「高等学校世界史B/大航海時代」の版間の差分

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マゼラン
ラスカサス、商業革命、
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そして、このインド航路を経由すれば、香辛料を安値で買える事が分かり、なのでガマの艦隊は、大量の香辛料・香料などをポルトガルに持ち帰ったとされる。それから、ポルトガルは、インド航路による香辛料などの取引をつづけた利益により、ポルトガルは莫大な利益を手に入れ、また、ポルトガルの首都'''リスボン'''は貿易港として発展した。
 
== スペインとコロンブスアメリカ大陸 ==
スペインも、航路を探そうとしていた。そのとき、イタリア出身の航海者コロンブスが、天文学者トスカネリの主張する地球球体説にもとづいて、大西洋を横断すればインドに到達できるだろうと主張していた。スペインは、コロンブスを支持し、コロンブスに大西洋を横断させた。そして、1492年にコロンブスはカリブ海のサン・サルバドル島に到達し、ヨーロッパからアメリカ大陸への航路を発見した。
 
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マゼランはフィリピンで原住民に殺されたが、部下がアフリカ経由の航路で1522年にスペインに到達し、史上初の'''世界周航'''(せかい しゅうこう)が達成され、また、地球球体説が実証された。
 
== スペインのアメリカ侵略 ==
スペインは、アメリカ大陸を侵略した。(※ 検定教科書では、「侵略」などの表現は用いてないが、実質的に、スペインによる侵略であろう。)
 
アメリカ大陸をヨーロッパ人が発見したころの当時、アメリカ大陸では既に原住民による文明が各地になった。しかし、スペインはアメリカ大陸に軍隊を送り込み、スペインはアメリカ大陸の各地を征服した。(※ 検定教科書では、「侵略」ではなく「征服」などの表現が用いられている。)
 
まず1521年に'''コルテス'''がメキシコの'''アステカ王国'''を征服した。つづけて1533年、'''ピサロ'''が'''インカ帝国'''を滅ぼした。
 
そしてアメリカに移住したスペイン人たちは、アメリカ大陸の原住民を酷使し、農場で働かせたり、銀山などの鉱山で採掘をさせた。
そのために、スペイン王国は、アメリカ現地のスペイン人入植者に(アメリカの)先住民の支配を委託する'''エンコミエンダ制'''を行った。
 
スペイン人のキリスト教の聖職者'''ラス=カサス'''は、スペイン人入植者のこのような行為を不道徳だと批判した。
 
するとスペインは今度は、アフリカ大陸から黒人を奴隷として輸入した。
 
また、あらたに伝染病がアメリカ大陸にもちこまれたり、アメリカ先住民が酷使されたりしたため、アメリカの先住民の人口が激減した。
 
 
スペイン人の入植後、アメリカ大陸ではポトシ銀山などの銀行脈が発見され、アメリカで銀が大量に採掘され、その銀が貿易を通してヨーロッパ経済に入っていったので、ヨーロッパ経済でインフレが起き、ヨーロッパで穀物などの物価が2〜3倍に上昇した。
 
:※ なお、この、大航海時代の銀の流入によるヨーロッパなどでのインフレのことを「'''価格革命'''」(Price Revolution)という。(※ 単なるインフレ現象にすぎないだろ・・・と思うが、検定教科書では太字になってるので、高校生は暗記せざるを得ない。)
 
:※ そもそも、大航海時代における新航路やアメリカ大陸の発見などにより、貿易を中心として世界経済に大きな変更があった事を「'''商業革命'''」(commerrcial Revolution)という。おそらく近代ヨーロッパの18世紀の「産業革命」(Industrial Revolution)に対抗したダジャレだろうと思うが、しかし検定教科書に「商業革命」の語句があるので、高校生は覚えざるを得ない。個人的に思うことだが、大航海時代に革命したのは「商業」でなく貿易(trade)だろう。なぜ、歴史学者たちのダジャレによる(学会内部の)流行語にすぎない「商業革命」といった用語に、高校生が付き合わされるのか、まったくもって迷惑である。
 
さて、ヨーロッパでは、銀の流入による物価の上昇により、固定地代で収入を得ている領主は、大きな経済的打撃を受けた。
 
また、おもに西ヨーロッパでインフレが起き、東ヨーロッパではインフレは弱かった。この価格差のため、東ヨーロッパからは大量に穀物が輸出された。このため、東ヨーロッパでは大農場経営が行われ、農場領主制が広まった。
 
なお、ほぼ同時代に、中国でも、アメリカなどで採掘された銀が大量に中国に流入した。このころ、中国(※ 王朝は「明」(ミン))の納税制度が銀による納税制度(※ 一条鞭法(いちじょうべんぽう))に変わったのだが、その理由もおそらく、中国国外からの銀の流入により中国で銀が普及したことが、その理由のひとつだろう・・・と歴史学では考えられている。
 
また、サトウキビがアメリカ外からアメリカに持ち込まれ、アメリカでサトウキビのプランテーションが開かれた。