「高等学校世界史B/WW I 後のアジア情勢」の版間の差分

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トルコ革命
 
レザー=ハーン
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これらの諸改革を'''トルコ革命'''という。
 
 
== パレスティナ ==
パレスティナは最終的に、イギリスの委任統治領となった。そしてユダヤ人が入植してきた。
 
== 中東諸国の独立 ==
=== サウジアラビア ===
アラビア半島では、イブン=サウードがイギリスの支援を受け、アラビア半島の大部分の領域を統一し、1932年に'''サウジアラビア王国'''を建国した。
 
=== エジプト ===
エジプトでは大戦中の1914年にイギリスの保護国になったが、戦後、ワフド党の反英的な民族運動が活発化した。
 
すると、イギリスは保護権を放棄したので、1922年にエジプトは形式的には独立し'''エジプト王国'''となった。
 
しかし、スエズ運河の管理権は、イギリスのままだった。
 
1936年のイギリス=エジプト条約で、スエズ運河の管理権を除いて、エジプトはほぼ主権を回復した。スエズ運河には、イギリス軍が駐屯することになった。
 
=== イラン ===
イランは大戦中、中立を宣言したが、イギリス・ロシアの両軍に占領された。戦後は、イギリス・ロシアが政治に介入してきた。1921年、軍人'''レザー=ハーン'''が、クーデタを起こし、カージャール朝を倒し、政権をにぎり、みずからが王となり、パフレヴィー朝を開いた。
 
そして立憲君主制として、トルコにならった改革を行った( 第二次大戦後のイラン革命より前は、イランはけっこう西洋化をしていた国だったのである)。
 
1935年には国号を「ペルシア」から「イラン」に改めた。