「高等学校日本史B/飛鳥の朝廷」の版間の差分

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ついつい「立派な聖徳太子と、人殺しの悪人である蘇我一族とは、敵対しているハズだ!」と先入観を抱きがち(いだきがち)が、しかし歴史学的には、そんなイメージの証拠はない。
家系図で推古天皇の先祖を見れば推古天皇の先祖に蘇我稲目がいる事からも分かるように、そもそも推古天皇は蘇我氏の一員である。(※ 山川出版社『大学の日本史 1 古代』でも、推古天
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厩戸王と蘇我馬子は協力関係にあり、603年には'''冠位十二階の制'''を定め、翌604年には'''憲法十七条'''(けんぽうじゅうしちじょう)を定めた。
 
:※ 蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺したりと、蘇我一族がたびたび暗殺などをしているイメージから、ついつい「立派な聖徳太子と、人殺しの悪人である蘇我一族とは、敵対しているハズだ!」と先入観を抱きがち(いだきがち)が、しかし歴史学的には、そんなイメージの証拠はない。 小中学校までの歴史知識では、ついつい蘇我馬子と聖徳太子の関係を勘違いしやすいので、要注意のこと。また、読者の高校生が将来、子供に歴史教育をする場合も、ここらへん、要注意である。家系図で推古天皇の先祖を見れば推古天皇の先祖に蘇我稲目がいる事からも分かるように、そもそも推古天皇は蘇我氏の一員である。(※ 山川出版社『大学の日本史 1 古代』でも、推古天皇が蘇我氏の一員であると指摘している。 参考文献: 『大学の日本史 1 教養から考える日本史 古代』、第1版、2016年第1版、76ページ)
 
聖徳太子のモデルは厩戸王だろうというのが有力説だが、別人だという説もあり、また聖徳太子は『日本書紀』の編纂時につくられた架空の人物だという説もある。なお、冠位十二階の制や憲法十七条を定めた人が厩戸王であるとは断定できる証拠はないのだが(憲※ 清水書院の教科書でも説明されている)、分かりやすさを重視して、上述のように、あたかも厩戸王と蘇我馬子によって、冠位十二階の制などが定められたかのように説明した。(※ 山川出版社などの教科書でも、あたかも厩戸王が定めたかのように書かれている。)