「高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会」の版間の差分

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→‎自然科学や哲学などの学問: ベーコンはフランシスコ=ベーコンのほう。ロジャー=ベーコンではない。
帰納法とは
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(※ ロジャー=ベーコンとは別人。 『[[高等学校世界史B/中世ヨーロッパの文化]]』。ロジャーもまた、実験を重んじるべきと主張しており、まぎらわしい。)
 
{{コラム|「帰納法」とは|
帰納法とは、たとえば、
:「きのう、食べた りんご が、すべて甘かった」として、「きょう食べた りんご も甘かった」として、「いままで食べた りんご はすべて甘かった」としたら、
:結論として「よって、すべての りんご は甘い」というような推論法。
 
帰納法の例を物理学で言うなら、「あの石ころは、空気中で、手で持ち上げて、手をはなせば、落下する」、「この石ころも、空気中で、手で持ち上げて、手をはなせば、落下する」、「さらに別の石ころも、空気中で、手で持ち上げて、手をはなせば、落下する」というような事実から、
:結論「すべての石ころは、空気中で、手で持ち上げて、手をはなせば、落下する」をみちびくような思考法が、帰納法。
 
石ころの例のように、帰納法は、重力など法則の発見に役立つ場合もある。
 
しかし、りんごの例では、現実には、甘くない りんご もあるだろう(例えば、ひからびた りんご などを考えれば良い)。このように、帰納法では、まちがった結論を導くことも多い。また、感覚主義的に陥る危険もある。
 
 
物理学では、多くの実験によって帰納法的に法則を導くが、しかし、上述のりんごの例のように帰納法だけでは、正しい結論を導くには不十分である。正しい結論を導くには、帰納法と演繹法の両面から、検証をしなければならない。
 
1561年生まれのフランシスコ=ベーコン(イギリス人)と、1564年生まれのガリレイ(イタリア人)は、同じころの時代に生きたが、しかし国が離れており、交友があったわけではない。
 
ベーコンの職業は法律職でもあり、国会議員でもあったりして、ベーコンのいう「帰納法」などは、おそらく、法改正などの改革の必要性を念頭においており、「古典や文献に書いてあっただけの机上の空論ではなく、現実を受け入れよ」という、旧態依然とする既得権益に対する批判的な意味があるのだろう。きっと、ベーコンが著書で批判した既得権益のなかには、当時の既存の哲学者も含まれるだろう。
 
実際、ベーコンの言う「帰納法」の背景事情として、キリスト教神学の(聖書などの)古典研究的な「スコラ学」という学問体系を、(スコラ学の当初はともかく)もはやスコラ学は形骸化したものだとして、ベーコンは著書『学問の進歩』でスコラ学を批判したという背景がある。
 
1561年生まれのベーコンが「帰納法」という擁護を明示する前から、 1473年生まれのコペルニクスなどの科学者がとっくの昔に、帰納法的に観測事実にもとづいて地動説を発見しており、べつに帰納法による思考法はベーコンの発明ではない。ベーコンは用語を発明しただけである。
 
じつは、哲学では、「経験主義」と「合理主義」の対立がある。「経験」とは、言葉だけを見れば、物理学などの実験も含まれるが、しかし実態は、「経験主義」は、たびたび体験主義とはき違えられ、感覚主義に陥った。
 
デカルトは1596年生まれであるが、デカルトは「合理主義」に分類される。デカルトが「帰納法」でなく「演繹法」を重視したのは、もしかしたら、ともすれば感覚主義に陥りがちな自称「経験主義」(笑)への反発があってのことだろう。
 
デカルトのような数学者からすれば、おそらく、デカルトにとっては帰納法だろうが演繹法だろうが、数学的に正しい公式さえ発見できればどちらの思考法でも良いと思っているだろう。デカルトは単に、当時の感覚主義的な自称「経験主義」(笑)の自称「帰納法」(笑)に対して、デカルトは反発があっただろうから、アンチテーゼとして合理主義の演繹法を主張したにすぎないのだろう。
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そして、時代が少しすぎて科学が数学が発展すると、科学者'''ニュートン'''(1727死没)が物理学などで活躍した。