「高等学校世界史探究/冷戦の展開」の版間の差分

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「高等学校政治経済/経済/第二次大戦後の国際経済の歴史」 2016年4月6日 (水) 15:11‎ から引用。
ティエンビエンフーの戦い
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なお1945年、ソ連はベルリン封鎖の失敗をみとめ、1945年5月にソ連はベルリン封鎖を解除した。
 
 
== 南アジア諸国の独立 ==
イギリスは大戦で疲弊し、植民地を維持する力を失っており、またイギリス本国で植民地の維持のための軍事費などの負担が問題視されたこと等の理由から、イギリスは植民地の独立には協力的になった。
 
しかし、インドでは現地のアジア人たちが、独立後の国の方針や宗教上の方針をめぐって、(現地アジア人どうしで)対立した。全インドの統一を重視する国民会議派のガンディーおよびネルーらと、一方、'''ジンナー'''ひきいるムスリム国家の分離独立をもとめる全インド=ムスリム連盟が対立した。
 
そして、ひとまず、1947年に、ヒンドゥー教徒の多いインド連邦と、ムスリムの多いパキスタン共和国に分かれて、ほぼ同時にイギリスから独立した。
 
その後、ヒンドゥーとムスリムの対立が激化し、武力衝突した。融和を説くガンディーは、急進派ヒンドゥー教徒によって暗殺されてしまった(1948年)。
 
インドとパキスタンは、カシミール地方の帰属をめぐって、たびたび武力衝突し、
 
 
== 東南アジア諸国の独立 ==
1945年、ホーチミンはベトナム人民共和国の独立を宣言したが、宗主国フランスはこれを認めず、ベトナムにフランス軍を派兵し、'''インドシナ戦争'''になった。
 
フランスは49年、げん朝の旧皇帝バオ=ダイをたて、ベトナム国を樹立したが、54年に'''ティエンビエンフーの戦い'''でフランスは敗北し、'''ジュネーブ休戦協定'''を結んでフランスはインドシナから撤退した。
 
結果、ベトナムは北緯17度線を基準にして、北側がベトナム民主共和国、南側がベトナム国となった。こうしてベトナムは、南北2つの国家に分裂した。
 
 
(アメリカ植民地の)フィリピンについては、戦前からの独立の約束どおり(太平洋戦争によって少し遅れたが)、アメリカは1946年にフィリピンの独立を認めた。
 
 
(オランダ植民地の)インドネシアでは、日本の敗戦直後の1945年8月17日にスカルノが独立を宣言したが、宗主国オランダは独立を認めず、戦争になった。4年あまりの独立戦争のすえ、1949年にインドネシアは独立を認めさせた。
 
(イギリス植民地の)マレー半島では、ひとまず1948年にイギリス領マラヤ連邦が成立し、1957年に独立国の「マラヤ連邦」となり、63年に独立国の'''マレーシア'''になった。その後、中国人の多い'''シンガポール'''が1965年にマレーシアから分離独立した。