「高等学校世界史B/19世紀の欧米の文化と社会」の版間の差分

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コッホやパスツール
リアリズム
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:※ ルノワールは、それまでの西洋美術において「写実的である」とされている既存の画風について、作品をつくる事で「ちがう」と反対意見を言ってるだけであろう。
 
[[File:Jean-François Millet - The Sower - Google Art Project.jpg|thumb|left|ミレー『種まく人』<br>ミレーの画風は写実主義に分類される。しかし、ミレーの作品は、どう見ての作品でも、色使いが現農民風景よりも黒っぽ描かれており、写真のような色使いではなく、ミレーは印象を重視して。ただし、(教科書の小さい画像では分かりづらいが)細かいところまで絵が描かれている。このように、写実主義と印象主義の境界はあいまいである。]]
 
ルノワールより少し前の時代に流行したミレーは、農民などを題材にした絵を描き、(現代の美術史では)「写実主義」(リアリズム、realism)に分類される。たしかにミレーの画風はルノワールよりも細部まで描きこまれてる場合が多いが、だが、レンブラントなどの前時代の画家と比べたら、べつにミレーの画風が、特段、ルノワールレンブラントなどの画風て写真のようなわけではない。(※ レンブラントの作品については『[[高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会]]』を参照せよ。)
 
ルノワールの画風は、教科書の小さい写真では分かりづらいが、じつは、あまり細かいところを正確には描き込んでなく、細部をボカしている。なので、そこが通説で「写実的ではない」と、現代の評論家から指摘される根拠だろう。
 
「写実」という訳語から、ついつい写真のような連想を、われわれ日本人はしてしまいがちである。だが、写実と和訳される前の英語、もともとの英語は realism (リアリズム)であり、直訳すれば 現実主義 という意味である。
しかし、それは単に解像度の問題にすぎない。現代の評論家たちは、カメラの発明初期の解像度の少ない写真を見て、「写実的ではない」などとタワゴトを言うつもりだろうか?
 
では、なにと比べて「現実」なのだろうか。
 
[[File:Jean-François Millet - Gleaners - Google Art Project 2.jpg|thumb|ミレー『落ち穂ひろい』(おちぼひろい)<br>(教科書の小さい画像では分かりづらいが)細かいところまで絵が描かれている。このように、写実主義と印象主義の境界はあいまいである。]]
 
じつは、フランス革命以前の絵画では、貴族が画家に絵画作成の注文を出すなどして、貴族などが肖像で描かれることが多かった。貴族以外のものが描かれる場合でも、教会などの注文で、キリストなどの宗教的聖人や、天使などが描かれる場合が多かった。
 
貴族にしろ、教会にしろ、一般の農民の小作人と比べたら、基本的には、お金持ちであり、権力者であろう。
 
そういう、お金もち・権力者を描く以前の美術が、「現実的でない」というような意味あいで、ミレーはそれまでは描かれることのなかった貧農を描いたわけである。
 
もっともミレー以前にも、レンブラントだって『夜警』などの作品で、貴族以外の自警団などの市民を描いてるわけだから、けっしてミレーだけが、いきなり貴族以外のものたちを描く意義を発見したわけではない。
 
だが、分類の都合上、どこかの時代でわれわれは過去の画家たちの区分を線引きをする必要があり、なので美術史の慣習上、レンブラントは「写実主義」に含まれないと分類され、ミレーは「写実主義」に含まれると分類されることが多い。
 
 
ルノワールの画風は、教科書の小さい写真では分かりづらいが、じつは、あまり細かいところを正確には描き込んでなく、細部をボカしている。なので、そこが通説で「写実的ではない」と、現代の評論家から指摘される根拠だろう。
 
しかし、それは単に解像度の問題にすぎない。現代の評論家たちは、カメラの発明初期の解像度の少ない写真を見て、「写実的ではない」などとタワゴトを言うつもりだろうか?
 
要するに、「絵は細かいところを描きこまなくっても、重要なポイントを押さえて描けば、そこそこ写実的に見えるし、観客にテーマも伝わるぞ」って事をルノワールは発見して、自身の作品で証明したのである。だから「ルノワールは写実的ではない」と解釈してしまうと、本質を見落としてしまうだろう。