「高等学校政治経済/権利と義務」の版間の差分

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節「個人間の契約における権利と義務の関係」と節「憲法における権利と義務の関係」
 
民事裁判において、裁判官はどのような考えにもとづいて判決を出さなければならないかは、民法などの法律に書いてある。(中学公民および高校「現代社会」「政治経済」の範囲内。)
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このように個人間の契約においては、自由には責任が ともないます。
 
もっとも、なんでもかんでも契約なら自由というわけではなく、たとえば労働契約では、労働基準法に定められた最低賃金を下回る給料での労働契約は無効である、・・・などのように「契約自由の原則」には例外もある。
 
また、契約内容がウソの内容である「詐欺」(さぎ)などの場合、契約を取り消しできる場合もある。(高校の「現代社会」の教科書などで習う。) しかし、詐欺である事を証明するのが難しい場合が多いのが実情である。(高校の「現代社会」の教科書などで習う。)
 
しかし、これらの少数の例外をのぞけば、原則として、「契約自由の原則」により、個人間の契約においては、自由には責任がともなうので、原則的に契約を守る義務を、(司法を含む)社会から要求される。
 
たとえば、「借りたカネを返さない」などのように、もしも借金の契約に違反すると、場合によっては、裁判(借金の裁判は、普通は民事裁判であろう)にかけられてしまい、そして判決では、財産を取り上げられるなどの強制執行の判決が出る場合もあります。(※ 「強制執行」は、'''中学'''公民の検定教科書の範囲内です)
 
 
民事裁判において、裁判官はどのような考えにもとづいて判決を出さなければならないかは、'''民法'''などの法律に書いてある。(中学公民および高校「現代社会」「政治経済」の範囲内。)
 
民法では、個人と個人どうしの契約についての法が、定められている。
 
== 範囲外 ==
=== 中学の復習: 国家権力による、個人の権利の制限 ===
:国民どうしの人権の衝突を防ぐ場合のみに義務が与えられることで、権利が制限される、・・・
という事は、裏を返せば、他者の権利を守るためなら、権利は制限されるという事である。
 
いわゆる「生命の権利」のような基本的人権を除けば、もはや他の権利は、あまり基本的ではなく、特別な理由があれば、制限されるのである。
 
中学校で習ったように、・・・
:医者や弁護士のように、その仕事につくのに免許などの資格が必要な仕事もある。(「経済活動の自由」の制限)
:未成年の子供は、親など保護者の許可がなくては、引越しはできない。(「居住・移転の自由」の制限)
 
などのように、自由権が制限される場合もある。
 
他にも、犯罪を犯して逮捕されて拘束された者に対しては、拘束を禁じるという意味での「身体の自由」なんて、当然、ありえない。
 
 
さらに、「生命の権利」そのものですら、日本国憲法では、
:「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」(第31条)
という言い方をされている。つまり、刑事裁判で死刑判決が出るなどのように、法律の定める手続きに則れば、生命が奪われる場合すらも、ありうる、・・・という事でもある。
 
一般に日本の法律などでは、(日本国憲法の定める)「公共の福祉」などの概念によって、最小限の権利制限であるならば、「権利」というものは制限可能である、・・・と考えられている。
 
なお、「表現の自由」について、侮辱・脅迫・犯罪指示などを目的とした言動の場合、その言動をした人物は取り締まりを受ける場合もある。日本国憲法には、表現の自由について、侮辱・脅迫・犯罪指示などについての例外規定はないが、事実として、侮辱や脅迫や犯罪指示などを、「表現の自由」の名目で正当化することはできないように、取り締まりをされている。
 
だからといって、「他人の権利を守るため」などの名目で、なんでもかんでも言動を禁止していいわけではない。高校科目の「日本史」「世界史」などで第二次世界大戦前・大戦中の治安維持法について説明したりするのは、そういう失敗(第二次大戦期において、戦前、「治安の維持」などを名目に、政府に批判的なだけの言動が取り締まられるようになった。)を繰り返さないようにするため、・・・という教育的な意図だろう。
 
・・・、'''ただし、このように、慎重に、権利の制限を行う場合とは、あくまでも国家権力が個人の権利の制限をする場合のハナシである。''' (※ 日本の中学・高校では、これを習わない。)
 
 
たとえば刑事裁判における「罪刑法定主義」とは、あくまでも、刑事裁判の場合だけである。民事裁判には、そのような主義はない。
 
当然である。個人の権利が、もしも事前に法律の条文によって法定されていないと権利が守られないとしたら、個人の権利が弱まってしまう。
 
前の節でも説明したが、個人と個人との間の、個人どうしの関係において、国家 と個人の間のような慎重な権利の制限はない。