「著作権法/概論」の版間の差分

プログラムの著作物
(付随対象著作物の利用)
(プログラムの著作物)
 
また、裁判判決の中には、監督名義が公表されている作品の場合には、たとい法人名義が公表されていても、映画会社ではなく監督が著作権者とされる、という判決もある。(※ 参考文献: 有斐閣『標準 著作権法』、高林龍)(<黒澤明DVD事件 第1審> 東京地判平成19・9・14判時1996・123 )この黒沢DVD事件では、映画会社名義と監督名義(黒澤明)の両方が公開されていた。
 
 
== プログラムの著作物 ==
著作権法で保護される「プログラム」とは、ソフトウェアのコード文の事である。「C言語」などの文法は、著作権法では保護されない。同様に、通信プロトコルなどのプロトコルも、著作権保護を受けない。プログラム言語(文法)、プロトコル、解法は、著作権保護の対象から外れる。
 
たとえばエアコンの温度調節プログラムには、物語性は無いが、しかし、このようなプログラムでも著作権が保護される。
 
ただし、ゲームソフトの物語文や映像の部分などは、通常の著作権が発生する。
 
なぜ、エアコンのプログラムなどのような物語文でもないプログラムが、著作権の対象にあってるかというと、通説では、アメリカ合衆国の圧力によって、日本の著作権法に含まれる事になったという説が一般的であり、法学書などでも、そう紹介されてる。
 
日本では昭和60年(1985年)の著作権法改正で、プログラムのコードを著作権保護の対象とする事になった。
 
昭和の当時の対案としては、著作権ではなく特許権で保護する案も日本の通産省などにあったようだが、どうやらアメリカ政府が、プログラムは著作権保護を原則とする事を要望してたようだ。
 
※ (個人的な意見:) 当事者の思惑は知らんが、特許権の期間は最長20年であり、いっぽう、著作権の期間は最長50年である。なので、著作権による保護のほうが「期間が長いから」という理由で、権利保護できるだろう、・・・と、おそらくアメリカ政府などは考えていたのかもしれない。
 
 
しかし、実際にこのようなプログラム著作権が運用されてくうちに、しだいに、当初に予想したよりも著作権ではプログラムの権利保護の効果が弱い、という事が分かってきた。
 
なにが分かってきたかというと、そもそも、著作権ではアイデアは保護されないという原則にもとづき、プログラム著作権でもアイデアはまったく保護されない。(※ 参考文献: 『ビジネス法務検定3級』、著:東京商工会議所、出版:中央経済社、)なので、たとい、どんなに画期的なアイデアがそのプログラムに使われても、そのアイデアはいっさい著作権保護の対象には、ならない。(しかし、プログラムを用いた発明の特許を特許法で保護する事は可能である。)
 
※ 発明のアイデアを保護するのは特許権や実用新案などであり、著作権ではない。
 
なので、エアコン制御などの技術的なプログラムの場合なら(ゲームソフトなど物語性のあるものは別)、他人のプログラムのアイデアだけを模倣して、プログラムを作成しなおせば、理論上は著作権侵害にならない(特許侵害などの可能性はありうるが)、・・・と考えられている。
 
結局、もはや著作権だけでは充分にプログラムをもちいた発明的なアイディアを保護できない事が21世紀の現代では分かっており、なので、特許権や不正競争防止法などを活用するによって、プログラムの発明を保護する必要がある事が分かっている。
 
== 著作権の制限 ==
 
また、このような考えにもとづき、キャラクターの印刷されたTシャツ(たとえばミッキーマウスの印刷されたTシャツ)を着ている子供を親が撮影しても、著作権侵害にはならず、合法である。
 
== 引用 ==
報道や研究、批評などの目的があれば、他人の著作物を、適切な限度内で、自己の作品・著作物に取り込める。このような行為のことを「引用」(いんよう)という。
 
ただし、引用の要件の1つとして、出所の明示の義務がある。(著作権法48条)
また、原則として、改変をせずに引用しなければならない。例外的に翻訳の場合、改変が認められる。(43条)
 
さて、引用の要件の1つとして「公正な慣行」が定められている。
単に「慣行」なだけでは、合法な「引用」とは認められない。たとえば、仮に、ある業界で、ろくに出典を明記せずに他人の著作物を写して公開する事が横行していたとしら、まず、違法だと見なされるだろう。(なお、そもそも出所明示は法的義務である。(48条))
 
このように、引用では、けっして単なる「慣行」だけではなく、さらに「公正な」という条件が追加されている。では、何が「公正な慣行」なのかというと、結局、判例などにもとづく事になる。
 
 
また、引用が認められるには、一般的に、必要最小限のていどの引用である必要がある。引用の要件として「正当な範囲内」という要件が定められている。このため、書籍などの引用の際は、その書籍全体の引用をすることは許されないのが通常である。
 
しかし例外的に、俳句の1句ていどの場合、その句全体を引用する事は許される。俳句の一部分を取り出しても、作品としての意味をなさないからである。
 
引用は、かならずしも必要最低限でなくてもかまわない、とする判決がある。(<脱ゴーマニズム宣言事件>東京地判平11・8・31判時1702・145)原著者の、引用は最小限とするべき、という主張をしりぞけた判決である。しかし学説では、この判決には批判的な意見もついており、けっして引用者が主観的に限度を設定できるわけではないだろう、という批判の学説もある。(高林龍『標準著著作権法』(有斐閣)などで、そのような批判学説が紹介されている。)
 
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