極地地誌/南極
南極は、地球の最南端にある、氷河におおわれた、世界で最も寒冷な土地。定住者はおらず、いくつかの観測基地があるだけである。
地形
編集南極は、南極大陸とその周囲の島々、そして棚氷からなる。周辺の島々には、サウス・シェットランド諸島やロス島、オングル諸島などがある。棚氷には、ロス棚氷やフィルヒナー棚氷、ラーセン棚氷などがある。南極大陸はほぼ円形をしており、円の直径の3分の1程度の部分に南極横断山脈が走っている。南極横断山脈を境として南極大陸を二分した時、大きい方を東南極、小さい方を西南極という。南極大陸はほぼ全域が氷河におおわれており、その厚さは最大で3kmにも達する。中でも、東南極は厚い氷に覆われている。氷河は地球温暖化により溶解が進んでおり、海面上昇が心配される。地球で最南端の点である南極点は東南極の標高2500mほどの地点にある。また、南極点を中心として、半径が緯度にして23.4°(地球の自転軸の傾き)の円の弧を南極線、この円の内側を南極圏という。南極大陸の大半は南極圏にあるが、西南極にある南極半島は例外である。ここは南極大陸では珍しく、氷河に覆われていない。また、最高峰は西南極にあるビンソンマシフ火山で、標高4892mである。
気候
編集南極は地球上で最も寒い地域である。ケッペンの気候区分では南極大陸のほぼ全域とロス島、オングル諸島などが氷雪気候(EF)に属し、夏でも月平均気温が氷点を上回らない。また、サウス・シェットランド諸島や南極半島北端はツンドラ気候(ET)に属すが、夏の平均気温は1℃前後である。沿岸部の夏の気温は0℃前後、冬の気温は-30℃から-10℃前後だが、西南極の内陸部では夏が-10℃から-20℃、冬が-40℃から-50℃になる。東南極の内陸部は標高の高さも相まって特に寒冷であり、年平均気温は-50℃を下回り、夏でも平均気温は-30℃前後、冬には-70℃ほどまで下がる。東南極の標高3700mほどの地点にあるボストーク基地では、1983年7月21日に地球上の観測史上最低気温である-89.2℃を観測、これは二酸化炭素の昇華点より低い温度である。また、非公式ながら、東南極のドームA周辺で、2004年7月23日に-98.6℃の地表面温度を記録している。
あまりにも寒冷であるため、降水量も極めて少なく、砂漠となっている。ボストーク基地の年間降水量は30mm程度で、エジプトのカイロと同等である。
歴史
編集南極は極めて寒冷であること、長い間他の大陸から隔絶されていることから、先住民は存在しない。しかし、古くから、南方に未知の大陸が存在するのではないかという想像はされていた。7世紀ごろのポリネシア人の伝説によると、南に航海した船が岩の立ち上る非常に寒い地に到達したという。しかし、これが南極大陸そのものなのか、ロス棚氷なのか、それとも南極海の氷山に遭遇したのに過ぎないのかは定かではない。確実な証拠が残っている中で初めて南極圏に到達したのはイギリスのジェームズ・クック(1728-79)らの艦隊で、1773年のことである。1819年にはイギリスのウィリアム・スミス(1790-1847)艦隊がサウスシェットランド諸島を発見、翌1820年にはアイルランド出身のイギリス海軍兵エドワード・ブランスフィールド(1785-1852)艦隊とロシアのファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン(1778-1852)が南極大陸を初めて視認した。こののち、イギリスのジェームズ・ウェッデル(1787-1834)艦隊やアメリカのベンジャミン・モレル(1795-1839)艦隊も航海を行った。イギリスのジェイムズ・クラーク・ロス(1800-62)艦隊は、1841年にロス棚氷を発見した。
1890年代になると、多くの国が南極点到達を目指して探検隊を派遣する南極探検の英雄時代が始まった。ノルウェーのカルステン・ボルクグレヴィンク(1864-1934)や、イギリスのアーネスト・シャクルトン(1874-1922)らが南極点に挑んだが、いずれも失敗した。南極点に初めて到達したのはノルウェーのロアール・アムンセン(1872-1928)の探検隊で、1911年の事だった。翌1912年にはイギリスのロバート・スコット(1868-1912)の探検隊も南極点に到達したが、帰路に全員が凍死した。なお、同年には日本人でも白瀬矗(1861-1946)の探検隊が南極に到達している。その後1929年にはリチャード・バード(1888-1957)が南極点上空を飛行機で通過した。1930年代から1940年代には、多くの国が南極の領有権を主張するようになった。
1957年から1958年の国際地球観測年を機に、南極は学術調査の場として目を向けられるようになった。1956年にはアメリカのリチャード・ボワーズ(1928-2019)らによって南極点にアムンゼン・スコット基地、ロス島にマクマード基地が建設された。翌1957年にはソ連のアレクセイ・トリョシニコフ(1914-91)が率いる遠征隊によって東南極の内陸部にボストーク基地が建設された。日本の永田武(1913-91)が率いる探検隊も同年、東オングル島に昭和基地を建設した。このような情勢の中、1959年には南極の平和的利用、南極での領有権凍結などを定めた南極条約が採択され、1961年に発効した。その後、欧州諸国やチリ、アルゼンチン、中国なども基地を建設した。2020年現在では60か所以上の基地に夏季は5000人、冬季は1000人ほどが滞在し、気象観測、氷床コアの発掘による古気候の調査、澄んだ空気を生かした天体観測など、数多くの学術調査が行われている。