「高等学校世界史探究/冷戦の展開」の版間の差分

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文化大革命、アフガニスタン侵攻、双子の赤字、ベトナム戦争
スエズ戦争
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そして劉少奇ら党幹部を失脚させ、また、知識人を弾圧した。
 
== アフリカの連帯 ==
アフリカで第二次世界大戦の前から独立しているのは、わずかにエジプトやエチオピア、南アフリカだけだった。
 
1955年、インドネシアのバンドンで'''アジア・アフリカ会議'''が開催され、参加国としてインド・中国・エジプト・インドネシア・日本など、日本をふくむ29ヶ国があつまり、帝国主義の植民地支配に反対することが決められ、また平和共存をうったえた。反帝国主義・平和共存の「平和10原則」(へいわ じゅうげんそく)が宣言された。
 
そして1960年にアフリカで一挙い17か国が独立し、1960年は「'''アフリカの年'''」と言われた。
 
 
その後、1961年にユーゴスラビアで開かれた(第1回)'''非同盟諸国首脳会議'''には、出席国にラテンアメリカ諸国も加わり、エジプトやインドなど25か国が出席し、東西冷戦のどちらの立場にもならない非同盟の立場を宣言した。そして、アフリカ諸国やエジプトインドなどは「'''第三世界'''」と呼ばれた。
 
そして、1963年にアフリカ諸国は、アフリカの連帯をめざす'''アフリカ統一機構'''(OAU)を結成した。
 
== 中東戦争 ==
1945年、アラブ諸国はアラブどうしの連帯を強めるため、1945年にアラブ諸国は'''アラブ連盟'''を結成した。
 
この頃、国連はパレスティナについて、アラブ人とユダヤ人とで分割する案を出した。
 
しかし1948年、ユダヤ人がパレスティナの地え一方的に'''イスラエル'''の建国を宣言した。このため、イスラエルと、(イスラエルに反対する)アラブ諸国とのあいだで、第1次'''中東戦争'''が起きた。
 
第1次中東戦争にアラブ諸国はやぶれ、多くのアラブ人が土地を失ったため難民となった。
 
その後、エジプトでは、1952〜53年にナセル(人物名)ひきいる自由将校団が革命を起こし、王政お倒した(エジプト革命)。
 
翌1954年にナセルひきいるエジプトは、スエズ運河の国有化を宣言した。
 
すると、スエズ(運河のエジプト)国有化に反対するイギリスが、フランス・イスラエルともにエジプトに侵攻し、戦争になった。(第2次中東戦争、'''スエズ戦争''')
しかし国際世論は、英仏イスラエルのエジプト侵攻を非難し、英仏イスラエルは撤退に追い込まれた。