「高等学校日本史B/古墳とヤマト王権」の版間の差分

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中学校社会 歴史/古墳時代 2015年10月2日 (金) 20:02‎ から引用し、高校用に修正中。
 
国造(くにのみやつこ)、屯倉(みやけ)、田荘(たどころ)など
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ヤマト王権は、反乱をおさえるのに、1年あまリ〜2年ほど、かかる。この '''磐井の乱'''(いわい の らん) を、豪族の物部氏(もののべし)の 物部麁鹿火(もののべの あらかみ) が しずめたので、<span style="color:red"><big>物部氏</big></span>(もののべし)のヤマト王権での影響力が強くなる。
 
6世紀、ヤマト王権に服従した地方豪族は'''国造'''(くにのみやつこ)として任命された。
 
また、各地に、ヤマト王権の直轄地が設置され、その直轄地は'''屯倉'''(みやけ)という。
 
また、直轄民として従属する部の民を'''名代'''(なしろ)、'''子代'''(こしろ)とし、地方豪族に従属する民を'''部曲'''(かきべ)と呼んだ。
 
いっぽう、有力な豪族の私有地を'''田荘'''(たどころ)といい、有力な豪族が私有地を持っていた。