「中学校社会 歴史/明治日本の国際関係」の版間の差分

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1875年にロシアとの間で樺太・千島交換条約が結ばれ、樺太はロシア領になり、千島は日本領になった。
軍歌の話は「範囲外」と明記。
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1874年ごろから九州の各地で、士族による反乱が起きた。1874年に江藤心平らが佐賀で反乱をおこしたが、政府軍によって、鎮圧(ちんあつ)された。江藤は死刑になった。
 
[[File:Battle of Taharazaka.JPG|thumb|300px|西南戦争での、田原坂(たばるざか)の戦い。(田原坂の地名は覚えなくても良い。中学高校の範囲外だろう。) 左が官軍、右が西郷軍(「鹿児島新報田原坂激戦之図」小林永濯(こばやし えいたく)画、明治10年3月)。]]
ほかにも、反乱がおき、このような不平士族たちの指導者として、西郷隆盛がかつぎだされた。西郷も、その不平士族とともに、1877年に大規模な反乱が鹿児島で起きた。この鹿児島での西郷ひきいる反乱が'''西南戦争'''(せいなんせんそう)である。
 
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西南戦争の以降、士族の反乱は、なくなった。
 
:(※ 範囲外:) 日本の初めての軍歌である『抜刀隊』(ばっとうたい)の歌詞は、この西南戦争の様子をうたったものであり、西郷軍による切り込み攻撃と、対する警視隊の抜刀隊との戦いを歌詞にして歌ったものであり、その歌詞に、お雇い外国人であるフランス人作曲家のシャルル・ルルーが曲をつけた歌である。音楽史的には、重要な曲である。
 
:(※ 範囲外:) なお、この軍歌『抜刀隊』のもともとの曲調は、'''演歌(えんか)調ではなく'''、西洋音楽の曲調に近く、唱歌のような曲調に近い。(確認したければ、明治・大正に発売されたレコードおよび、その曲を現代に再収録したCDなどで、簡単に確認できる。大学入試には出ない知識なので、無理して確認しなくても良い。) 『抜刀隊』にかぎらず、明治〜大正期の軍歌のほとんどは、演歌調ではない。では、演歌調で明治〜大正期の日本の軍歌を歌っている曲が何なのか言うと、主に第二次大戦後に演歌風にアレンジされたアレンジ曲を歌ったものである。どういうことかというと、どうやら1950〜60年頃、日本の音楽業界で、演歌が流行したらしい。その影響で、軍歌のレコードやカセットテープも、演歌調にアレンジされたものが発売されたらしい。
 
 
== 隣国との国交 ==