「高等学校日本史B/冷戦の開始と講和」の版間の差分
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映画「羅生門」のポスター |
保守合同 |
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アメリカ・イギリスは、このような東ヨーロッパの状況を、ソ連の侵略としてとらえて警戒した。この米ソの対立を冷戦という。アメリカは1947年に共産主義国を封じ込める目的で'''トルーマン-ドクトリン'''を発表した。
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第二次世界大戦の終戦直後、日本は、はげしいインフレになった。 このインフレを解決するため、1948年、GHQは経済安定9原則を指令し、また、アメリカ国務省顧問の銀行家ドッジが日本に派遣され、翌1949年にはドッジ=ラインと呼ばれる財政引き締め政策が日本で行われ、その結果、復興債の発行禁止、1ドル=360円の単一為替レート、などの政策が行われた。
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文学では、1940年代後半に坂口安吾が『白痴』を発表、太宰治が『斜陽』を発表。
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▲朝鮮戦争で日本の価値を再認識したアメリカは、日本を西側諸国に組み込もうとする動きを加速させた。
1951年9月8日に
同条約は翌1952年4月8日に発効し、アメリカによる日本占領は終わり、日本は独立国としての主権を回復した。
== 独立後の日本 ==
=== 安保体制 ===
サンフランシスコ平和条約と同日に調印された安保条約にもとづき、1952年2月に'''日米行政協定'''が締結され、日本は駐留アメリカ軍に基地を提供することと、駐留経費を分担することが定められた。
吉田茂内閣は、平和条約の発効する1952年4月に海上警備隊を新設し、また、警察予備隊は保安隊に改称された。
1954年に'''MSA協定'''(日米相互防衛援助協定)で、アメリカからの援助(軍事や農産物)を受けるかわりに、日本は防衛力強化を義務づけられた。
同1954年7月、保安庁を改組して防衛庁とし、保安隊と海上警備隊を統合して、陸・海・空の3隊からなる'''自衛隊'''が発足した。
=== 国内の治安体制 ===
1952年7月、吉田内閣は'''破壊活動防止法'''を制定した。
また1954年の'''新警察法'''では、自治体警察を廃止し、都道府県警察を警察庁が指揮する制度にあらためた。
=== 諸改革 ===
1954年には、公立学校教員の政治活動を禁止する'''教育二法'''が成立した。
=== 55年体制 ===
1954年12月、造船疑獄事件で吉田内閣は総辞職し、日本民主党の鳩山一郎内閣が成立した。
鳩山内閣は憲法改正をとなえると、それまで日本社会党は右派と左派に分裂していたが、改憲を阻止するために社会党の両派は合流して統一し、社会党は改憲阻止に必要な議席の3分の1を確保した。
これに対抗し、民主党と自由党も合流して'''自由民主党'''が結成された('''保守合同''')。これ以降38年にわたり、自由民主党の政権が続いた(55年体制)。
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