「高等学校世界史探究/古代オリエント文明とその周辺Ⅲ」の版間の差分

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'''ロゼッタ・ストーン'''(The Rosetta Stone<ref>高等学校外国語『CROWN English Communication I』三省堂、2021年1月29日 文部科学省検定済、2022年3月30日発行、P153</ref>)
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== エジプト文明 ==
[[File:Rosetta Stone.JPG|thumb|right|220px|'''ロゼッタ・ストーン'''(The Rosetta Stone<ref>高等学校外国語『CROWN English Communication I』三省堂、2021年1月29日 文部科学省検定済、2022年3月30日発行、P153</ref>)。 ナポレオンのエジプト遠征のさいに発見された。上から順に、古代エジプトの'''ヒエログリフ'''、古代エジプトのデモティック(民衆文字)、ギリシア語を用いて同じ内容の文章が記されている。この碑文などをもとに、のちの時代にヒエログリフが解読されたのであり、フランスの学者'''シャンポリオン'''によって、神聖文字ヒエログリフが解読された。]]
{{Notice|世界史B教科書などの大学受験関連書物で用いられているカタカナ表記は、すでに日本のエジプト学では用いられなくなった古い言い方または全く用いられたこともないものです。また、「アメン」と「アモン」は全く同じ神にも拘わらず、「「アメン」ホテプ4世が「アモン」神の信仰を止め...」という矛盾した文章になっています。しかしながら、本項目では受験生が読者であることを鑑み、やむを得ず表記を山川出版社のカタカナ表記に合わせ、エジプト学での一般的な表記は脚注に送りました。受験生以外の一般読者の方は、脚注の表記が基本と思ってください。}}
古代のエジプトでは、'''ノモス'''(nomos)という集落を中心に、ナイル川(Nile)の水を利用した灌漑(かんがい)農業が発達して、文明が発達した。
 
この項目では、高等学校世界史Bにおける'''古代エジプト文明'''について概説する。太字の場所は重要事項である。
このことについて、「'''エジプトはナイルのたまもの'''」と、のちの時代のギリシアの歴史家'''ヘロドトス'''が言葉を残している。
== 概要 ==
[[ファイル:Ancient_Egypt_map-en.svg|サムネイル|510x510ピクセル|王朝時代における主要都市の場所を示した地図。メンフィスとテーベの位置をおさえておくこと。]]
エジプトはアフリカの右端に位置し、国土には世界最長の'''ナイル'''川が流れている。ナイル川の水は定期的に氾濫し、その水を引く灌漑農業によりエジプトは栄えた。これをギリシャの歴史家'''ヘロドトス'''は、「'''エジプトはナイルの'''<ruby>
<rb>'''賜物'''</rb>
<rp>(</rp>
<rt>たまもの</rt>
<rp>)</rp>
</ruby>」と評している。
 
また、毎年のナイル川の増水の時期を予測するために天文観測技術が発達し、'''60進法'''および1年を365日とする'''太陽暦'''がつくられた{{Efn|現在のグレゴリオ暦においては、一年は365日ではない端数が存在するためうるう年を設けるが、エジプトは行わなかったため、4年に1日のずれが発生してしまった。このため、暦とは別に天文観測も行われたようである。}}。また農地の配分などのため、測地術が発達し、幾何学などの数学が発達した。
灌漑工事や治水工事のために、権力が必要になり、国家が発達した。そして紀元前3000年、ナイル川中流域の上エジプトが、下流域の下エジプトを征服して、統一王国を建てた。その、最初の統一王国の首都の場所は、'''メンフィス'''(Memphis)である。エジプトの王は'''ファラオ'''(Pharaoh)と呼ばれた。
 
用いられた文字'''ヒエログリフ''' (Hierogryph, 神聖文字)は、崩し字である'''ヒエラティック''' (Hieratic, 神官文字)および'''デモティック''' (Demotic, 民衆文字)へと発達し、デモティックはアルファベットの基礎となった。
エジプトは周囲を砂漠や海に囲まれており、外敵からの侵入を受けずらかったことも、このような強大な権力をきずけた理由の一つだろうと考えられている。
 
== 歴史 ==
エジプトは上エジプト (Upper Egypt)と下エジプト (Lower Egypt)に分かれ、エジプトという国がこの2つの国が統一されたものであるという意識は3000年のエジプトの歴史の中で常に存在した。
 
統一国家以前、エジプトでは氾濫したナイル川の水を効率的に農業に生かすための大規模な灌漑・治水工事を実行する必要が発生したため、共同体の権力は一人の人物に集中するようになった。これが王の原型である。また、紀元前3000年以前に州 (ギリシャ語で'''ノモス''')が成立した{{Efn|州は時代ごとに変化はあるものの、最終的には上エジプトに22、下エジプトに20の42州となった。}}。
エジプトでは、毎年のナイル川の増水の時期を予測するために、季節を正確に知る必要があり、暦が発達し、1年を365日とする'''太陽暦'''がつくられた。また土木工事などのため、測地術が発達し、幾何学などの数学が発達した。
 
紀元前31世紀ごろ、上エジプトの王ナルメルが下エジプトを征服し、ナイル川下流の'''メンフィス'''{{Efn|メンフィスはギリシャ語名で、エジプト語ではイネブ・ヘジュといい、「白い壁」という意味を持つ。}} (Memphis)を都とする統一王国を建てた。
{{-}}
== 宗教と文化 ==
[[File:BD Hunefer cropped 2.jpg|thumb|「死者の書」の一部。 死後の世界を支配するオシリス神(画像の右端に座っている)に、死者の生前の善行などを伝えることで、死後の審判を許してもらおうとするものである。]]
 
エジプトいくつもの王朝が興亡合計して交代して、合計で約30または31の王朝 (Dynasty)があったがその中で特に繁栄した時代はおもに'''古王国'''時代、'''中王国'''時代、'''新王国'''の3つの時代に分かれるという
エジプト人は霊魂の不滅と死後の世界を信じて、遺体を'''ミイラ'''にした。
副葬品としてパピルスに書かれた「'''死者の書'''」をともに、遺体が埋葬された。
 
=== 古王国 ===
[[File:El pesado del corazón en el Papiro de Hunefer.jpg|thumb|「死者の書」の一部。 はかりを使っているのはアヌビス神であり、心臓と「正義のはね」の重さを比べている。]]
[[ファイル:All_Gizah_Pyramids.jpg|左|サムネイル|250x250ピクセル|三大ピラミッド。 左から右に、メンカウラー、カフラー、クフ(=ギザの大ピラミッド)。なお、手前の小さなピラミッドは衛星ピラミッドという。]]
都:'''メンフィス'''
 
古王国時代 (前2686年頃〜前2181年頃){{Efn|年代は松本(1998)に拠った。学者によって年代は多少ずれがあることに留意されたい。}}には、エジプトが最初に繁栄期を迎えた。例として、'''クフ'''(Khufu)王の時代には巨大な'''ギザの大ピラミッド'''(Pyramid)が建造された。
古代エジプトの宗教は、太陽神'''ラー'''(Ra)を中心にまつる多神教である。
 
=== 中王国 ===
文化では、パピルス草から作った一種の紙のパピルス(papyrus)が発明されており、その紙に書かれた記録から、現代のわれわれは当事のことが研究できる。
都:'''テーベ'''{{Efn|エジプト語でワセト。}}{{Efn|中王国時代全体として都をテーベとする教科書の一般的な記述は実際には正確ではない。中王国時代は王朝区分では第11~12(学者によっては13も含む)王朝であるが、このうち11王朝ではテーベが都である。しかし、12王朝初代アメンエムハト1世はイチ・タアウィに遷都し、これ以降(と13王朝)ではイチ・タアウィを都とした。}}
パピルス草に書かれる文字には、民用文字が使われた。民用文字は、神聖文字'''ヒエログリフ'''とは、べつの文字である。ヒエログリフは、石棺や碑文などに用いられた。ヒエログリフは象形文字である。
 
中王国時代 (前2055年頃~前1795年頃{{Efn|諸説あり。第12王朝セベクネフェルウの治世までを中王国とする場合(松本, 1998)1795年となるが、第13王朝全体を入れる場合(スペンサー, 2009)1650年までとなる。}})末期、アジア系の異民族'''ヒクソス'''(Hyksos)がエジプトに流入し、権力が衰えたエジプト王家にとって代わりエジプトを支配した。ヒクソスは、馬と戦車で武装しており、ナイル川下流域のデルタ地帯を中心とする王朝を建てた。
{{-}}
== 国家の興亡 ==
エジプトではいくつもの王朝が興亡して交代して、合計で約30の王朝があったが、時代はおもに'''古王国'''、'''中王国'''、'''新王国'''の3つの時代に分かれる。
 
=== 新王国 ===
[[File:All Gizah Pyramids.jpg|thumb|250px|left|三大ピラミッド。 右端の最後方が、クフ王のまつられた、ギザの大ピラミッドである。]]
都:'''テーベ'''{{Efn|同様にこの記述も正確ではない。新王国時代は第18, 19, 20王朝からなり、18王朝のアクエンアテン治世4年まではテーベ、アクエンアテン治世4年からツタンカーメン治世3~4年にはテル=エル=アマルナ、ツタンカーメン治世4年から19王朝ラメセス1世まではメンフィス、19王朝セティ1世から20王朝はペル・ラメセスである。}}
メンフィスを中心とした古王国(前27世紀〜前22世紀)では、'''クフ王'''(Khufu)の時代に(= 前27世紀ごろ)、巨大な'''ピラミッド'''(Pyramid)が建造された。
 
軍備を増強したテーベの王家はヒクソスを撃退し、新王国時代 (前1550年頃~前1069年頃)が開始される。「エジプトのナポレオン」とも言われる'''トトメス3世'''は、幾度もシリア・パレスティナ方面へ軍事遠征し、新王国時代最大の領土を築いた。
 
==== 宗教改革 ====
中王国は、テーべを首都とする。
新王国では、首都テーべの守護神アモン{{Efn|「アメン, Amen」が一般的だが、エジプト学者の中にもアメンを用いる人(例:吉村作治、屋形禎亮、松本弥、吉成薫、A.J.スペンサー等)やアモンを用いる人(例:河江肖剰、ただしアメンの使用例もある)が存在する。}}と、古くからの太陽神ラーとが結びつき{{Efn|エジプト学用語で、習合という。}}、アモン=ラーという一柱の神としてまつられていた。この時、アモン神をまつる神官の権力が増大し、王はそれを疎ましく思った。
 
父王の影響で専制君主的に育った'''アメンホテプ4世'''は宗教を、唯一神アトン{{Efn|「アテン, Aten」が一般的。アトンを用いる日本人学者はおそらく存在しない。}}だけをまつるように変更し、従来の多神教を否定した。 また、アメンホテプ4世はみずからの名を、「アモン神を満足させる者」という意味のアメンホテプから、「アトン神に有益なる者」を意味する'''イクナートン'''{{Efn|現在はイクナートンの表記は全く用いられず、もっぱら'''アクエンアテン'''の名称が用いられる。}}へと改め、都を'''テル=エル=アマルナ'''{{Efn|エジプト語でアケトアテン。}}に遷した。また、この時代では写実的な'''アマルナ美術'''が生まれた。
中王国の末期の1700年ごろに、エジプトは異民族'''ヒクソス'''(Hykcsos)によって侵略され、そのヒクソスによってエジプトが支配された。ヒクソス(Hykcsos)は、アジアのシリア・パレスチナ出身の異民族であり、馬と戦車で武装した遊牧民であり、アジアのシリア方面からエジプトに侵入し、ナイル川下流域のデルタ地帯を中心とする王朝を建てた。
[[ファイル:Nefertiti 30Nefertiti_30-01-2006.jpg|thumbサムネイル|right165x165ピクセル|アマルナ美術の代表作である、アメンホテプ4世の妻ネフェルティティの胸像(紀元前1345年)]]
王の死によりこれらの改革そのものは失敗し、その息子'''ツタンカーメン'''{{Efn|より厳密な表記では'''トゥトアンクアメン'''。}}の時代に、信仰は従来の多神教に戻された。
 
また、新王国時代にはラメス2世{{Efn|この表記も全く用いられず、通常'''ラメセス2世'''またはラムセス2世とされる。}}によりアブ・シンベル神殿をはじめとする数多くの建築物が築かれた。 {{-}}
 
== 宗教と文化 ==
前16世紀に、エジプト人がヒクソスを撃退し、新王国を立て、さらにシリア方面へ軍事遠征して領土を拡大した。
[[ファイル:Re-Horakhty.svg|左|サムネイル|285x285ピクセル|ラー神]]
古代エジプトの宗教は、'''多神教'''であったが、その3000年の間の人々の思想の変化により変化を繰り返したため一概に説明することはできない。しかし、多くの時代で太陽神'''ラー''' (Ra)は祀られていた。
[[ファイル:The_judgement_of_the_dead_in_the_presence_of_Osiris.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|死者の書]]
エジプト人は霊魂の不滅と死後の世界を信じて遺体を'''ミイラ'''化させ、埋葬した。また、パピルスに書かれた『'''死者の書'''(''Book of the Dead'')』を副葬品とする場合もあった。死者の書において、画像右端に座っているのは冥界の神'''オシリス''' (Osiris)であり、死者は自分の心臓と正義の羽が釣り合うかどうかを判断され、釣り合った場合は楽園へ行けるとされた。
 
== 新王国の宗教と文化 ==
[[ファイル:Rosetta_Stone.JPG|右|サムネイル|257x257ピクセル|ロゼッタ・ストーン]]
新王国では、首都テーべの守護神アモン Amon と、太陽神ラーとがむすびついて、アモン=ラーという一つの神として、まつられていた。
前述のように、エジプトではヒエログリフが用いられていたが、これはフランス人学者の'''シャンポリオン'''によって解読された。この解読のきっかけとなったのがナポレオンのエジプト遠征の際に発見された'''ロゼッタ・ストーン'''である。この碑文には (画像では上から順に)ヒエログリフ、ヒエラティック、ギリシャ文字の3種の文字で同じ内容が刻まれており、ギリシャ語との対比からヒエログリフは解読することができたのである。
 
また、パピルス草から作った紙である'''パピルス'''(Papyrus)が発明され、数多くの文学作品がパピルスに書かれた。そのうちいくつかは、現在でも読むことができる{{Efn|有名な作品に、古王国時代の『プタハヘテプの教訓』、中王国時代以前に存在した第1中間期の『メリカラー王への教訓』、中王国時代の『シヌヘの物語』、『難破した水夫の物語』がある。
前14世紀に、'''アメンホテプ4世'''が宗教を、唯一神アトン(Aten)だけをまつるように変更し、従来の多神教を否定した。アモン=ラーをまつる神官団と対立したためである。
教科書には中王国時代の事柄はヒクソスの侵入しか書かれていないが、特筆すべきことがないわけでは一切なく、中王国時代に書かれた文学作品も多い。}}。
 
== 注釈 ==
{{Notelist|2}}
 
== 参考文献 ==
[[ファイル:Nefertiti 30-01-2006.jpg|thumb|right|アマルナ美術。 アメンホテプ4世の妻、ネフェルティティの胸像(紀元前1345年)]]
<!--この項目に記載した内容は、エジプト史を多少なりともご存じの方ならば当然の内容と思いますので、どの記述がどの文献に拠っているかは明記しませんでした。ご了承ください。-->
また、アメンホテプ4世が都を'''アマルナ'''(テル=エル=アマルナ)に変更した。'''アマルナ美術'''が生まれた。また、アメンホテプ4世は、みずからの名を'''イクナートン'''(Ikunaton)に改めた。
* {{Cite book|和書|ref={{sfnref|松本|1994}}|author=松本 弥|title=図説 古代エジプト文字手帳|date=1994|ISBN=4946482075|publisher=株式会社 弥呂久}}
王の死により、これらの改革そのものは失敗し、信仰は多神教にもどった。
* {{Cite book|和書|ref={{sfnref|松本|1998}}|author=松本 弥|title=図説 古代エジプトのファラオ|date=1998|ISBN=4946482121|publisher=株式会社 弥呂久}}
* {{Cite book|和書|ref={{sfnref|松本|2020}}|author=松本 弥|title=古代エジプトの神々|date=2020|ISBN=9784946482366|publisher=株式会社 弥呂久}}
* {{Cite book|和書|ref={{sfnref|吉成|1999}}|author=吉成 薫|title=ヒエログリフ入門|date=1999|ISBN=4946482121|publisher=株式会社 弥呂久}}
* {{Cite book|和書|ref={{Sfnref|スペンサー|2009}}|author=A.J.スペンサー|title=大英博物館 図説古代エジプト史|date=2009|isbn=978-4-562-04289-0|translator=近藤 二郎, 小林 朋則|publisher=原書房}}
* {{Cite book|和書|ref={{sfnref|屋形|1998}}|author=屋形 禎亮, 大貫 良夫 et al.|title=世界の歴史I 人類の起源と古代オリエント|date=1998|publisher=中央公論社}}