「高等学校日本史B/立憲体制の確立」の版間の差分

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神風連の乱
 
松方デフレ
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== 士族反乱 ==
士族反乱は、西南戦争よりも「佐賀の乱」や「神風連の乱」(じんぷうれんのらん)が先。
 
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政府軍は約7ヵ月で西郷軍を鎮圧した。やぶれた西郷は自害した。
 
== 松方財政 ==
西南戦争後、1876年ごろから、激しいインフレが起きた。
 
原因として考えられているのは、不換紙幣(ふかんしへい)の大量発行である。不換紙幣というのは、金や銀と交換しなくてよい紙幣のこと。
 
なぜ、そのような紙幣を大量発行したかというと、西南戦争の戦費や、明治維新の諸改革などで、出費が かさんだ からである。
 
ともかく、インフレが激しくなったので、政府は財政改革の必要にせまられた。
 
 
そして'''松方正義'''(まつかた まさよし)が大蔵卿(おおくらきょう)に就任し、増税および歳出削減を行った。
 
 
1882年には日本銀行が設立され、1885年には兌換銀行券(だかんぎんこうけん)を発行した。兌換銀行券とは、銀や金と交換できる紙幣のこと。
 
兌換紙幣の交換先の金属を、金(Au)を中心とした場合の制度を金本位制といい、銀(Ag)を中心とした場合の制度を銀本位制という。
 
当時の日本銀行券は、銀本位制である。
 
このようにしてインフレはおさまっていくが、今度は日本がデフレによる不況が起きた('''松方デフレ''')。
 
米、繭(まゆ)などの農産物価値が下落し、地租改正などの増税の負担も加わったので(しかも地租は定額金納であった)農民の生活は苦しくなり、土地を手放して小作人になる農民も急増した。
 
いっぽう、富める地主たちは、没落した農民が手放した土地を買ったりしたので、土地は地主に集中した。
 
土地を失った農民たちのなかには、都市に貧民として流入することもあった。