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本テキスト「教育勅語」は、教育勅語全般に関する解説である。
 
== 教育勅語とは ==
 
教育勅語は、正式には教育ニ関スル勅語といい、1890年(明治23年)に発表された、第2次世界大戦前の日本の教育の根幹となった勅語である。詳しくは、[[w:教育勅語|教育勅語]](ウィキペディア内)を参照。儒教道徳を元にしたことが記載されている。
 
 
* 評価 (否定的)
:* 第2次世界大戦末期に過剰な神聖化がなされた経緯もあり、思想や良心の自由を否定している
:* 軍人の規律を説く軍人勅諭と同列のものであり、軍事教育や軍国主義につながる
::占領統治時代に連合国軍によって廃止されたのはこの理由から
:* 根本的理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる
::1948年に衆議院によって決議された「教育勅語等排除に関する決議」より
:* 教育の根本に天皇中心の[[w:国体|国体]]思想を据えたこと自体が問題である
::教育学者の[[佐藤秀夫]]は「教育勅語の基本的趣旨は、その冒頭における、天照大神に起源する(皇祖)歴代皇統(皇宗)の徳治と臣民全体のそれへの終始変わらぬ忠誠の関係、つまり皇国史観により捉えられる君臣関係を軸とする国家構成原理、すなわち『国体』にこそ、日本の教育の淵源が存すると規定したところにある。」と述べている<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、65頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>。また、教育勅語に示されている徳目は「歴史的にこの国の民衆の間に形成されてきた通俗道徳項目に過ぎない」として、重要なのはそれらの徳目が「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に構造づけられていたこと、すなわち、「日本における道徳は、すべて[[w:天皇制|天皇制]]の発展に寄与してこそ、はじめて意味を持つということになっていた」ことであると指摘している<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、66頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>。
 
 
* 評価 (肯定的)
 
:*現代語訳での12の徳目は、日本の伝統的道徳観が込められており、一種の模範となるものがあってもいいのではないかと言う人もいる。
 
== 文章解釈 ==
文章解釈については、各人・各時代により異なり、定訳は存在していない。日本では、「国定教科書」の解釈が有名で、修身の第2期国定教科書が発行される1910年から、修身の第5期国定教科書がGHQの指示で墨塗りされる1945年にかけて、全ての小学生がこの教育勅語の解釈を学んだ。
 
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=== 12の徳目 ===
以下のように、教育勅語から12個の項目を抜き出して列挙したものが、第二次世界大戦後の日本においては、『12の徳目』と呼ばれている。
また第二次世界大戦後の日本においては、自由民主党同志会専務理事・佐々木盛雄の作った「国民道徳協会」という団体の現代語訳が比較的有名であるが、当時の世相があまり反映されていないという声や「歪曲と誤訳の典型」<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、68頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>という指摘もある。
 
# 父母ニ孝ニ
「国民道徳協会」の解釈によると、教育勅語には、道徳項目が主に12個示され、「12の徳目」などと呼んでいるが、これは文部省の公式解釈ではない、「国民道徳協会」のオリジナルの解釈であり、著作権の問題があるため、外部サイトを参照のこと。
# 兄弟ニ友ニ
# 夫婦相和シ
# 朋友相信シ
# 恭儉己レヲ持シ
# 博愛衆ニ及ホシ
# 學ヲ修メ業ヲ習ヒ
# 以テ智能ヲ啓發シ
# 德器ヲ成就シ
# 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
# 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
# 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
 
『12の徳目』などと呼ばれているが、文部省の公式解釈ではなく、命名者は不明である。
*[http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html 国民道徳協会の口語訳] (明治神宮公式サイト内)
*[http://clio.seesaa.net/article/5199250.html 教育勅語「国民道徳協会訳」の怪]
 
また第二次世界大戦後の日本においては、自由民主党同志会専務理事・佐々木盛雄の作った「国民道徳協会」という団体の現代語訳が比較的有名であるが、当時の世相があまり反映されていないという声や「歪曲と誤訳の典型」指摘<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、68頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>という指摘もある。(国民道徳協会による現代語訳については、著作権の問題があるため、外部サイトを参照のこと。)
==教育勅語をめぐる歴史==
 
* [http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html 国民道徳協会の口語訳] (明治神宮公式サイト内)
===年表===
 
== 教育勅語をめぐる歴史 ==
*1890年(明治23年) 10月30日に発布。
*1891年(明治24年) 小学校祝日大祭日儀式規定制定。学校などで式典がある場合に朗読。
*1900年(明治33年) 小学校令施行規則制定。
*1946年(昭和21年) 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が朗読と神聖的な取りあつかいを禁止。
*1948年(昭和23年) 6月19日に衆議院が「教育勅語等排除に関する決議」を参議院が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議。
 
===起案 年表 ===
 
* 1890年(明治23年) 10月30日に発布。
* 1891年(明治24年) 小学校祝日大祭日儀式規定制定。学校などで式典がある場合に朗読。
* 1900年(明治33年) 小学校令施行規則制定。
* 1946年(昭和21年) 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が朗読と神聖的な取りあつかいを禁止。
* 1948年(昭和23年) 6月19日に衆議院が「教育勅語等排除に関する決議」を参議院が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議。
 
===年表 起案 ===
 
井上毅と元田永孚によって起案されたが、井上毅は教育勅語が思想や宗教の自由を侵さないようにすることを重視し、対して元田永孚は国家神道的な教典とすることを重視していたとされている。このような対立や帝国議会の神道に対する配慮などにより、大日本帝国憲法第55条第2項で「凡(すべ)テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と定められていたが、この国務に関する詔勅に該当しないものとしてされた。そのため御名御璽のみで、国務大臣の副署がないまま、各学校へは文部省によって一斉に下賜(上から下に与えること)された。
 
=== 奉安所 ===
 
天皇皇后の真影(写真)や教育勅語を保管するために、学校に奉安庫若しくは[[W:奉安殿|奉安殿]]と呼ばれる保管庫が設けられた。学校の校舎内に設けられた保管所を奉安庫、学校の校舎とは独立して設けられたものを奉安殿という。
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第2次世界大戦激化時には、登下校時において奉安殿への礼拝が求められた。
 
=== 奉読 ===
 
文部省令などにより学校で行われる式典においては、教育勅語が奉読(朗読)されることになっていたが、後期は神聖化の影響もあってか、式典中の校長の動きは一挙一動までが明文で規定され、読み間違いなどを行えば校長の進退にも影響したともいわれる。
 
=== 排除・失効確認 ===
 
1948年6月19日に教育勅語について、衆議院では排除、参議院では失効確認がされた。決議文については、以下を参照。
 
* [http://wikisource.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E%E7%AD%89%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1%BA%E8%AD%B0 教育勅語等排除に関する決議](ウィキソース)
* [http://wikisource.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E%E7%AD%89%E3%81%AE%E5%A4%B1%E5%8A%B9%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1%BA%E8%AD%B0 教育勅語等の失効確認に関する決議](ウィキソース)
 
決議文の内容を見ると両議院で微妙に見解が異なり、法学的な観点からは次のような議論がされることがある。
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なお、法学的な細部の観点はともかくとして、一般的に現代の教育において教育勅語を教育理念とされることはない。
 
== 教育基本法との関係 ==
 
初期の連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の教育勅語改訂構想もあり、教育勅語の廃止は元々決定されていたものではなかったが、その後GHQは、廃止の方針を決めた。また、教育基本法の起案者の1人であった田中耕太郎も、教育基本法では教育精神的な規定を設けずに、教育勅語を初めとする文書類との棲み分けを図ろうとしていた時期もあるが、後に田中耕太郎は、自己の著書の中で、教育基本法が教育勅語の代わりとなったことを記した。
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なお、教育勅語は、神聖的なとりあつかいや朗読が既に止められていたが、1948年6月19日に衆議院では排除、参議院では失効確認がされた。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 関連項目 ==
 
* [[w:教育ニ関スル勅語|教育ニ関スル勅語]](ウィキペディア)