「高等学校世界史B/大航海時代」の版間の差分

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航海王子
 
マゼラン
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そして、このインド航路を経由すれば、香辛料を安値で買える事が分かり、なのでガマの艦隊は、大量の香辛料・香料などをポルトガルに持ち帰ったとされる。それから、ポルトガルは、インド航路による香辛料などの取引をつづけた利益により、ポルトガルは莫大な利益を手に入れ、また、ポルトガルの首都'''リスボン'''は貿易港として発展した。
 
== スペインとコロンブス ==
スペインも、航路を探そうとしていた。そのとき、イタリア出身の航海者コロンブスが、天文学者トスカネリの主張する地球球体説にもとづいて、大西洋を横断すればインドに到達できるだろうと主張していた。スペインは、コロンブスを支持し、コロンブスに大西洋を横断させた。そして、1492年にコロンブスはカリブ海のサン・サルバドル島に到達し、ヨーロッパからアメリカ大陸への航路を発見した。
 
そして、のちにコロンブスは、アメリカ大陸にも上陸した。
 
コロンブスは、このをアメリカ大陸を「インド」だと信じていた。そのため、現在でもアメリカ大陸原住民を「インディアン」というなど、その名残りが残っている。
 
その後、'''アメリゴ=ヴェスプッチ'''( ← 彼はイタリア出身)などの探検により、コロンブスの到達した大陸がインドではなく、アジアとは別の場所であり、(ヨーロッパにとっての)新大陸である事が分かり、この新大陸はアメリカと名付けられた。
 
いっぽう、1500年にポルトガル人である'''カブラル'''がブラジルに到達し、ブラジルはポルトガル領とされた。
 
[[ファイル:Magellan-Map-En.png|right|thumb|400px|マゼラン艦隊の航路]]
さらにスペインは、ポルトガル出身の'''マゼラン'''に南アメリカ大陸の航路を調べさせ、まず南アメリカ大陸の南端にある海峡(マゼラン海峡)にたどりつき、つづけてマゼランの船団は、マゼラン海峡から太平洋を西西北に横断し、1521年にフィリピンに到達した。
 
マゼランはフィリピンで原住民に殺されたが、部下がアフリカ経由の航路で1522年にスペインに到達し、史上初の'''世界周航'''(せかい しゅうこう)が達成され、また、地球球体説が実証された。