「高等学校世界史探究/冷戦の展開」の版間の差分

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スエズ戦争
イラン革命
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すると、スエズ(運河のエジプト)国有化に反対するイギリスが、フランス・イスラエルともにエジプトに侵攻し、戦争になった。(第2次中東戦争、'''スエズ戦争''')
しかし国際世論は、英仏イスラエルのエジプト侵攻を非難し、英仏イスラエルは撤退に追い込まれた。
 
 
== イラン革命から湾岸戦争まで ==
21世紀の今では信じられいかもしれないが、1979年より前のイランは、西洋化の進んでいた国であった。
 
しかし1979年、イスラーム教シーア派が革命を起こし、宗教家ホメイニを最高指導者とするイラン=イスラーム共和国が誕生した('''イラン革命''')。イラン革命は、それまでの革命とは違い、民主化の革命でもなく、共産主義にもとづく革命でもなく、宗教にもとづく復古的な革命であったので、国際社会を驚かせた。
 
イラクは、自国への革命の波及を恐れ、1980年にイランに侵攻し、'''イラン=イラク戦争'''が始まった。
 
そして、イラン=イラク戦争では、アメリカやソ連も革命の波及をおそれたため、米ソはイラクに軍事援助した。
 
イラン=イラク戦争は88年まで続いた。
 
その後の1990年、イラクが隣国クウェートに攻め込み、国連ではイラクへの武力行使を容認する決議が可決され、翌1991年には国連重決議に基づいてアメリカ合衆国ひきいる多国籍軍がイラクを攻撃し、イラクを降伏させ、クウェートからイラク軍を追い出した('''湾岸戦争''')。