「教育勅語」の版間の差分

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勅語や法令などの原文は、著作権法で転載が認められています。また、明治時代の原文は、著作権保護50年間の期限切れ。
2015年4月3日 (金) 23:50時点における版をもとに、 肯定的評価のいくつかの記載を復活。
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* 評価 (否定的)
:* 第2次世界大戦末期に過剰な神聖化がなされた経緯もあり、思想や良心の自由を否定している
:* 軍人の規律を説く軍人勅諭と同列のものであり、軍事教育や軍国主義につながる
::GHQによる占領統治時代に連合国軍によって教育勅語が廃止されたのはこの理由(軍国主義につながる)から
:* 根本的理念が主権在君並びに神話的体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。」
::1948年に衆議院によって決議された『[[w:「教育勅語等排除に関する決議」と「教育勅語等の失効確認に関する決議」|教育勅語等排除に関する決議]]』より
:* 教育の根本に天皇中心の[[w:国体|国体]]思想を据えたこと自体が問題である
::教育学者の[[佐藤秀夫]]は「教育勅語の基本的趣旨は、その冒頭における、天照大神に起源する(皇祖)歴代皇統(皇宗)の徳治と臣民全体のそれへの終始変わらぬ忠誠の関係、つまり皇国史観により捉えられる君臣関係を軸とする国家構成原理、すなわち『国体』にこそ、日本の教育の淵源が存すると規定したところにある。」と述べている<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、65頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>。また、教育勅語に示されている徳目は「歴史的にこの国の民衆の間に形成されてきた通俗道徳項目に過ぎない」として、重要なのはそれらの徳目が「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に構造づけられていたこと、すなわち、「日本における道徳は、すべて[[w:天皇制|天皇制]]の発展に寄与してこそ、はじめて意味を持つということになっていた」ことであると指摘している<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、66頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>。
 
19 行
* 評価 (肯定的)
 
:* 現代語訳での12の徳目は、日本の伝統的道徳観が込められており、一種の模範となるものがあってもいいのではないかと言う人もいる。
:* [[w:桐蔭横浜大学|桐蔭横浜大学]]学長鵜川昇によれば「『カトリックの倫理綱領と同じ』であり、『日本人としての根本倫理』を表したものとして講義を続けた[[w:栄光学園|栄光学園]]のグスタフ・フォス校長(神父)」のような教育者も過去には存在したという。また、三重県伊勢市の私立・皇學館高等学校は教育勅語を教材の中に取り入れており、現代の社会において欠けているものが教育勅語にあるからこそ、生徒に暗唱をさせている。
 
== 文章解釈 ==
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『12の徳目』などと呼ばれているが、文部省の公式解釈ではなく、命名者は不明である。
 
また第二次世界大戦後の日本においては、自由民主党同志会専務理事・佐々木盛雄の作った「国民道徳協会」という団体の現代語訳が比較的有名であるが、当時の世相があまり反映されていないという指摘<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、68頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>もある。(国民道徳協会による現代語訳については、著作権の問題があるため、外部サイトを参照のこと。)
 
* [http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html 国民道徳協会の口語訳] (明治神宮公式サイト内)
 
『12の徳目』への批判的意見として、教育学者の佐藤秀夫は、国民道徳協会などによるこれらの現代語訳を「歪曲と誤訳の典型」と批判している。<ref>佐藤秀夫『教育の文化史4 現代の視座』阿吽社、2005年、68頁。ISBN 4-900590-83-5</ref>
 
== 教育勅語をめぐる歴史 ==