)にして、()かふ(こう)年もまた旅人(たびびと)なり。

(ふね)(うえ)生涯(しょうがい)()かべ、(うま)(くち)とらえて(おい)をむかふ(こう)るものは、日々(ひび)(たび)にして(たび)をすみかとす。

古人(こじん)も多く(たび)()せるあり。

()も、いづれの年よりか、片雲(へんうん)の風に(さそ)われて、漂泊(ひょうはく)思ひ(おもい)やまず、海浜(かいひん)にさすら()去年(こぞ)(あき)江上(こうしょう)破屋(はおく)にくもの古巣(ふるす)(はら)ひて、やや年も()れ、春立(はるた)てる(かすみ)の空に白河(しらかわ)の関こえんと、そぞろ(がみ)の物につきて(こころ)(くる)わせ、道祖神(どうそじん)(まね)きにあ()て、()るもの()につかず。

ももひきの(やぶ)れをつづり、(かさ)()つけかえて、三里(さんり)(きゅう)すゆるより、松島(まつしま)(つき)まず心にかかりて、()める(かた)(ひと)(ゆず)り、杉風(さんぷう)(べっ)しょに(うつる)に、

(くさ)()も 住替(すみかわ)()ぞ ひなの(いえ)

面八句(おもてはっく)(いおり)(はしら)()()く。


月日は永遠に旅をつづける旅人のようなものであり、毎年、来ては去る年も、また旅人のようなものである。 

船頭(せんどう)として(ふね)の上で一生を暮らす人や、(馬方(うまかた)として)馬のくつわを取って老いをむかえる人は、旅そのものを毎日、(仕事として)住み家としている(ようなものだ)。

昔の人も、多くの人が旅の途中で死んだ。

私も、いつごろの年からか、ちぎれ雲が風に誘われて(ただよ)うように、旅をしたいと思うようになり、漂泊の思いやまず、海辺の地方などをさすらい歩きたく、去年の秋、川のほとりの粗末(そまつ)な家に(帰って)、くもの古巣(ふるす)を払ひって(暮らしているうちい)、しだいに年も暮れ、春になると、(かすみ)の立ちこめる空のもとで、白河(しらかわ)(せき)(奥州地方の関所、現在でいう福島県にあった。) をこえようと、「そぞろ(がみ)」が(私に)乗りうつって心をそわそわさせ、「道祖神(どうそじん)」(旅や通行の安全を守る神)に招かれているように、何事も手につかない(ように、落ち着かない)。

そこで(もう、旅に出てしまおうと思い)、(旅支度として)ももひきの破れを(つくろ)い、(かさ)()をつけかえて、(足のツボの)「三里(さんり)」(ひざ下にあるツボ)に(きゅう)をすえて(足を健脚にして)(旅支度をすますと)、松島(まつしま)(つき)(の美しさ)がまず気になって、住んでいた家は人に(ゆず)り(理由:帰れるかどうか分からないので)、自分はかわりに(弟子の一人の)「杉風(さんぷう)」が持っていた(べっ)しょに移った。

(くさ)(のと)も 住替(すみかわ)()ぞ ひなの(いえ)
(この、わびしい草庵(そうあん)( 芭蕉の自宅のこと、芭蕉庵(ばしょうあん) )も、住む人が代わり、(ちょうど三月だから、)ひな人形などもかざって(私のような世捨て人とはちがって子どももいるだろうから)、にぎやかな家になることだろう。)

と句を()んで、この句をはじめに面八句(おもてはっく)をつくり、(いおり)(はしら)にかけておいた。

語句・解説など

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  • 百代(はくたい)・・・解釈は「永遠」。入試などに問われやすいので、おぼえざるを得ない。ひっかけ問題などで、「百代」の間違った意味として、「百年」などの引っ掛けが出るので。
  • 古人(こじん)・・・ 古文・漢文での「古人」の意味は、「昔の人」という意味。 現代での「故人」という語句には「死んだ人」という意味があるが、古文・漢文での「古人」「故人」には、そのような「死んだ人」という意味は無いのが、ふつう。
  • そぞろ(がみ) ・・・ 人をそわそわさせる神。
  • 道祖神(どうそじん) ・・・  旅や通行の安全を守る神だと思われる。
  • ももひき ・・・ 男性用の下着の一つ。
  • 庵(いおり、あん) ・・・ 質素な小屋。

俳句

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いくつかの句が、おくの細道で詠まれているが、代表的な句を挙げる。


夏草(なつくさ)   (つわもの) どもが  (ゆめ) (あと)
場所:平泉(ひらいずみ) 解釈

その昔、ここ(平泉)では、源義経(よしつね)の一行や藤原兼房(ふじわらのかねふさ)らが、功名を夢見て、敵とあらそっていたが、その名も今では歴史のかなたへと消え去り、ひと時の夢となってしまった。いまや、ただ夏草が()(しげ)るばかりである。

季語は「夏草」。季節は夏。

芭蕉が旅をした季節は、月を陽暦になおすと5月から10月のあいだなので、基本的に『おくの細道』に出てくる句の季節は、夏の前後である。




(しず)かさや  (いわ)に しみいる  (せみ)(こえ)
場所:立石寺(りっしゃくじ)
解釈

よくある解釈は、文字通り、「あたりは人の気配がなく静かで、ただ、蝉の鳴く声だけが聞こえる。あたかも、岩に蝉の声が、しみわたっていくかのようだ。」・・・みたいな解釈が多い。
単に、あたりが静かな事を主張するだけだと、わびしさが伝わらないし、単に蝉の声が聞こえることを主張するだけでも、わびしさが伝わらない。本来は、岩にしみいることのありえない「声」が、しみいるように感じられることを書くことで、うまく感じを表現している。

もともと、芭蕉は最初は「閑かさや」のかわりに「さびしさや」と書いていたが、「さびしさや」だと直接的すぎて、読者にわびしさを感じさせようとする意図が見え見えで興ざめするし、芭蕉なりの工夫のあとがあるのだろう。

季語は「蝉」。季節は夏。



五月雨(さみだれ)  集めて(はや)  最上川(もがみがわ)
場所:最上川
解釈

まず読者は予備知識として、山奥での最上川は、もともと流れが速い、という事を知っておこう。山を流れている川は、平野を流れる川とは違い、流れが速いのである。この句の表現は、ただでさえ、もともと速い最上川が、梅雨(つゆ)の五月雨のあつまったことで水量をましたことで、さらに流れが速くなっていることを表現することで、自然界の豪快(ごうかい)さみたいなのを表現している。芭蕉は、(ふね)にのって最上川を川下りしたので、自身で最上川の速い流れを体験したのである。

季語は「五月雨」。季節は梅雨どき。(旧暦の5月なので)



五月雨の  ()りのこしてや  光堂(ひかりどう)
場所:中尊寺金色堂(岩手県平泉)



荒海(あらうみ)  佐渡(さど)横たふ(よこたう)  (あま)(がわ)
場所:越後路(えちごじ)
解釈

この「荒海」とは日本海のこと。
この句の解釈は、いくつかの解釈があり、分かれている。
実際に見た光景をもとに句を読んだという解釈が一つ。もう一つの解釈は、現実には光景を見ておらず、佐渡の歴史などを表現したという解釈がある。「天の川が見える夜中だと、暗くて佐渡は見えないのでは?」「この句を読んだとされる場所では、地理的・天文学的には、佐渡の方角には天の川は見えないはずだ。」というような意見がある。
実際に見たのか、見てないのか、どちらの解釈にせよ、「荒海」に対して「天の河」が対照的である。
地上・海上の世界にある「荒海」と、そうでなく天高くにある「天の河」。荒れくるう海は海難事故(かいなんじこ)などで人の命をうばうこともあるだろうが、「天の河」には、そういうことは無いと思われる。そして、近くにいないと見られない「荒海」と、いっぽう、夏の晴れた夜空なら、どこでも見られる「天の河」。

とりあえず、句を文字通りに解釈すると、

荒れる日本海のむこうに佐渡の島々が見える。そして、夜空には、天の川が横たわっていることよ。

というふうな解釈にでも、なるだろう。

季語は「天の河」。季節は秋。芭蕉たちの旅の期間が夏の前後なので、「天の河」から秋の句だと分かる。したがって、「荒海」は、この句では季語ではない。 まちがって、「荒海」などから台風どきの日本海や、冬の日本海などを連想しないように注意。