「高等学校日本史B/第二次世界大戦と日本」の版間の差分

ガダルカナル島、自由インド仮政府
(帝国国策遂行要領)
(ガダルカナル島、自由インド仮政府)
=== 日本の戦争犯罪の容疑 ===
* 731部隊(ななさんいち ぶたい)
満州のハルビンを拠点としている(日本軍の「731部隊」が、中国人捕虜などをつかった人体実験で、細菌兵器の実験をしたといわれる。
 
 
 
* 三光作戦(さんこう さくせん)
日本軍は、抗日ゲリラの拠点と考えられる村で、掃討作戦を行った。
いちぶの占領地域で、住民をふくむ大虐殺を行ったとして、中国側はこれを「三光作戦」(さんこう さくせん)と呼んで非難している。
 
いちぶの占領地域で中国側はこれを住民をふくむに対する大虐殺を行ったとして、中国側はこれを「三光作戦」(さんこう さくせん)と呼んで非難している。
 
三光の意味は「焼き尽くせ、殺し尽くせ、奪い尽くせ」という意味らしい。
 
7月、陸軍の圧力で米内光政内閣が倒れ、(第2次)近衛文麿内閣が成立した。すると、近衛内閣は、'''日独伊三国同盟'''を締結した。
 
近衛文麿は、ただちに「大東亜共栄圏」構想を提唱し、南方での資源確保に関心を示した。(※ のちの東条内閣で大東亜戦争(太平洋戦争)に発展するが、当初の近衛の構想では、経済的な構想だった可能性もある。インドネシアに植民地をもつオランダとも、日本は交渉をしている(しかし、条件がおりあわず、失敗する)。構想の真相は不明?)
 
同じ頃、援蒋ルートを断ち切るために、ドイツに降伏したフランスの植民地のひとつであるフランス領インドシナの北部に進駐した。これによって、アメリカは態度を硬化させ、日本への石油・くず鉄などの輸出を制限した(まだ禁止はしてない。禁止するのは数年後)。アメリカの姿勢にイギリスも同調した。
そして12月8日、日本陸軍がマレー半島に奇襲上陸するとともに、日本海軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃をしかけ、日本が米英に宣戦布告し、日米戦争が開戦した('''太平洋戦争''')。
三国同盟にしたがって、ドイツとイタリアもアメリカに宣戦した。
 
 
真珠湾への奇襲攻撃により、アメリカの太平洋艦隊に大損害を与えた。
 
また、マレー沖では、日本軍は航空兵器を活用してイギリス東洋艦隊を壊滅させた。
日本軍は1941年12月中に香港を占領し、つづけて翌1942年1月にフィリピンを占領、2月にマレー半島およびシンガポールを占領し、つぎつぎと占領地を増やしていき、東南アジアのほとんどと周辺地域を占領した。
 
日本はこの戦争を「大東亜戦争」と名付け、戦争目的を、欧米の植民地となっていたアジアの解放であると(戦争目的を)設定した。
 
このため、一部の占領地域では、占領地域の原住民たちは日本軍に協力した。
 
いっぽう、べつの一部の地域では、抗日運動が起きた。
 
 
さて1942年6月、太平洋のミッドウェー島沖で日本海軍は、主力空母4隻および多数の艦載機(かんさいき)を失うという大敗をしてしまい('''ミッドウェー海戦''')、以降、日本の戦況は悪化する。
 
また、ガダルカナル島では、1942年8月からアメリカ軍が上陸をして攻撃を開始し、現地の日本軍は食料不足におちいり、おびただしい数の(日本兵の)餓死者を出した。翌1943年2月、日本軍はガダルカナル島から撤退した。
 
1943年に日本は、ビルマとフィリピンの独立を承認した。またインドでは、自由インド仮政府が樹立した。
 
1943年11月、登場内閣は、占領地域の日本協力者の指導者をあつめ、東京で'''大東亜会議'''を開いた。
 
この大東亜会議には、タイ・フィリピン・ビルマ・中国(汪兆銘)・満州国・インド(自由インド仮政府)・日本が参加した(台湾や韓国の代表者は、いない。)。
 
この大東亜会議では、「アジアの解放」や「共存共栄」、「自主独立」などがうたわれた。
 
== 戦時下の国民生活 ==
=== 動員 ===
 
=== 国民生活 ===
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