「高等学校政治経済/政治/日本の安全保障と憲法問題」の版間の差分

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テロ対策特別措置法など
三木内閣の防衛費GNP1%とか、カンボジアPKOの参加5原則とか、1999年の周辺事態法とか
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=== 冷戦と沖縄返還 ===
==== 沖縄返還 ====
1970年代に沖縄が日本に変換された。
 
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:なお、1976年に核兵器拡散防止条約(NPT)を、日本は批准した。
 
:なお、実際には、日本にある在日アメリカ海軍基地に入港するアメリカの艦船には核兵器が搭載されたままで、たびたび寄港していたらしく、その実体を黙認するために、これらの「核もちこみ」については日米政府の事前協議からは外すという密約があったらしい事が、2010年の外務省の有識者会議で認定された。このような事への批判から、近年(2017年)では「『三原則』ではなく『二.五原則』だ」などと批判される事も多い
 
:また、1970年代から、日本国が、アメリカ軍の日本への駐留経費を負担するための「思いやり予算」が定着した。(日米両国の当時の景気や貿易摩擦などの問題などもあり、いちがいに沖縄返還が理由とは言えないだろう。)
 
 
なお、1976年に、日本の防衛費をGNP(国民総生産)比で1%未満とする原則が、三木(みき)内閣により出された。しかし、1987年に、中曽根(なかそね)内閣により、このGNP1%制限は撤廃されている。
 
==== 冷戦の終了とPKO ====
しかし、1980年代に冷戦も終わり、1990年ごろから世界各地で紛争やテロが起き始めると、その復興支援などのために国連のPKOが出動せざるを得なくなり、日本も、アメリカなどの国際社会から復興支援などへの貢献を求められ、自衛隊などを紛争地帯の警備に出動さざるを得ないなどの事を検討せざるを得なくなり、集団的自衛権の見直しを求められるようになった。
 
また、冷戦終了が原因ではないが、1992年には、カンボジアの復興支援のための国連PKO(平和維持活動)として、自衛隊がカンボジアに派遣された。1992年に'''国連平和維持活動(PKO)協力法'''が成立している。
 
なお、このカンボジアの荒廃の原因は、カンボジアの以前の独裁者ポルポトによる同カンボジア人への大量虐殺および、そのポルポト独裁政権を打倒するためのカンボジア内部での紛争などが原因である。
 
 
日本にとっては、このカンボジアのPKO派遣が、日本にとっての初めての自衛隊の海外へのPKO派遣になった。
 
その後、自衛隊によるPKOは、モザンビーク、ゴラン高原、東ティモール、ネパールなどにも、派遣された。
 
(※ 個人的意見にもとづく注釈:) しかし、この1990年代において、日本政府は、従来の集団的自衛権を違憲とする過去の政権の宣言の抜本的な宣言は行わないままに、PKO関連の法案を成立させるなどの方策を取ったため、国民のあいだで、おおくの日本国民による憲法9条に対する集団的自衛権の政府解釈と、じっさいの日本国政府との解釈とが、意識と一致していないという問題がある。
 
 
 
日本は、PKOの参加のための、軍事協力への歯止めとして、以下のような条件からなる「PKO参加5原則」を出した。
 
:* PKO参加5原則
::・ 紛争当事者が、停戦に合意していること。
::・ 紛争当事者が、PKOの受け入れに同意していること。
::・ 中立的立場を厳守すること。
::・ 日本の独自判断で、撤退が可能。
::・ 武器の使用は、隊員自身の防衛のためだけの目的なら、使用可能。それ以外は使用不可。
とする、5つの条件である。
 
 
 
 
=== 冷戦終了と地域紛争とテロ ===
日本は、1990年代の当初、自衛隊の海外派遣と集団的自衛権の関係のあつかいについては、「国連の平和維持部隊は軍隊でない」的に扱う事として、あいまいにする方針だったが、しかし2001年にアメリカ同時多発テロが発生し、日本はアメリカからイラクへの復興支援のための自衛隊派遣を求められたため、実際に自衛隊がイラクに復興支援のために派遣され、国連以外のイラク南指揮下としてサマーワに自衛隊は海外派遣され、給水などの復興支援することとなった。
 
:なお、1990年にイラクがクウェートに侵攻したさいの湾岸戦争については、日本は自衛隊を派遣していない。湾岸戦争では、自衛隊派遣のかわりに、日本は多額の援助資金により、アメリカ軍を中心とする多国籍軍への支援を行った。
 
また、2001年のアメリカ同時多発テロの後、日本はテロ対策のために軍事関連の法案を見直さざるを得なくなり、'''テロ対策特別措置法'''(2001年)などの、さまざまな法案が制定された。
 
 
なお、1996年の時点で、もしも日本の周辺で紛争が起きたさいに、日本の自衛隊がアメリカ軍の支援を可能とする'''日米安全保障宣言'''が出されており、また、1999年には、そのための(日本の周辺で紛争が起きたさいの、自衛隊による米軍支援のための)法律である'''周辺事態法'''が制定されていた。
 
 
なおなお、上記のはなしを、年代順に並べなおすと、・・・
:1990年にイラクがクウェートに侵攻したさいの湾岸戦争については、日本は自衛隊を派遣していない。湾岸戦争では、自衛隊派遣のかわりに、日本は多額の援助資金により、アメリカ軍を中心とする多国籍軍への支援を行った。
:1996年の時点で、もしも日本の周辺で紛争が起きたさいに、日本の自衛隊がアメリカ軍の支援を可能とする'''日米安全保障宣言'''が出されており、また、1999年には、そのための(日本の周辺で紛争が起きたさいの、自衛隊による米軍支援のための)法律である'''周辺事態法'''が制定されていた。
:、2001年のアメリカ同時多発テロの後、日本はテロ対策のために軍事関連の法案を見直さざるを得なくなり、'''テロ対策特別措置法'''(2001年)などの、さまざまな法案が制定された。
 
のような順番である。
 
 
== 災害復興と自衛隊 ==
軍隊の本来の任務は、テロリストや敵国兵士などを倒すための戦闘こそが、本来の軍隊の任務である。大地震などの災害復興は、軍隊の本来の任務ではない。
 
しかし日本では近年、2011年の東日本大震災などのような大型地震などの災害時には、自衛隊がその機動力などを活用して復興支援などを行うことが多い。