「高等学校世界史探究/第二次世界大戦と新しい国際秩序の形成 学習のポイント」の版間の差分

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ドイツ革命について、中学校社会 歴史 昭和時代 2014年10月28日 (火) 00:31‎ より引用。
 
英独海軍協定
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ドイツで皇室が消えたことにより議会の力が強まったという背景が、政治家ヒトラーが台頭(たいとう)しやすかったという理由の一つでしょう。
 
== ナチスの台頭 ==
[[File:Adolf Hitler-1933.jpg|thumb|ヒトラー <br>若い頃は画家を目指していたが、第一次大戦中に政治家になることを目指し始めた。<br>ナチス党の正式名称の和訳は「国民社会主義ドイツ労働者党」のような名前だが、長いので日本では「ナチス」「ナチ」などと省略される。「ナチス」 Nazis とは元々は、第二次大戦中ごろに、アメリカやイギリスなど反ドイツ的な国が、ヒトラーの政党を侮辱(ぶじょく)する意味で使い始めた蔑称(べっしょう)である。)]]
 
世界恐慌後、ドイツでは'''ナチス党'''と共産党が勢力を伸ばした。
 
ナチスは、ヒトラーを指導者とする政党であり、ヴェルサイユ条約の破棄、反共産主義、ユダヤ人の排斥、などの政策を主張した。
 
ナチスは、中産層を中心に、支持を伸ばしていった。また、共産党をおそれた資本家や軍部のなかにも、ナチスを支持する者が多かった。
 
 
1932年の選挙でナチスは合法的に第一党になり、翌33年にはヒトラーが首相になった。1933年に国会議事堂放火事件があると、(ナチスはこれを共産党のしわざと決め付け、)共産党の活動を禁止した。
 
また、1933年には'''全権委任法'''を制定し、ナチス以外の政党を解散させ、一党独裁を確立させた。
 
1934年にヒンデンブルク大統領が死亡すると、ヒトラーは首相と大統領を兼ね、「総統」(そうとう、ヒューラー)を自称した。
 
また、この頃(?)、ドイツを「第三帝国」と位置づけた。(神聖ローマ帝国、ドイツ帝国に次いでの、第三の帝国という意味)
 
 
ヒトラー政権は、経済政策においては、大規模な土木公共事業(高速道路アウトバーンなどを建設)や軍需産業の支援を行うことで、失業を解決し、ドイツ国民の支持をあつめた。また、娯楽施設の建設や、海外旅行の推奨を行うなど、レジャー産業を推進した。(なお、イタリアも同様のレジャー施設の推進の政策を行ってる。)
 
いっぽう、移民や少数民族に対しては、ユダヤ人やジプシー(ロマ民族)を強制収容所に送った。(「ジプシー」は蔑称として使われた言葉であるので、現代では「ロマ民族」と言い替えるのが政治的な配慮である。)
 
このような少数民族への迫害のため、アインシュタインなどの著名なユダヤ人は、ドイツを脱出し、外国(アメリカなど)に向かった。
 
また、出版や学問などの言論の統制を行い、自由をうばわれた。秘密警察(「ゲシュタポ」)を組織して、反政府的な活動を取り締まった。
 
外交では、ヒトラーひきいるドイツは1933年に国際連盟を脱退し、1935年には'''再軍備宣言'''および徴兵制の復活をし、1936年にはロカルノ条約を破棄して非武装地帯ラインラントに軍隊を進駐をした('''ラインラント進駐''')。
 
当時のイギリスは、ドイツの再軍備を容認する方針であった。そしてイギリスとドイツは、イギリス海軍の35%の海軍力をドイツ海軍が持つことを容認する英独海軍協定を締結した。