「中学校社会 歴史/鎌倉時代」の版間の差分

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=== 承久の乱 ===
1221年( 承久(じょうきゅう)3年 )、京都の朝廷で院政を行っていた <big>後鳥羽上皇</big>(ごとばじょうこう) は政治の実権を朝廷に取り戻そうとして、北条氏を倒す命令を出し、兵を挙げた。だが、集まった兵士は少なく、北条氏の側が上皇側の軍を破る。
後鳥羽上皇は島根県の隠岐(おき)に島流しにされ、追放される。この争乱を<big>承久の乱</big>(じょうきゅう の らん) という。
 
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=== 御成敗式目 ===
承久の乱 のあとの1232年( 貞永(じょうえい)元年 )に、執権の北条泰時(ほうじょう やすとき)らにより、武家社会の慣習(かんしゅう)をもとに新たな法律をつくり、<big>御成敗式目</big>(ごせいばい しきもく) という法律をつくり、御家人の権利や義務が定められ、この式目が政治や裁判の よりどころ になった。これは律令(りつりょう)とは、別の法律である。御成敗式目のことを貞永式目(じょうえい しきもく)ともいう。