「高等学校日本史B/立憲体制の確立」の版間の差分

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秩父事件
三大事件建白運動
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このように、民権運動家の活動は停滞していった。
 
 
なお、1882年に朝鮮で金玉均らによるクーデタ未遂事件()が起きると、日本に亡命した金玉均を福沢諭吉らが支援した。板垣も金玉均を支援した。
 
これをうけてか、1885年、日本にいる自由党の大井憲太郎(おおい けんたろう)が朝鮮でクーデタ(保守政権を倒す)を起こそうとして朝鮮に渡ろうとしたが、未然に日本の大坂で検挙された(「大阪事件」)。
 
== 民権運動の再結集 ==
民権運動はいったん停滞したが、しかし、国会開設が近づくにつれ民権運動はもりあがり、民権派は再結集をしようとして、後藤象二郎が中心人物になった。
 
井上馨の外交交渉(不平等条約を撤廃したかった)が失敗すると、民権派は、地租軽減・ 言論と集会の自由 ・ 外交の挽回(対等条約の締結) をとなえる'''三大事件建白運動'''を展開した。
 
すると、政府は'''保安条例'''を発し、民権派を都内から追放した(正確には皇居から約12km(三里)よりも外に追放)。追放された民権運動家のなかには中江兆民(なかえ ちょうみん)や星享(ほし とおる)などが含まれ、合計で約570名が都内から追放された。