「学習方法/高校倫理」の版間の差分

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単に、この科目『倫理』は、日本の文部省とか政治家とかの役所の都合で、存在の決まっただけの科目です。諸外国では、高校では哲学史じみたことを教えてない国も多くあります。
椎楽 (トーク | 投稿記録)
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== この科目は、何論理学(ろんりがく)ではない ==
この『倫理』科目では、論理性とかは要求してないです。この科目は、哲学の歴史を覚える暗記科目です。よって、論理性を測るのには、不向きな科目です。もしあなたが論理性を評価されたいなら、受験教科や受験科目選択では、数学の受験や、公民科目なら政治経済を受験すべきでしょう。
=== 論理学(ろんりがく)ではない ===
この『倫理』科目では、論理性とかは要求してないです。この科目は、哲学の歴史を覚える暗記科目です。よって、論理性を測るのには、不向きな科目です。もしあなたが論理性を評価されたいなら、受験教科や受験科目の選択では、数学の受験や、公民科目なら政治経済を受験すべきでしょう。
 
==== 思索は不要 ====
『倫理』という名に反して、「正義とは何か」とか「平和とは何か? 平和を実現するために、どうすればいいか?」とか、そういう事は高校『倫理』では追及しません。
==== 紹介された思想に共鳴する必要は無い。 ====
たとえばガンジーの「非暴力」「不服従」の思想に共鳴するよりも、暗記勉強で「'''ガンジー'''」、「'''非暴力'''」とかの用語を暗記したほうが入試では得点を取れる。
 
単に、この科目『倫理』は、日本の文部省とか政治家とかの役所の都合で、存在の決まっただけの科目です。
 
諸外国では、高校では哲学史じみたことを教えてない国も多くあります。教えたとしても、入試に出さない国も多くあります。
 
フランスが入試に『哲学』なる科目を出すことで有名ですが、裏をかえすと、フランス以外の国では、あまり『哲学』とされる知識を大学入試では重視してないわけです。
 
 
だいたい、役所の決める教育カリキュラムで、思想を深めることなど不可能です。そもそも思想とは、そういう役人的な都合を否定して、自身で自発的に仮説を提唱して検証していく事こそ、真の思想であり哲学ですが、そんなの公教育では不可能です。
 
芸術とかの最先端が、公教育では、教えようがないのと同じです。
 
だから諸外国では、高校では哲学史じみたことを教えてない国も多くあるわけです。哲学史を教えようとしても暗記科目になってしまう事を知っているからでしょう。
 
 
=== 高校『倫理』は哲学の歴史ではない ===
フランス革命ごろの思想家ルソーは「女に自由権はいらない」みたいな言説を著書『エミール』で言ってますが、そういうのは高校倫理では紹介されません。
 
なぜなら日本の文部省にとって、男女同権に反する言説であり、都合が悪い言説だです。
 
日本だけでなく、海外の大学にとっても不都合なので、エミールのような言説が隠されています。
 
つまり、そもそも大学などで教えられる『哲学史』が、哲学の歴史ですらないのです。
 
古代中国の思想家である荀子や韓非子など、儒学者でない中国思想家は、旧来(当時)の儒教道徳を否定しており、「親が死んだ時に、親のために作る墓の大きさとかで、孝行な息子かどうかを決めるのは、変だろ。」とか言ってたりしますが、そういうのも、高校『倫理』では紹介されません。
 
なぜなら日本人や韓国・中華人民共和国などにも、儒教道徳的な葬式を支持する人は多く、日本国民を偽善者だと批判するような言説は、文部省にとって不都合だからです。
 
 
=== 哲学史は思想史ですらない ===
第二次大戦期にガンジーが『非暴力』によるイギリスへの抵抗を主張しても、実際のインドの独立は、政治運動家チャンドラ・ボースの主導する武装闘争による軍事力によって獲得されたものです。
 
しかし哲学史では、ガンジーは紹介されても、ボースは紹介されません。ボースの軍事行動のような史実は、哲学史では隠されています。
 
なぜなら、欧米の哲学分野の大学教授にとって、ボースのような軍事力によって訴える行動は、不都合なのです。
 
哲学者にとっては、「行動よりも言論こそが最強」というのが好都合だからです。ボースは、言論人である大学教員の哲学教授どもにとっては、不都合だからです。
 
つまり、大学教員たちは、自分たちの都合のよいように、思想史を塗り替えています。そもそもの哲学史じたいが、こういうゴミのような学問です。
 
 
また、哲学史に紹介されるような人たちも、その時代の『哲学』とされる学問そのものを研究してきたわけではなく、文学や数学や歴史学などを研究してきた人たちです。
 
たとえば江戸時代の国学者の本居宣長(もとおり のりなが)は、もちろん哲学者などではなく、日本の古代の古文や古代史を研究してきた人です。
 
西洋の中世の哲学者として紹介されるような、デカルトやパスカルは数学者です。
 
なお、現代の数学や物理学において、デカルトやパスカルの書いた哲学的な随筆は、相手にされてません。
 
数学や物理学を勉強するには、哲学史は不要です。
 
単に、今の科学者だって余暇にはマンガを読んだりするように、パスカルなど中世の科学者が余暇に当時の流行の文化であった哲学をしてみただけの事です。
 
 
== この科目で得点を上げるには、どう勉強すべきか ==
=== 思索は不要 ===
==== 紹介された思想に共鳴する必要は無い。 ====
たとえばガンジーの「非暴力」「不服従」の思想に共鳴するよりも、暗記勉強で「'''ガンジー'''」、「'''非暴力'''」とかの用語を暗記したほうが入試では得点を取れる。
 
==== 思索は不要 ====
自分で「社会とは何か?」「人生とは何か?」などについて色々と考えたりする必要はありません。高校倫理で要求されるのは、哲学・思想の過去の'''歴史'''です。また、未来のこれからの時代についての思想・思索は、要求されません。
 
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なので、国語の小論文の対策以上には、哲学などに深入りする必要は、多くの一般の受験生には、必要ありません。
 
=== 一部の入試では長文で論述 ===
さて、ごく一部の難関の国立大学の哲学科の入試では、論述問題で、小論文みたいに10行くらい書かせるような長い論述が要求される場合もあるでしょう。でも、その問題ですら、まずは教科書や参考書などに書いてあることを覚えておかないと、まずは解けません。
 
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なお、2行〜3行ていどの論述なら、他の学科や私大でも、出題する場合があるでしょう。
 
=== 暗記が大学合格で要求される ===
私立大・国公立を問わず、『倫理』科目の受験では、暗記が要求されます。