法学刑事法刑法刑法総論構成要件

構成要件概論

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構成要件とは違法かつ有責な行為を類型化したものである。このように犯罪類型を設けることで、あらゆる行為の中からどの行為が刑法の対象となる行為になるのかを容易に判断することができる。またどのような行為が犯罪となるのかを条文として明記することで、国民に予見可能性を与え、抑制作用をももっている。

構成要件に該当する行為は違法性と有責性の推定を受け、違法性や責任を阻却する事由が認められない場合に犯罪が成立する。すなわち、刑法を適用する際には構成要件該当性、違法性阻却事由の有無、責任阻却事由の有無を順に検討していくことになる。

主体論

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法は、条文において「~した者」と規定しているが、これは原則として、自然人の単独犯を想定している。例外的に構成要件において複数関与者を前提としているものとして、内乱罪騒乱罪等「多衆」によることが前提としているもの(合同犯)、賄賂罪における贈賄罪収賄罪の関係に見られるもの(対向犯)があり、これらを必要的共犯と呼ぶ場合がある。その他の場合において、主体を拡張する場合は、個別の法令によるか、共犯論等別の解釈を援用することとなる。

法人の犯罪能力

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現代社会において、組織体である法人は自然人に劣らない重要な存在であり、特に経済活動においては、個々の自然人を超えて他の自然人へ影響を与える。ここで、論点とされるのは法人が犯罪の主体たり得るかと言うことである。日常的にも、個人としては品行方正な人が、組織の一員となると贈賄や談合と言った社会的非違行為を、「組織の論理」により職務として行ってしまったり、会社として無理な労働を強いた結果、事故が発生した場合など、組織が犯罪発生の原因となっているとみられることも多い。特に、正犯として想定することは違和感があるが、共犯(教唆犯幇助犯)としての犯罪への関与性を考察すれば、犯罪の主体としての法人が想像しやすい。そのようなときに、法人自体を犯罪主体とし、刑事罰を適用することの可否が問題となる。

日本の判例・通説は一貫してこれを否定する。その理由は、(1)法人には行為能力がない。(2)法人は自己決定能力を有しておらず、倫理的責任非難ができない。(3)刑罰体系が自然人を前提としている(自由刑を課すことができない等)。ということにある。ただし、立法論としては別論とし、脱税罪等の行政刑法や経済刑法の分野で、犯罪主体の帰属する法人に罰則を課すこと(両罰規定)も刑事政策上は有効としている。

一方、英米法に倣って、犯罪の種類にかかわらず、法人に犯罪能力を認め、組織的な関与があれば、当該法人に対して刑罰を課しうるとの見解も有力である。

両罰規定における責任

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両罰規定における責任の根拠については争いがある。これは、両罰規定のある犯罪発生に際して、法人が責任を免れ得るかという点で重要な論点である。

  1. 犯罪主体の代位責任であるとする説。この立場によると、法人は処罰をまぬがれ得ない。
  2. 犯罪主体の故意・過失責任であるとの説
    1. 故意・過失の擬制。代位責任同様の結論となる。
    2. 故意・過失の推定。法人側で、故意・過失の不存在を証明することができる。
    3. 法人における故意・過失を要する。立件側で故意・過失の存在を証明しなければならない。
なお、故意・過失を論じる際には、法人自体が、意思を有するものではないため、法人内における意思決定過程や権限の委譲が論じられることとなる。

身分犯

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間接正犯

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行為論

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不作為犯

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不真正不作為犯

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不真正不作為犯とは、構成要件自体は作為として定義されているが、不作為によっても実行が可能な犯罪をいう。しかし、この問題は、条文上明文のない構成要件を適用することは罪刑法定主義に反するのではないかという根本的な問題をはらんでいる。

これに対しては、不真正不作為犯の成立には、不作為が作為と同程度の価値をもつ、言い換えればその不作為が犯罪の実行行為として認めうるだけの価値をもつことを必要とするのだと限定的に解釈して、罪刑法定主義との整合性を図る理論構成がとられている。

不真正不作為犯の要件

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作為義務
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不真正不作為犯は、不作為による作為犯の実現であるから、逆にいえば、不真正不作為犯の前提として、行為者には何らかの積極的な作為をなす義務、つまり作為義務があったといえることが必要である。

保障人的地位
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行為者に作為義務がある、といっても、すべての人間に作為義務があると捉えることはできない。なぜなら、あらゆる不作為が構成要件に該当するということは、構成要件のもつ違法性推定機能を失わせることになるからである。そこで保障人説は、保障人的地位にある者に作為義務があり、保障人的地位にある者の不作為が構成要件に該当するのだと捉える。

たとえば、池に落ちて溺れている子供を助ける義務は、保障人的地位にあるその子の親には発生するが、通りすがりの一般市民には発生しない。したがって、親がその子を助けようとせず、結果的に子供が溺死した場合、親には不作為による殺人罪が成立するが、通りすがりの市民が子供を助けようとしなかったとしても、殺人罪の構成要件には該当しないことになる。

この保障人的地位は、親子のように身分関係に基づいて成立する場合のほか、何らかの先行行為に基づいて発生する場合もあると解されている。典型的には、自らの先行行為によって結果発生の危険を招いた場合である。たとえば、過失によって建物の一部に火をつけてしまった者は、火災という結果発生の危険を招いているから、保障人的地位に基づいて消火活動をする作為義務が生じ、これを行わない場合には不作為による放火罪が成立する。

また、先行行為が故意や過失に基づかない場合でも、自己の意思に基づいて因果経過に対する排他的支配を獲得した場合には保障人的地位が生じると考えられている。道で行き倒れになっている急病人を自分の車に乗せた者は、彼の生殺与奪をその手に握ったといえ、病院に搬送するなど何らかの作為をなす義務が生じる。この義務に違反して漫然と急病人を放置した場合には、やはり不真正不作為犯の成立が問題になる。

保障人的地位は契約に基づいて生じる場合もある。たとえば、医師や看護師は患者を治療する作為義務があるといえる。

因果関係
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不真正不作為犯が成立するためには作為義務違反と結果との間に因果関係があることを必要とされる。因果関係の前提として条件関係の検討が必要となるが、注意すべきは、コンディチオ公式への当てはめに関して、不作為犯の場合は、いわゆる「仮定的事情の付加えの禁止」の原則が適用されないことである。すなわち、不作為犯の条件関係を認める場合には、どうしても「その作為がなされていたならば、結果は発生しなかった」といえることが必要であるから、仮定される「作為」を付加えて検討することが必要になるのである。

因果関係

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結果犯においては、実行行為と発生結果の間に一定の結びつきが要求される。これを因果関係と呼ぶ。因果関係は、行為者に結果責任を負わせるための客観的な要件である。

条件関係

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因果関係を論じるための大前提は条件関係である。

条件関係は「その行為を取り去ることで、結果が発生しなかったといえるか」という基準によって判断される。その行為を取り去った場合に結果が発生しなかったといえるならば「条件関係がある」といえ、その行為を取り去った場合にもやはり結果が発生したといえるならば、「条件関係がない」といえる。

この公式はしばしば「あれなくばこれなし」の関係、あるいは'conditio sine qua non'の公式(コンディチオ公式)と呼ばれる。

相当因果関係

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条件関係が肯定された場合、次に、行為からすべての結果を行為者に帰責することが妥当かどうかが問題となる。 これは、偶然の事情(自然力、不可抗力、他者の行為、被害者の素因等)が介在して結果が発生した場合に、発生したより重い結果をすべて行為者に帰責することができるかという問題である。

ここでもうひとつの判断基準が介入することになる。すなわち「当該行為から当該結果が発生することは、社会通念上相当だといえるか」という基準である。このような基準を介入させて客観的帰責の範囲を制限する理論を相当因果関係説と呼ぶ。

相当因果関係の判断対象(因果関係の判断基底)には、行為時の事情と行為後の事情がある。また、判断基底にどのような事情を取り込むべきかをめぐって、主観説客観説折衷説の対立がある。

行為時の事情
行為時の事情とは、被害者の素因などが結果に影響した場合に、発生したより重い結果を行為者に帰責できるかどうかの問題である。たとえば、通常では死亡に至らない程度の傷害を負ったが、被害者の脳に梅毒による病変があったために、病変が悪化して死に至った場合、脳の病変が外見上行為者に認識できないものであったとしても死亡という重い結果を帰責できるかどうか、判断が分かれる。
主観説によれば、行為時の事情として判断基底に取り込むべきものは「行為時に行為者が認識していた事情」である。この説に従って上記の事例を検討すると、行為者が特に被害者の脳の病変を認識していたのであれば死亡という重い結果は行為者に帰責されるが、そうでなければ帰責されないことになる。
客観説によれば、行為時の事情として判断基底に取り込むべきものは「行為時に客観的に存在していたすべての事情」である。この説に従って上記の事例を検討すると、被害者の脳に病変があったという事実が客観的に存在していたのであれば、それが行為者や一般人にとって認識不可能な病変であったとしても、傷害から発生した死亡という重い結果は行為者に帰責されることになる。
折衷説によれば、行為時の事情として判断基底に取り込むべきものは「行為時に一般人が認識可能であった事情」および「行為時に行為者が特に認識していた事情」である。この説に従って上記の事例を検討すると、脳に病変があるという事情は通常一般人にとって認識不可能であるから、行為者が特にその病変を認識していたのでない限り、死亡という重い結果は帰責されないことになる。
行為後の事情
行為後の事情とは、実行行為の終了後に、他者の行為や自然力などが介入した場合に、発生した重い結果を行為者に帰責できるかの問題である(因果経過の相当性)。たとえば、行為者が被害者をナイフで刺して死に至らない程度の重傷を負わせたが、治療のため搬送された病院で医療ミスにより死亡した場合、医療ミスの介在が行為者にとって予見不可能な事情であっても、被害者の死という重い結果を行為者に帰責できるか、判断が分かれる。
主観説によれば、行為後の事情として判断基底に取り込むべきものは「行為者が予見していた事情」であるから、行為者が医療ミスを予見していたのでない限り、実行行為と被害者の死との因果関係は否定される。
客観説によれば、行為後の事情として判断基底に取り込むべきものは「予見可能な行為後の事情」であるから、医療ミスが予見可能であるといえない限り、実行行為と被害者の死との因果関係は否定される。
折衷説によれば、行為後の事情として判断基底に取り込むべきものは「一般人が予見可能な事情」および「行為者が予見していた事情」であるから、医療ミスが一般人にとって予見不可能であれば、行為者が医療ミスを特に予見していたのでない限り、実行行為と被害者の死との因果関係は否定される。

客観的帰属論(「危険の現実化」とも)

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結果的加重犯

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客体論:保護法益

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結果

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因果とは原因と結果である

侵害犯と危険犯

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結果犯と単純行為犯

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行為の他に結果の発生を必要とするか否かによって、結果犯と単純行為犯に分けられる。多くの犯罪においては、行為だけでなく一定の結果の発生が構成要件要素とされる。これを結果犯という。例えば、殺人罪(刑法199条)、窃盗罪(同235条)、器物損壊罪(同261条)などがこれに当たる。これに対して、結果の発生を必要とせずに単に行為だけを構成要件要素とする犯罪を、単純行為犯という。例えば、偽証罪(刑法169条)、虚偽告訴罪(同172条)、暴行罪(同208条)などがこれに当たる。

即成犯・継続犯・状態犯

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主観的構成要件要素

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目的犯・傾向犯・表現犯

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主観的違法要素

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