「高等学校日本史B/第二次世界大戦と日本」の版間の差分

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石川達三(いしかわ たつぞう)の『生きている兵隊』
重光葵
276 行
 
=== 敗戦 ===
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下される。
(※ これ以前の経過は、中学で習ったとおり。)
 
8月8日、ソ連は日ソ中立条約をやぶって日本に宣戦布告し、満州・北朝鮮に侵入した。
1945年8月14日、天皇の出席する御前会議で鈴木内閣と軍部は、ポツダム宣言の受諾を決定。同14日、日本政府は連合国にポツダム宣言受諾を通告。
 
8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。
15日正午、天皇がラジオ放送で国民に終戦を発表。
 
1945年8月14日、昭和天皇の出席する御前会議で鈴木内閣と軍部は、ポツダム宣言の受諾を決定。同14日、日本政府は連合国にポツダム宣言受諾を通告。
1945年9月2日、降伏文書の調印が、東京湾内の戦艦ミズーリ号上で行われた。
 
15日正午、昭和天皇がラジオ放送で国民に「終戦の詔勅(しょうちょく)」として終戦を発表(玉音放送)
こうして、太平洋戦争は終結した。
 
玉音放送の直後、鈴木貫太郎内閣が総辞職したが、後任の内閣が定まるまで鈴木は首相としての仕事をつづけ、1945年8月17日に東久邇宮稔彦(ひがしくにのみや なるひこ)内閣が組閣された。
 
東久邇宮内閣のもと1945年9月2日、降伏文書の調印が、東京湾内のアメリカ戦艦ミズーリ号上で行われ、重光葵(しげみつ まもる)外相と梅津美治郎(うめづ よしじろう)参謀総長が降伏文書に調印した。
 
こうして、日本は連合国の占領下に入り、太平洋戦争は終結した。