「高等学校日本史B/日本文化のあけぼの」の版間の差分

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石器に、打ち欠いてつくっただけの'''打製石器'''(だせいせっき)のみを使用していた旧石器時代(きゅうせっきじだい)が、石器時代の中でも最も古い。
 
かつて日本には旧石器時代が存在しないと考えられていたが、しかし1946年、群馬県にある'''岩宿遺跡'''(いわじゅくいせき)で、更新世に堆積した'''関東ローム層'''から打製石器を'''相沢忠洋'''(あいざわ ただひろ)が発見する。そして1949年に、学術調査が行われた。これらの調査により日本にも旧石器時代があったことが証明され、日本史上の定説を覆すこととなった。
 
これを契機に、日本の各地で更新世の地層から石器が発見された。
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ここでは名前と用途を紹介するが資料集などで実物の写真を確認していただきたい。
 
# '''斧'''(ハンドアックスせきふ) 叩く、割          切る、土を掘る。旧石器時代の古くからある。
# '''ナイフ形'''           切る、土を掘る。旧石器時代の古くからある。
# '''ナイフ形石尖頭器'''(ブレイドせんとうき) 切る、削   槍の先端に付ける。旧石器時代の古くからある後半に現れた
# '''尖頭細石器'''(ポイントさいせっき)    槍木や骨の先端に付ける嵌めこむ。旧石器時代の後半終わり頃に現れた。旧石器時代の石器では、もっとも新しい時代の石器
# '''細石器'''(マイクロリス)  木や骨の先端に嵌めこむ。旧石器時代の終わり頃に現れた。旧石器時代の石器では、もっとも新しい時代の石器。
 
狩猟に使える石器がこのように存在することから、当時の日本人は、狩猟を行って得た獣の肉を、食料にしていたと考えられている。
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[[File:Fossil of Minatogawa Man.jpg|thumb|120px|left|港川人(港川1号)の化石(レプリカ)。国立科学博物館の展示。]]
[[File:Minatogawa Man Restoration model.jpg|thumb|180px|right|港川人の復元模型。国立科学博物館の展示。]]
人骨は3種類覚えとけば問題ない。 沖縄県の'''港川人'''(みなとがわじんこつ)・'''山下人'''(やましたじんこつ) 静岡県の'''浜北人'''(きたはまじんこつ)である。これらの人骨はいずれも新人段階であり、3万年前までの人骨である。
 
港川人は人骨がよく残っており、アジア南部の人種であると考えられている。
 
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== 縄文時代 ==
=== 縄文時代の成立 ===
今からおよそ1万数千年前ごろの更新世末期から、地球の気候が温暖化して海面が上昇した。なおこれを「縄文海進」(じょうもんかいしん)という。これにより日本列島が形成された。(約1万年前)
 
植物は東日本では落葉広葉樹林が広がり、西日本では照葉樹林が広がった。この森林の変化にともない、ドングリ、クルミ、クリなどの木の実や、ヤマイモなどの根茎類(こんけいるい)が豊富になった。
 
=== 縄文時代の生活 ===
人類は '''磨製石器'''(ませいせっき)、'''土器'''、'''弓矢''' を手にし生活基板を創り上げていった。この時代の土器の模様には、縄を回転させて土器につけた模様が多く、そのため、この時代の土器のこと'''縄文文化土器'''(じょうもん ぶんかどきと言う。また、この時代を'''縄文時代'''という。

動物は、マンモスなどの大型動物はすでに絶滅しており、シカやイノシシやウサギなどの比較的小型で俊敏な動物が多かった。このような俊敏な動物を狩るのに、弓矢が適していた。牧畜は行われていない。また、本格的な農耕は行われていない。
 
また、土器は貯蔵(ちょぞう)の他にも、食物の煮炊き(にたき)にも使われていたようであり、木の実のアク抜きや、獣肉の煮沸などにも使われたようである。
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また、'''骨角器'''(こっかくき)といい動物の骨や角を銛や釣り針に使用していた。
 
土器は縄文土器が有名である。縄文土器の特徴として  '''縄目模様  黒褐色'''(低音で焼いているため) '''厚手でもろい'''  が挙げられる。
 
木の実などによる定住して得られる食料が普及したためか、人々は'''竪穴住居'''(たてあな じゅうきょ)に住み、円を成して共同生活する環状集落を作った。また'''貝塚'''(かいづか)が発見されており、ハマグリやアサリなどの貝が捨てられている。このことから、漁労が発達していたことが、うかがえる。
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:・ '''黒曜石''' :黒曜石は、原産地が限られる。その黒曜石が、原産地から離れた各地から出土していることから、交易が行われていたことが分かる。場所は '''和田峠'''(わだとうげ,長野)、白滝・十勝町(北海道)、箱根(神奈川)、神津島(こうづしま,東京)、姫島(ひめしま,大分)、阿蘇山(熊本)。
:・ '''サヌカイト'''(讃岐石) :産出場所は  '''二上山'''(ふたがみやま、にじょうざん、奈良)
:・ '''ヒスイひすい'''(硬玉、「こうぎょく」) :産出場所は新潟県の'''姫川'''(ひめかわ)。
[[File:Periodo jomon, dogu, 2000-1000 a.c. 3.JPG|thumb|right|200px|土偶 青森県 亀ヶ岡遺跡の出土(通称:遮光器土偶)]]
 
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* 遺跡
縄文時代で有名な遺跡は、青森県にある'''三内丸山遺跡'''(さんないまるやまいせき、青森県)である。
 
* その他