「高等学校世界史B/秦漢帝国」の版間の差分

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※ 法家とは、 高等学校古典B/漢文/侵官之害 (しんかんのがい) : 韓非子 高等学校古典B/漢文/人之性悪 :荀子 ↑かれらのような思想。 いわゆる「性悪説」の世界観にもと
鴻門之会、四面楚歌へのリンク。
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戦国時代を統一した国は、'''秦'''(しん)である。秦は'''法家'''(ほうか)の思想を採用し、法家の'''李斯'''(りし)を登用した。
 
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:※ 法家とは、
::[[高等学校古典B/漢文/侵官之害]] (しんかんのがい)  : 韓非子(かんびし)
::[[高等学校古典B/漢文/人之性悪]] (ひとのせいはあくなり)  :荀子(じゅんし)
:↑かれらのような思想。 いわゆる「性悪説」の世界観にもとづき、その悪の世の中を支配するために、きびしい法律や、きびしい外交・軍事などが必要であろう、・・・というような感じの思想である。
 
:重要な点として、'''孔子は、法家ではない。''' 孔子や、その教えをよく受け継いでいるとされる孟子(もうし)の思想を、法家は否定しているのである。
 
:つまり、秦の始皇帝は、孔子の思想を否定している。
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秦は東方の6国を征服し、前221年に統一。
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=== 漢 ===
秦の滅亡後、各地で諸侯が争った。その中でも、二大勢力として、農民出身の'''劉邦'''(りゅうほう)と、楚の名門貴族出身の'''項羽'''(こうう)とが、争った。最終的に、劉邦が中国を統一する。項羽は死亡する。
 
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:※ この時代をあつかった漢文の史伝(しでん)
:[[高等学校古典B/漢文/鴻門之会]] (こうもん の かい) {{進捗|75%|2015-08-04}}
:[[高等学校古典B/漢文/四面楚歌]] (しめん そか) {{進捗|75%|2015-08-05}}
 
リンク先漢文の「沛公」(はいこう)」(はいこう)が劉邦である。「項王」(こうおう)とは、もちろん項羽である。
 
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そして、中国統一した'''劉邦'''は皇帝になり、劉邦は漢の王朝を建て、劉邦は'''高祖'''(こうそ)となった。(前漢、ぜんかん)
 
そして劉邦は、新しい首都として、'''長安'''(ちょうあん)を都とした。(なお、それ以前の秦の時代の都は咸陽(かんよう)であった。)
 
:咸陽→長安
 
漢は、当初は、諸王に領地などを認める封建制を、中央官僚派遣をとおして皇帝が間接的に支配する群県制とともに併用した。この封建制と群県制との併用を'''群国制'''(ぐんこくせい)という。(おそらく、秦の中央集権化の失敗を参考にして、漢は当初は中央集権をあきらめたのだろう。)