「高等学校世界史探究/冷戦の展開」の版間の差分

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バングラデシュ
ニュルンベルク国際軍事裁判
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また、関税及び貿易に関する一般協定(GATT、「ガット」、1948年発効、General Agreement on Tariffs and Trade)では関税の引き下げなどの自由貿易が目指された。このような第二次大戦の経済秩序をブレトン・ウッズ体制またはIMF=GATT体制という。
 
== 敗戦国の民主化 ==
[[ファイル:Nuremberg-1-.jpg|thumb|right|240px|ニュルンベルク裁判の被告席<br>被告席にいるのはナチス=ドイツの指導者たち。 戦勝国が敗戦国ドイツの指導者たちを裁いた。被告人22人のうち12名に死刑判決が下された。]]
 
敗戦国のドイツと日本では、戦勝国の行う裁判によって、ドイツと日本の戦争指導者たちが裁かれた。
 
ドイツでは'''ニュルンベルク'''国際軍事裁判、日本では極東国際軍事裁判(東京裁判)が行われた。
 
そして、従来の戦争犯罪(捕虜虐待など)による罪を問うのに加え、新たに加わった「平和に対する罪」によって、裁かれた。
 
ニュルンベルク裁判では、ナチスの指導者たちが裁かれた。
 
しかし、戦勝国による戦争犯罪については、これらの裁判では問われなかったので、当時から有識者には「不公平」な裁判だと問題視されていた。
 
== 冷戦 ==
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いっぽう、1949年5月、英米仏を中心とする西側諸国は、軍事同盟的な国際機構として、'''北大西洋条約機構'''('''NATO'''、「ナトー」と読む)を設立した。
 
なお1945年、ソ連はベルリン封鎖の失敗をみとめ、1945年5月にソ連はベルリン封鎖を解除した。そして同1945年の秋に、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)およびドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立した。
 
 
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その後、ヒンドゥーとムスリムの対立が激化し、武力衝突した。融和を説くガンディーは、急進派ヒンドゥー教徒によって暗殺されてしまった(1948年)。
 
パキスタンは当時、インドを挟んで東西に領土をもってたが、東パキスタンがパキスタンからの独立をもとめるとインドはこれを支援し、1971年にインドは西パキスタンに侵攻し、1971年に東パキスタンはバングラデシュとして独立した。
 
インドとパキスタンは、カシミール地方の帰属をめぐって、たびたび武力衝突し、